第三話 第三七号(2)
『VRMMO -関東封鎖戦域-』
第三話 第三七号(2)
「来た!」
最後尾のプレイヤーが声を上げる。浜田が振り返り、機関銃を構えた。
「撃つな」
ルークが言った。
「まだ見えていない」
「近づかれたら、担架を守れない」
浜田の言うことは正しい。しかし撃てば、自分たちの位置も進行方向も教える。排水路は一本道だ。撃ち合いになれば逃げ場がない。ルークは壁を見上げた。十メートル先に、地上へ上がる点検梯子がある。その上には、小さな道路標識の柱が見えた。
「古賀さん。地図を」
紙の地図を開く。現在地の西側には、使われなくなった市道が並行している。南へ二百メートル進むと、排水路は住宅地の地下へ入る。そこで見失わせられる可能性がある。
「浜田さん、撃たずに足止めできますか」
「注文が多いな」
「一人だけ地上へ上がり、空の弾倉か何かを北側へ投げて音を出す。その間に全員で南へ進む」
「敵が音に釣られなかったら?」
「その時は撃ってください」
浜田が笑った。
「最初からそう言え」
古賀が梯子を上り、道路の様子を確認する。誰もいない。浜田は空になった金属製の弾薬箱へ石を詰め、古賀へ渡した。
「北側の側溝へ投げろ。派手にな」
「了解」
数秒後
地上で、金属箱が転がる大きな音がした。追手の足音が止まる。何かを叫び合う声。続いて、北側へ向けた銃声が二発。
「今だ」
十一人は南へ進んだ。走らない。足元は濡れ、負傷者と担架がいる。ここで転倒者を出せば、追手との差は逆に縮まる。速くではなく、止まらずに。講習で教えられた歩き方が、ようやく意味を持った。歩幅を小さく。呼吸を一定に。荷物を身体へ寄せる。前の者だけでなく、その先を見る。カイトが真壁を支えながら、息を切らしている。
「疲れにくい歩き方ってさ」
「なんだ」
「疲れない歩き方じゃないんだな」
「当たり前だ」
「最初に言えよ……」
「黒瀬教官は言っていた」
「聞いてなかった」
「知ってる」
カイトは苦しそうに笑った。排水路が暗いトンネルへ入る。地図では、その上が住宅地だった。天井から雨水が筋になって落ち、足元の水位は膝近くまで増えている。
「長くはいられない」
古賀が言う。
「この先に上がれる場所がなければ戻るぞ」
「戻れば追手とぶつかる」
プレイヤーの一人が言った。足首を痛めている男だった。ゲーム内名はセト。それまで歯を食いしばって歩いていたが、痛みと不安で声が荒くなっている。
「地図が古いんだろ? このまま水が増えたら溺れるぞ」
「分かっている」
ルークは答えた。
「分かってるなら、担架を置いて走った方がいい」
空気が止まった。担架の上で、運転手は意識を失ったままだ。返事はできない。
「置いていかない」
カイトが先に言った。
「お前だって足を引きずってるだろ」
「俺は歩ける!」
「今はな」
「喧嘩は後だ」
ルークは二人の間へ入った。
「セト、担架の後ろを持て。持てる範囲でいい」
「何で俺が」
「担架を置きたいと思うのは、重さを他人だけが背負っているからだ」
セトの顔が強張る。
「俺を説教する気か」
「違う。足首が痛むなら、上半身でできる仕事を渡している」
「……途中で歩けなくなったら」
「その時は別の役割に変える。置いていく判断は、全員が運べなくなってからだ」
セトは何か言い返そうとした。だが結局、担架の後ろへ手を掛けた。重さが三人へ分散される。先ほどより、担架が安定した。
「最初からこうしろよ」
セトが呟く。
「最初は歩けていただろ」
「本当に会社員かよ、あんた」
「残念ながらな」
トンネルの先に、薄い光が見えた。地上へ続く階段だった。一行が上がると、そこは放棄された児童公園の端だった。色の剥げた滑り台。倒れた鉄棒。砂場には草が生い茂っている。公園の奥には、土を盛った小さな丘があった。地図に記された三角形は、その場所と重なる。
「第三七号」
古賀が呟いた。丘の斜面を覆う蔦を払うと、灰色のコンクリート壁が現れた。中央には両開きの鋼鉄扉。上部に、錆びた文字板が残っている。
《旧国民保護施設 第三七号》
ようやく着いた。だが扉は閉じている。側面の操作盤は、EMPの影響なのか完全に沈黙していた。
「開かない、なんて言わないよな」
カイトが言った。古賀が扉の横を調べる。
「手動解放装置がある。保護板が固着してる」
「追手は?」
浜田が公園入口へ目を向ける。
「まだ見えない。だが、さっきの音で完全には撒けていない」
ルークは真壁をコンクリート壁へ座らせた。
「動ける者で扉を開ける。浜田さんと二人は警戒。負傷者は丘の陰へ」
「俺も警戒に入る」
真壁が立とうとする。
「班長は座ってください」
「命令するな」
「提案です」
「言い方が同じだ」
真壁は立ち上がれなかった。悔しそうに壁へ背を預ける。
「……浜田。外周を任せる」
「了解」
手動解放装置の保護板へ、古賀が工具を差し込む。ルークとカイトも加わった。三人で体重を掛ける。錆が剥がれ、金属が軋む。保護板が開いた。中には、大きな回転ハンドルがある。古賀が回そうとするが、動かない。
「内部が噛んでる」
「逆方向へ少し戻せませんか」
「試す」
三人で反対へ押す。ほんのわずかに動いた。
「もう一度、開放側」
押す。動く。止まる。戻す。また押す。一度に開けようとせず、固着した部分を少しずつ崩す。物流倉庫の古いシャッターも、無理に動かせば歪む。重いものほど、勢いではなく遊びを作る。五度目で、内部から大きな金属音がした。
「外れた!」
ハンドルが回り始める。その時、公園入口で浜田の機関銃が鳴った。
「接触!」
土が跳ねる。遊具の金属板へ弾丸が当たり、高い音を立てた。
「敵三! 公園北側!」
ルークはハンドルから手を離しかけた。
「続けろ!」
真壁の声が飛ぶ。
「扉を開けなければ全員死ぬ!」
浜田が短い連射で敵を抑える。プレイヤー二人も射撃へ加わった。敵味方の表示はない。雨と薄暗さの中、動く人影と発砲炎だけを見て撃つ。ルークはハンドルを回した。一周。二周。腕が重い。脇腹が痛む。カイトの手が滑り、指をぶつける。
「止めるな!」
「分かってる!」
鋼鉄扉の中央に、わずかな隙間が生まれた。古賀が指を掛けようとする。
「挟まれる!」
ルークが止める。
「ハンドルを最後まで!」
さらに回す。隙間が広がる。人一人が通れる。
「負傷者から入れろ!」
担架が先に運び込まれる。続いて真壁。足を痛めたセト。恐慌状態だったプレイヤー。一人ずつ、暗い施設内へ消えていく。
「七!」
ルークは数えた。
「八!」
浜田が撃ちながら後退する。敵の一人が遊具の陰から飛び出した。カイトが銃を構える。撃てない。照準器は死んでいる。相手との距離は二十メートルほど。敵の銃口が上がる。
「前を見ろ! 照準器じゃない!」
ルークが叫んだ。カイトは銃身の前後にある補助照準を合わせた。一発。敵の肩が跳ね、地面へ倒れる。カイトは固まった。
「入れ!」
ルークがプレートキャリアを引く。
「でも、今――」
「確認は浜田さんがする!」
カイトが扉の中へ入る。
「九!」
古賀が続く。
「十!」
最後は浜田だった。後退しながら数発撃ち、扉の内側へ飛び込む。
「十一!」
ルークは回転ハンドルへ手を掛けた。
「閉めるぞ!」
鋼鉄扉がゆっくりと戻る。外から弾丸が当たり、火花が隙間から飛び込んだ。あと五十センチ。三十。十。扉が閉じる。古賀が内側の固定レバーを下ろした。重い衝撃音。外の銃声が、分厚い壁の向こうへ遠ざかった。
暗闇
荒い呼吸。誰かの咳。それ以外には何も聞こえない。
「人数」
真壁が言った。ルークは、もう一度数えた。倒れている者。壁へ座り込んでいる者。担架を下ろした者。一人ずつ、顔を見る。
「十一人」
声が震えそうになる。
「全員います」
真壁が目を閉じた。
「なら、命令はまだ失敗していない」




