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第二話 帰還命令(3)

『VRMMO -関東封鎖戦域-』


第二話 帰還命令(3)


地面へ落ちた時、息ができなかった。視界が狭くなる。耳鳴り。雨水の流れる排水溝へ、赤いものが混ざっていく。


「ルークさん!」


 カイトが這ってくる。


「動くな、今――」


「周囲を見ろ」


 ルークは歯を食いしばった。


「俺を見るな。敵を見ろ」


 脇腹へ手を当てる。服が裂けている。深く刺さっている感触はない。だが血は出ている。PTIDは死んでいる。出血量を示す数値も、負傷部位の図もない。自分で確かめるしかなかった。応急ポーチへ手を伸ばす。腰の固定具が空だった。爆発で外れたのか、降車時に落としたのか分からない。


「ポーチがない」


「俺の使うか?」


 カイトが腰へ手を伸ばす。


「お前は持っていろ。次に負傷するかもしれない」


 ルークは周囲を見た。数メートル先に、味方隊員が倒れている。先ほど車内でプレイヤーの頬を処置していた早瀬だった。胸部が動いていない。視線は雨の空へ向いたまま、瞬きもしなかった。一瞬、手が止まる。NPCだ。最終試験のために用意された存在だ。そう考えれば、装備を回収することに迷う理由はない。それでも、数分前まで話し、負傷者へ手を伸ばしていた人間の身体だった。


「早瀬さんのポーチを取る」


 ルークは声に出した。誰へ許可を求めたのか、自分でも分からない。身体を低くして這う。早瀬の腰から応急ポーチを外す。留め具が血と雨で滑った。焦るな。包装を落とすな。周囲の安全。傷の確認。出血への対応。講習で聞いた順序を、頭の中で一つずつ並べる。倒れたコンクリート片の陰へ戻り、裂けた服を持ち上げた。金属片が脇腹を浅く切っている。大量出血ではない。傷口へ止血用のパッドを当て、強く圧迫する。


 痛覚再現は三十パーセントに設定されている。それでも、押さえれば焼けるように痛んだ。


「包帯、巻くぞ」


 カイトが言う。


「周囲は」


「見てる。工場二階、今は浜田さんが抑えてる。右から二人来たけど、古賀さんが止めた」


「なら頼む」


 カイトが圧迫包帯を受け取り、ルークの胴へ回した。手つきは不器用だった。一周目は緩く、二周目は位置がずれた。


「もっと引け。苦しいくらいでいい」


「これ以上やったら痛いだろ」


「痛みより出血を止める」


 カイトが歯を食いしばって包帯を引いた。圧迫が安定する。ルークは数秒待ち、染み出す血を確認した。減っている。


「これでいい」


「本当に?」


「今はな。後で確認する」


 立ち上がろうとした瞬間、足元が揺れた。カイトが肩を支える。


「無理すんなよ」


「無理をしないために、ここから離れる」


 ルークは周囲を見た。真壁は左肩を撃たれ、壁にもたれている。浜田は健在。古賀も動ける。味方NPCは六人のうち、早瀬を含む二人が死亡。運転手は車内で意識不明。真壁を含め二人が負傷している。プレイヤー側は七人全員が生きているが、一人は足首を痛め、一人は恐慌状態で動けない。敵の数は不明。通信なし。電子地図なし。車両なし。このままでは包囲される。


「真壁班長」


 ルークは負傷した班長のそばへ移動した。


「指揮できますか」


「左腕が使えないだけだ」


「移動は」


「できる」


 言葉とは裏腹に、真壁の顔色は悪い。出血は止められているが、長く戦える状態ではなかった。


「脱出先を決める必要があります」


「臨時通信所は北東、約二キロ」


「敵が待っている可能性があります。EMP後も機能している保証がない」


「他に候補は」


「車内に紙の地図はありませんか」


 真壁が一瞬、目を細めた。


「車両装備箱。運転席の後ろだ」


「取りに戻ります」


「危険だ」


「地図なしで十三人を歩かせる方が危険です」


 もう十三人ではない。ルークは、数え直した人数を口にしなかった。浜田が射撃を続けている間に、ルークと古賀が車体へ戻った。停止した兵員輸送車は、黒い煙を上げている。電子錠は動かない。古賀が非常解放レバーを引き、歪んだ扉をこじ開けた。車内は焦げた臭いと血の臭いが混ざっていた。運転席後ろの箱を開ける。紙の管区地図。方位磁針。油性ペン。簡易信号鏡。電子機器が当たり前の時代に、旧式の道具が残されている。


「何で最初から配らなかったんだ」


 古賀が呟く。


「電子端末を信用させてから失わせるためかもしれません」


「試験だからか?」


「そうであることを願います」


 地図を広げる。現在地は工業団地南端。臨時通信所は北東。南西へ一・六キロの位置に、三角形の記号がある。


《旧国民保護施設 第三七号》


 講習の中で、黒瀬が一度だけ触れていた。大規模災害や空襲を想定して造られ、その後使われなくなった地下施設。設備が生きている保証はない。入口が塞がれている可能性もある。だが地上を歩き続けるよりは、負傷者を休ませられる可能性が高い。


「南西の旧バンカーへ向かう」


 ルークが言う。古賀が眉を上げた。


「お前が決めるのか」


「真壁班長へ提案します」


「違いはあるのか?」


「あります。決定する責任は班長にある」


 地図を持って戻ると、真壁は短く内容を確認した。


「旧国民保護施設か。入口は一本。待ち伏せされていれば逃げ場がない」


「臨時通信所は敵が目的を知っています。こちらは、車両を捨てた後の行動をまだ見せていません」


「負傷者を連れて一・六キロ」


「歩けない者は交代で運びます。水と弾薬を分散。不要な装備は捨てる」


「敵を振り切れなければ?」


「浜田さんと動ける隊員が後衛。プレイヤーは撃破より移動を優先します」


 真壁は数秒、地図を見た。それから、ルークへ返す。


「採用する」


「了解」


「ただし、ここから先はお前も人数を数えろ」


「……はい」


「命令は、生存している全人員を脱出させろ、だ。自分だけ出口へ着いても合格ではない」


 ルークは倒れた早瀬を見た。救えなかった者は、もう数に入らない。だからこそ、今生きている者を一人も減らしたくなかった。


「全員、聞け!」


 真壁が残った力で声を張った。


「南西の旧国民保護施設へ移動する! 歩ける者は負傷者を補助! 水、弾薬、医療品を分散しろ! 重い物から捨てるな、必要性を確認してから捨てろ!」


 ルークは紙の地図へ進路を書き込んだ。道路を避ける。工場裏の資材置き場を抜ける。排水路沿いに南下。最後の五百メートルだけ住宅地を横断する。完璧な経路ではない。敵の位置も、崩落も、罠も記されていない。何もないよりはましだった。カイトがルークの隣へ来た。


「俺、何を持てばいい」


「早瀬さんの医療品を半分。残りは別の人へ。水は一本だけ。弾倉を二本、足を痛めた人へ渡せ」


「何で負傷者に弾を?」


「荷物を運べなくても、その場で警戒はできる。全員が同じ物を持つ必要はない」


「……会社みたいだな」


「さっきも聞いた」


 カイトは今度こそ笑わなかった。ルークの指示どおり、黙って物資を配り始めた。浜田の射撃が止まる。


「敵が動いた! 裏へ回るぞ!」


「移動開始!」


 生存者たちは、煙を上げる兵員輸送車を離れた。先頭は古賀。中央に負傷者。最後尾に浜田と動けるプレイヤー二人。ルークは真壁の右側へ入り、肩を貸した。脇腹の傷が、歩くたびに痛む。包帯の下が熱い。PTIDは沈黙したまま。心拍も、疲労も、残り体力も分からない。頼れるのは、自分の呼吸と足の感覚だけだった。工場の裏へ入る直前、ルークは一度だけ振り返った。兵員輸送車。倒れた隊員。雨に薄れていく白煙。


 その向こうで、不明武装組織の人影が道路へ出てくる。追ってくる。


「ルーク!」


 カイトが呼ぶ。


「置いてくぞ!」


「ああ」


 ルークは前を向いた。これは、敵を全滅させる試験ではない。命令は一つ。生存している全員を、ここから連れ出す。地図の三角形へ向かって、一行は雨の廃墟を歩き始めた


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