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第二話 町を出たら山賊が待ち構えていた

 朝日が昇りきらぬうちから、ローゼンバルト神聖公国の湿った空気はすでに重苦しく淀んでいた。乾燥した風は大理石の粉塵と、貴族たちの放つ鼻を突く人工香水の残り香を街の外へと運んでいく。


 町を出て間もない街道沿いには、北極点から流れ出す澄んだ氷解水を湛えた川が並行して流れていた。そのせせらぎの音に混じって、どこか泥臭く湿った匂いが立ち込めている。


 街道の中央、ぬかるんだ土の表面に、巨大なすり鉢状の大穴がぽっかりと口を開けていた。昨夜の雨のせいか、底には濁った泥水がたっぷりと溜まっている。幅は四メートルを超え、まるで巨人の拳骨が地面を叩き割ったかのようだ。


「……あーあ」


 ダボダボの袖をなびかせ、大きすぎる伊達メガネの鼻当てを指先で押し上げながら、キムナ・カラムナが大穴の縁を鉄扇の先で突いた。


「国家機密だっていってんのに、隣国の中で大胆な事するヤツがいるなあ。まあ、思い当たるのは何人かいるけど」


「というか、団長でしょう、こんな大雑把な事するのは。あの人のチーム、馬蜘蛛ないとどうにもならない人しかいませんでしたし」


 ベレナ・エレナが華やかなフリルドレスの裾を優雅に持ち上げ、泥跳ねを嫌うように綺麗に巻き上げられたシニヨンヘアを揺らした。ピンク色の生地の裏側には、何本もの投げナイフが重みを持って潜んでいるが、その立ち姿には一分の隙もない。


「それは参謀も同様だから、そこを突かれると言葉がないんだけど。キミたちがいなかったら参謀も馬蜘蛛から降りる気にはとてもなれないね。やっぱり鉄扇の訓練とか受けたほうがいいかなあ」


「それは絶対受けなさい」


 エレナの即座の返答に、カラムナは苦笑いを浮かべて両手を広げた。


「いやいや、参謀は文官の末裔だからね。型から入るのが流儀なんだよ」


 その時、街道脇の草むらで小さく丸くなっていたファナ・モナが、怯えたように袖口をギュッと握りしめた。季節外れの分厚いポンチョの上から斜めに締め上げられたチェストベルトが、彼女の圧倒的な胸元の質量をかえって際立たせている。


「あの……カラムナ先輩……」


「ん? どうしたの、モナ君」


「その……気配が、すごく……近いです」


 近衛騎士として極限まで鍛え上げられた三人の感覚が、街道の先から漂う異様な気配を捉えた。汗と安酒、そして洗っていない獣の体臭が混じり合った、独特の不快な気配の圧。


「……山賊の皆さんのお出ましだね」


 カラムナはひらひらとした袖を翻すと、二人に手で合図を送った。


「モナ君は身を隠して。エレナ君は……まあ、適当に影から見守ってて」


 二人が街道脇の茂みへ滑り込むのを見届け、カラムナは一人、ガウンの帯を無造作に締め直すと、堂々と街道の真ん中へ歩み出た。


 木立の陰から姿を現したのは、巨大な馬猫(うまねこ)に騎乗した十数人の男たちだった。胴体は馬ほどもある獰猛な巨大猫で、背中の筋肉が激しく躍動している。乗手たちは鐙(あぶみ)を踏みしめ、立位のまま手綱を握りしめていた。


 その先頭に立つ男は、型落ちした神聖公国の軍服をきっちりと着込み、背筋を伸ばしていた。


(……ふーん)


 カラムナの伊達メガネの奥で、鋭い人間観察眼が光る。


 軍服なんか着ているが、筋肉の付き方が武人のそれと全然違う。武人は特定の目的に沿って系統だって筋肉をつけていく。手綱を握る指先のタコは──ありゃペンダコだな。人を値踏みする目付きが完全に商人のものだ。「商人上がり」ってやつか。型落ちの軍服で威厳を繕ってはいるが、根底にあるのは損得勘定と帳尻合わせの思考。商人のやり方を知っている奴は大体商人的な発想をする。儲けた金を元手にさらに儲けようとし、規律や管理を好む。そういう人間にとって、帳簿に並ぶ数字はもっとも大切な命綱に違いない。


「山賊なのにちゃんと帳簿つけてるとか、えらいね。参謀の仲間が君たちの根城の中を歩き回ってた時に、たまたま君の帳簿を見つけたんだけど」


 カラムナはヘラヘラとした笑みを浮かべ、ガウンのポケットに手を突っ込んだ。


 馬猫の上で、軍服の男——“鉄錆”のハインリヒが、目を見開いて身を乗り出した。


「ちょっ、待て! そんなたまたまたがあるか! なんでお前らが勝手に俺たちの根城に入ってんだ」


「メチャクチャ臭かったって言ってたよ。たまには掃除した方がいいんじゃない?」


「よ、余計なお世話だ!」


 ハインリヒは激昂して怒鳴り散らしたが、すぐにハッと我に返り、馬猫の上から油断なく周囲の街道を探った。昨夜、街の先遣隊を全滅させたという「巨乳の暴れ牛」を警戒しているのだ。


「そんな事より、他に二人いるってきいてたんだが、仲間はどうした」


「お花摘みだよ。巨乳の方は小さい方のお花って言ってたからすぐ戻ってくると思うけど」


 カラムナが軽々しく手を振る。


 茂みの影で息を殺していたエレナの額に、ピキッと青筋が浮かんだ。


(……それじゃ吾が大きい方みたいになりますでしょう。まったくカラムナさんは、あとでお仕置きですわね。……拳で)


 だが、元山賊の荒くれ者たちに「お花摘み」という貴族社会の上品な隠語が通じるはずもなかった。ハインリヒは不快そうに顔を歪めた。


「こんな所でお花摘みとは、さすがいいところのお嬢様だな」


 ハインリヒの言葉に嫌味な皮肉が混ざっているのを感じ取り、カラムナは呆れたように肩をすくめた。


「うわ、山賊のくせにそういう皮肉言う? そりゃ貴族令嬢だって野グソくらいするさ」


「の、のぐそ……!?」


 ハインリヒと手下の山賊たちが一瞬、言葉を失ってフリーズした。


「おい、お前ら。ちょっとそのへん探してこい」


 ハインリヒが顎で指示を出すと、部下が数人、馬猫を降りておずおずと茂みの方へ歩き出そうとした。カラムナは伊達メガネを押し上げ、心底気持ち悪そうに顔をしかめた。


「あ、お花摘みって言ってるでしょ。何しに行くの。え、もしかしてそういう趣味の人? うわー、スカトロは勘弁してほしいんだけど」


 茂みの奥で丸くなっていたモナが、赤面と恐怖のあまり頭を抱えて縮こまった。


(……もう『お花摘み』って言い回ししている意味が、完全になくなってる……っ)


「まあそれをともかく」


 カラムナはポンと手を叩き、ハインリヒを見据えた。


「山賊になってもちゃんと帳簿をつけてるのはいいね。信用に値するよ。参謀としてはそんなキミと正式な契約を結びたいと考えてるんだが」


「そんなハッタリに騙されるか。貴様らみたいなのがそう簡単に忍び込めるような場所じゃねえ」


 ハインリヒが吐き捨てるように言ったが、すぐ横にいた手下がひきつった顔で耳打ちした。


「それが、そうとも言い切れないんで。なんでも向こうには、忍び足の得意な奴がいるらしくて」


「そうそう」とカラムナがドヤ顔で胸を張る。


「こっちには忍び足の得意な仲間がいるんだ」


「チッ……」


 ハインリヒは苦々しく眉間を寄せると、後ろの手下に短く命じた。


「おい、念のため根城へ走って確認してこい! 帳簿がどうなってるかだ!」


「へいっ!」


 手下の一人が馬猫の腹を蹴り、街道を疾風のごとく駆け去っていく。


 カラムナはその背中に向けてせせら笑いを浮かべつつ、隠れているエレナの方向へ、伊達メガネの奥からそっと視線で合図を送った。


 エレナはパステルピンクのフリルを揺らすことなく、三歩道奥義『水渡り』を発動。影から影へと無音で滑り出し、馬猫を追って森の中へ消えていった。


 ハインリヒは馬猫の上で腕を組み、冷ややかな視線をカラムナへ向けた。


「まあなんでもいい。お前一人なら吊るして締め上げるだけだ」


 ハインリヒの合図とともに、残った山賊たちが一斉に馬猫を躍らせ、長ドスを抜いてカラムナへ躍りかかった。


「うわっと!」


 カラムナは脱兎のごとく背中を見せて逃げ出し、そのままモナの隠れている茂みへ一直線に飛び込んだ。そして、丸くなっていたモナの背中を、容赦なく押し出す!


「ひいいいいい!?」


 裏返った甲高い悲鳴とともに、茂みから放り出されたモナは、反射的に背中のハルバードをシャキンと構えた。


「……っ!?」


 迫っていた山賊たちが、一斉に馬猫の手綱を引き絞った。


 ハルバードの重厚な刃を構え、恐怖のあまり荒い息を吐くモナの佇まいは、まるで追い詰められた手負いの肉食獣そのものだった。昨夜、仲間が十人一瞬で叩き潰された惨状が脳裏をよぎり、山賊たちは容易に手を出すことができない。


「巨乳の子、すぐに戻ってくるって言ったでしょ」


 モナの背後に隠れたカラムナが、ひょっこりと顔を出した。


「拳で語りたいんならその子とどうぞ。参謀、そーゆーのは苦手なんで。言葉で会話したくなったらまた呼んで」


「な、何が望みだ」


 ハインリヒが額に冷や汗を浮かべ、長剣の手元を握り直す。


「あん? 拳で語るのはもういいの? 一言もおしゃべり出来てなかったみたいだけど。まあいいか。なに、難しいことじゃないよ。帳簿を返すかわりに、そこをちょっと退けておとなしく通して欲しいだけさ」


 ハインリヒは一瞬気圧されそうになったが、そこへ先ほど根城へ向かった手下が、息を切らせて駆け戻ってきた。


「カシラ! 根城を確認して参りました! 帳簿は鍵のかかった保管箱の中にちゃんとありましたぜ! 盗まれてなんかおりやせん!」


 その報告を聞いた瞬間、ハインリヒの顔に強烈なドヤ顔と自信が戻った。


「ハーッハッハ! ほら見ろ! 案の定ハッタリじゃねえか!」


 ハインリヒは勝ち誇ったように大笑いし、剣先をカラムナへ突き突きつけた。


「山賊も商人もメンツが命なのは代わりがねえ。なめられたら終わりだ。ここまでコケにされて放っておけるか!」


 だが、そのハインリヒの歓喜のピークの瞬間に——。


「はい、お待たせいたしましたわ」


 いつの間にかカラムナの隣に涼しい顔で立っていたエレナが、一冊の分厚い革綴じの帳簿を、パチンと音を立ててカラムナの手元へ手渡した。


 ハインリヒの笑い声が、途中で「カハッ」と引きつった音を立てて止まった。


「……は?」


 報告に戻ってきた手下が、カラムナの手元にある帳簿と、エレナの顔を交互に見比べ、目を丸くした。


「え……? あれ……? 俺、さっき確認した時は……確かに箱の中に……」


 種明かしをすればなんでもない事だが、帳簿を確認しに戻った山賊の手下の後を追って根城に侵入し、その手下が帳簿を見て安堵して報告しに戻っていくのと入れ替わりに、その帳簿を盗み出したという、ただそれだけの事だった。


 バカッ!!


「このタコがぁ!!」


 ハインリヒが間髪入れずに手下の頭を拳で力任せに小突いた。手下は悶絶して馬猫から転がり落ちる。


「しっかり盗まれてんじゃねえかバカヤロウ!!」


 カラムナは手渡された帳簿の表紙をパラパラとめくり、心底呆れたように溜め息をついた。


「なるほど。キミは山賊に身を落しても商人の魂は失わない立派な人だと思っていたけど、どうやら参謀の買い被りだったようだね。じゃあこの帳簿はもういらないから、燃やしてしまおう」


 カラムナはガウンの袖から火打ち石を取り出すと、帳簿の端へ躊躇なく火をつけた。メラッと赤い炎が立ち上る。


「待て待て待て! バカっ、やめろ!」


 ハインリヒが悲鳴を上げて馬猫の上で身を乗り出した。


「あ、ごめん。もう火つけちゃった。でもまだ燃えきってないからこれ返すね」


 カラムナは炎の上がる冊子を、ハインリヒの顔面へ向けて思い切り投げ渡した。


「お、待ててめぇふざけんな!」


 ハインリヒは慌てて馬猫の上で受け止め、パチパチと手で火を叩き消そうと必死になった。


「はいこれで契約成立。じゃあ失礼するよ。巨乳の人、盾よろしく」


「えっ!?」


 カラムナはモナの背中を強い力で突き押し、そのまま山賊の包囲網の隙間へ向けて走り出した。


「いやあああ、むりいいい、カラムナさん後で殺すううう」


「え、ちょ、ごめん。マジごめん。殺さないで」


 モナに必死で謝りながら、カラムナはモナの巨体を盾にして山賊の集団の一角へ突き進む。


 パニックを起こしたモナがガムシャラに振り回すハルバードの柄が、逃げ遅れた山賊二人をゴツンと跳ね飛ばし、その豪快な威圧感に山賊たちが蜘蛛の子を散らすように道をあけた。


 更にその後詰めを、本物の帳簿を小脇に抱えたエレナが、パステルピンクのフリルを優雅になびかせて駆け抜けていく。


 一方、投げ渡された冊子の火をようやく叩き消したハインリヒは、目の端に見覚えのあるものが映ったのを感じて、無意識の内に視線をその方向に引っ張られていた。それは駆け抜けていくピンクの女が小脇に抱えるもの───今まさに火を消し止めたはずの帳簿だった。


「……は?」

 目を疑い、慌てて手元の焦げた表紙を見なおすと、そこに書かれていたタイトルは、怪しげな手書きの図解が躍る『馬蜘蛛操術』。


「…….はあああっっ?!」


 ハインリヒが再びピンクのドレスの方に目をやると、女はこれ見よがしに帳簿をひらひらさせて、口には嘲るような笑みを浮かべているように見えた。


「……あ、あ、あ、あの小僧……」


 ハインリヒの額に太い血筋が浮き上がり、顔面が般若のように赤く染まった。


「あの小僧、絶対ぶっ殺す!!!!」


 ハインリヒの絶叫が街道に響き渡った。


「追えぇぇ! 殺せぇぇ! 帳簿を取り戻せぇぇ!」


 山賊たちが一斉に馬猫を翻し、猛追を開始する。


 しかし、曲がり角を利用して山賊たちの視界を脱したわずか一瞬の隙を突き、カラムナは指笛を鳴らした。上空から降下してきた馬蜘蛛の背へと素早く飛び乗る。


「モナ君、ちょっと飛ぶよ!」


「え? あ、あの、わたし……っ」


 相乗りさせると「無音着地」の精密制御が狂うため、カラムナはモナの襟首を掴むと、街道脇の生い茂る茂みの中へぽいと放り投げた。


「ひゃうん!?」


 ボフッと葉っぱの山に埋もれたモナが、「こ、こわいって、いってるのに、いってるのに……」と半べそをかいて震える。


 一方、エレナは街道を一人駆け抜けていた。


 前方に、先ほど見かけたものと同じような「泥水の大穴」が現れる。先ほどの大穴から、ちょうど100メートル。馬蜘蛛の跳躍軌道が描いた、二つ目の着地痕だ。


 底には泥水が溜まっており、深さは窺い知れない。


(……ふふっ)


 カラムナの意図に気付いて、エレナのパステルピンクの唇が、美しく吊り上がる。


(あーやだやだ。吾ったらカラムナさんに毒されてるみたいですわね。気をつけないと)


 エレナは速度を落とすことなく、三歩道奥義『水渡り』を発動。ささやかな波紋をたてるだけの軽やかな足さばきで、泥水の上をササッと走り抜けていく。


「追え! 幅はでかいが浅い水たまりだ! 女が平気で走り抜けてるぞ!」


 後ろから迫るハインリヒたちが、エレナの足元を見て叫んだ。


 馬猫たちは水を忌避して直前で猛ブレーキをかけたが、頭に血が上った山賊たちは馬猫を捨て、徒歩で水たまりへ飛び込んだ。


 ドボン!


「ぶはっ!?」


「深っ!? ぐぼっ……!?」


 2トンの馬蜘蛛が跳躍の瞬間に叩き割った大穴は、水深2メートルを超える巨大な泥の罠だった。


 重い皮鎧や武器を身につけた山賊たちが、足のつかない泥水の中で次々と沈んでいく。不意を突かれて泥水を飲み、のたうち回る男たち。


「どーゆー事だあああ!!」


 泥水から顔を出したハインリヒが、吐血するような悲鳴を上げた。


 その遥か先で、茂みからモナを無事に回収したカラムナとエレナが、朝の爽やかな風を浴びながら、悠々と街道を駆け抜けていくのだった。


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