第三話 第三七号(3)
『VRMMO -関東封鎖戦域-』
第三話 第三七号(3)
浜田が化学発光灯をもう一本折る。淡い緑の光が、施設内部を照らした。入口室。除染用のシャワー。錆びたロッカー。壁には避難経路図が貼られている。奥へ続く通路には、《管理室》《医務室》《機械室》《居住区》の表示。廃棄施設にしては、形が残りすぎていた。
「敵は扉を破れるか?」
カイトが聞いた。
「小銃では無理だ」
古賀が答える。
「爆薬を持ってくれば別だが、時間は稼げる」
「じゃあ、終わり?」
「入口へ着いただけだ」
ルークは早瀬から回収した応急ポーチを開いた。
「負傷者を確認します。真壁班長が先。次に運転手、セト。動ける人は入口の監視と施設確認」
「お前も負傷者だろ」
浜田が言う。
「自分の出血は抑えられています」
「確認したのか」
「感覚で」
「それを確認していないと言う」
浜田はルークを壁際へ座らせた。
「班長は古賀が見る。お前は包帯を見せろ」
反論する前に、カイトがルークの装備を持ち上げた。圧迫包帯には、赤い染みが広がっている。止まってはいない。動き続けたことで、傷が再び開いていた。
「ほらな」
浜田が新しいパッドを重ねる。
「人の人数を数える前に、自分を一人に含めろ」
「……了解」
処置が終わる頃には、カイトと古賀が施設の簡単な確認を終えていた。医務室には古いベッドが四つ。水道は出ない。備蓄棚は空。機械室には非常用発電機があるが、制御盤は沈黙している。燃料計も動かない。
「これを直さないと、パソコンも使えないよな」
カイトが管理室の机を指す。埃をかぶった端末が一台。携帯型ではない。分厚い金属筐体へ収められ、有線ケーブルで壁へ接続されている。
「EMP対策品かもしれない」
ルークは機械室へ向かった。発電機の側面には、手動始動用のレバーが収納されていた。古賀が燃料タンクの蓋を開け、棒状の簡易ゲージを差し込む。
「底に残ってる。劣化してるかもしれないが、試す価値はある」
「換気は?」
「手動ダンパーがある」
真壁は医務室のベッドへ横になったまま指示する。
「二人一組で動け。施設内に敵がいないとは限らない。扉を開ける前に声を掛けろ」
ルークと古賀が発電機を確認し、浜田とプレイヤー二人が通路を調べる。カイトは運転手のそばに残った。それぞれが、できる役割へ入っていく。ルークは手動ポンプで燃料を送り、古賀が吸気と排気を開く。
「始動するぞ」
レバーを引く。
重い
一度目は、内部が回っただけだった。二度目。咳き込むような音。三度目。発電機が低く震え、黒い煙を吐いた。止まりそうになる。
「燃料を送りすぎるな」
古賀が調整弁を戻す。回転が安定した。天井の照明が、一列ずつ点灯する。白ではない。古びた黄色い光。それでも、暗闇よりは十分だった。換気扇が回り始める。管理室から、電子音が聞こえた。
「ついた!」
カイトの声。全員が管理室へ集まりかける。
「持ち場を離れるな!」
真壁の声が通路へ響いた。
「入口警戒は継続! 負傷者は休め!」
ルークとカイトだけが管理室へ入る。端末の画面には、古い起動画面が表示されていた。
《国民保護施設管理網》
《施設番号:K-037》
《外部回線:切断》
《閉域有線網:接続試行中》
進行表示が、ゆっくりと伸びる。三十パーセント。五十。八十。
《閉域有線網:接続》
画面が切り替わった。黒い背景に、白い文字。
《未登録施設の起動を確認》
《管理責任者を識別してください》
カイトがルークを見る。
「これ、名前入れるやつじゃない?」
「班長を呼ぶ」
真壁は管理室の入口まで来ていた。左腕を固定し、壁へ寄りかかっている。
「入力しろ、ルーク」
「班長が責任者です」
「俺は試験部隊の班長だ。この施設の管理者じゃない」
「他にもプレイヤーがいます」
「ここへ来る経路を決め、物資を配り、最後まで人数を数えていたのは誰だ」
カイトが手を上げた。
「俺じゃない」
「聞いていない」
真壁が言う。カイトは手を下ろした。
「入力しろ」
ルークはキーボードへ手を置く。現実の名前ではない。十五歳の頃から使い続け、二十年ぶりに呼ばれた名前。
《ROOK》
確定。画面に新しい表示が現れる。
《管理責任者候補:ROOK》
《同行者による承認を確認中》
管理室にいるカイトのPTIDが、突然震えた。死んでいた画面が一瞬だけ点灯する。
《暫定管理者承認:ROOK》
《承認/拒否》
「俺にも来た」
カイトは迷わず承認を押した。施設内にいる他のプレイヤーのPTIDも、順番に短く起動する。閉域網へ接続されたことで、最低限の機能だけが復旧しているらしい。一人。二人。三人。最後まで拒否はなかった。
《同行プレイヤー六名の承認を確認》
《管理責任者:ROOK》
《旧国民保護施設第三七号を仮設作戦拠点として登録します》
画面の隅に、小さな通信窓が開いた。
《接続要求》
《送信者:スズメ》
「誰だ?」
カイトが呟く。ルークが接続を許可する。音声は流れなかった。代わりに、文字が一行ずつ表示された。
《第三七号を起こしたのは、あなたたち?》
ルークは入力する。
《八洲共同警備機構、第六機動班の生存者。負傷者多数。外部に武装勢力》
返事は早かった。
《なら扉は開けないで》
《その施設は古いけど、壁と有線回線は使える》
《水と医療品が必要?》
《必要です。取引条件は》
数秒、返事が止まった。
《話が早いね、ルーク》
《今のあなたたちに払えるものは少ない》
《まずは貸しにしておく》
《代わりに、その施設を生かして》
管理端末へ、新しい項目が追加される。
《現地協力者との接続を確認》
《タスク機能:解放》
《物品取引:仮解放》
《施設管理:解放》
《共同出撃準備:解放》
《フレンド拠点訪問:条件付き解放》
《安全ログアウト:解放》
続いて、最終試験の結果が表示された。
《最終試験――模擬隔離区からの帰還》
《命令受領時生存者:11》
《第三七号到達者:11》
《負傷者への処置:実施》
《物資再配分:実施》
《電子支援喪失後の経路選定:成功》
《指揮系統喪失後の部隊維持:成功》
《評価:合格》
カイトが、椅子へ崩れるように座った。
「終わった……」
「まだ負傷者がいる」
「そういう意味じゃなくてさ」
カイトは画面を指した。
「チュートリアル、終わったんだよ。これで本編に入れる」
ルークは表示を見た。本編。二十年ぶりに戻ってきた、ハードコアな戦場。失えば戻らない装備。数字ではなく、自分で判断する負傷。敵を倒すより難しい撤退。そして、画面の向こうに並ぶ十一人の名前。プレイヤーは死んでも戻れる。だが、真壁たちは違う。早瀬は戻らなかった。その事実だけが、合格の文字を素直に喜ばせてくれない。
《スズメから新規タスクを受信》
《タスク名:灯りを絶やすな》
《目的:第三七号の発電設備を十二時間維持する》
《追加目標:負傷者全員を安定状態にする》
《報酬:飲料水、医療品、施設周辺の部分地図》
ルークはタスクを受注した。
「何を取った?」
カイトが聞く。
「最初の仕事だ」
「休まないのかよ」
「休むために必要な物を確保する」
管理室の外では、浜田が入口の警戒を続けている。古賀は施設内の扉を一つずつ確認している。セトは痛めた足を伸ばしながら、運転手の呼吸を見ていた。真壁は壁へ寄りかかり、目を閉じている。十一人が生きている。電力はある。壁もある。水も食料も足りない。敵は外にいる。ここは安全な家ではない。ただ、死なないための場所を一つ確保しただけだ。それでも。ルークは管理端末に表示された施設名を見た。
《仮設作戦拠点:第三七号》
二十年前、彼はゲームをやめた。好きだったものが、別の何かへ変わってしまったからだ。そして今。銃を撃った回数よりも、生存者を何人連れ帰ったかを問うゲームの中で。彼は再び、自分の名前を登録した。
「ルーク」
真壁が呼んだ。
「管理責任者として、最初の命令を出せ」
ルークは管理室を出る。十一人の視線が集まった。以前の彼なら、誰かの指示を待ったかもしれない。あるいは、自分だけで全部を抱え込もうとした。今は違う。
「浜田さんは入口警戒を継続。古賀さんは施設内の安全確認。カイトと動ける人は、倉庫と水設備を調べてください。負傷者は医務室へ。セトは歩かなくていい。運転手の呼吸を見ていてくれ」
「俺が?」
「さっきから一番近くで見ていただろ」
セトは驚いた顔をした後、短く頷いた。
「真壁班長」
「何だ」
「休んでください」
「それが最初の命令か」
「最優先です」
真壁は少しだけ笑った。
「了解した、管理責任者」
発電機の振動が、床を低く震わせている。外では雨が降り続いている。鋼鉄扉の向こうには、まだ敵がいる。物資も、人手も、情報も足りない。第三七号の照明は、まだ消えていなかった。ここから先が、本編だ




