表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
41/43

第十一話 三回の音(2)

『VRMMO -関東封鎖戦域-』


第十一話 三回の音(2)


「ただし十五分ごとに交代。全員で壁を見ない。古賀さんは五分後に外の警戒へ戻ってください」


「壁の前に人を残さない時間も作る?」


「こちらの物音に反応しているか確認したい」


 葛西が頷く。


「向こうが人なら、こっちが静かになった時に叩くかもしれん」


 カイトへ連絡し、機械室の音を記録させる。


 発電機の回転数、送水量、換気設備の稼働状態も時刻と一緒に残す。音だけを聞いても、後で再現できなければ意味がない。


 最初の十五分は何も起きなかった。


 二回目の交代で、古賀が機械室を離れる。


 ルーク、新城、葛西の三人は壁から距離を取り、照明も一段落とした。


 時間だけが過ぎる。


 第三七号の別の区画では、人が食器を片付け、負傷者が眠り、警備員が交代している。その生活音が遠く聞こえた。


 壁の前へ集まっていると、施設全体がこの一点を見ているような錯覚になる。


 午後九時十一分。


 こん、と鳴った。


 乾いた音。


 金属を小さな工具で叩いたような、発電機の振動より高い音だった。


 間を置いて、もう一度。


 そして三回目。


 新城の手が止まる。


 葛西は息を殺し、指を三本立てた。


 三回。


 録音中のカイトが管理室から囁く。


『聞こえた。波形も三つ。配管の連続音じゃない』


 ルークはすぐ壁へ近づかなかった。


 二十秒待つ。


 追加の音はない。


 壁のこちら側が反応するのを待っているようにも思えた。


「二回、返します」


 葛西からチョークの柄を借り、壁を二度叩く。


 こん、こん。


 返事はない。


 十秒。


 二十秒。


 今度は三回。


 暗い隔壁の向こうから、ほぼ同じ間隔で三回返ってきた。


「聞こえている」


 新城の声が小さくなる。


「人間とは限らない」


 戻ってきた古賀が機械室の入口で言った。


「入力に同じ信号を返す装置かもしれない。保守用の確認音ならあり得る」


「では、違う組み合わせを試します」


 一回。


 少し長く間を空けて、二回。


 向こうから返った音も、一回と二回。


 同じ。


 真似をしている。


 偶然ではない。単純な定時動作でもない。


 人か、こちらの信号を認識できる装置。


「声を通せる場所を探す」


 葛西が壁の下部を調べ始めた。


 塗装の盛り上がりを指で押し、工具の柄で音を比べる。床から三十センチほどの場所に、四角い輪郭が埋もれていた。


 塗膜を削ると、小さな金属蓋が現れる。


 ねじは錆びていた。力任せに回せば頭が潰れる。


 葛西が油を差し、時間を置き、一本ずつ緩めた。


「この施設を作った奴、隠すならもっと丁寧に隠せ」


「見つけても開けられないようにしたかったのかもしれません」


「それなら溶接する。これは、必要な奴だけが開ける蓋だ」


 最後のねじが外れた。


 蓋の奥には、腕一本も通らない細い孔。黒い布と腐った吸音材が詰められている。


「後から詰めた跡だ」


 古賀が細い棒を使い、少しずつ引き出す。


 埃が舞わないよう濡らした布で受ける。中に罠や鋭利な物がないか確認しながら、油で黒くなった布を取り除いた。


 奥から冷たい空気が流れてきた。


 湿ったコンクリート。


 古い配線。


 長く閉じた部屋の匂い。


 わずかに、煙か火薬に似た臭いも混じる。


「向こうで発砲があった可能性」


 古賀が言う。


「いつかは分からない」


 ルークは孔へ顔を近づけた。


 声を掛ける前に、言葉を選ぶ。


 こちらの人数も、施設の状態も、詳しく知らせない。


「こちら第三七号。聞こえるなら、一回叩いてください」


 間を置かず、こん、と返る。


「話せますか」


 何も聞こえない。


 孔の先で、微かな物音。布が擦れるような音。


 やがて、掠れた息が通ってきた。


『……聞こえます』


 女性の声だった。


 カイトが管理室から割り込む。


『録音開始。音量上げる。こっちでも聞こえてる』


 琴音の返事を待つ間、ルークは壁の向こうへいる人物を勝手に想像しないようにした。


 若い女かもしれない。


 高齢者かもしれない。


 武装者が声を変えているかもしれない。


 助けを求める相手だと決めつければ、警戒が緩む。罠だと決めつければ、本当に助けを待つ人を見捨てる。


 今分かっているのは、こちらの信号を理解し、声を出せる何者かがいるということだけ。


 判断は、次の情報を得てから。


「名前を言えますか」


『石塚……琴音』


「一人ですか」


 返事が遅れた。


 息を吸う音。


『生きているのは、私だけです』


 機械室にいた全員が動きを止めた。


 ルークは声の調子を変えないよう意識する。


「負傷していますか」


『右脚。切ったのか、撃たれたのか……暗くて分からない。歩けますけど、長くは無理です』


「水は」


『少しだけ。昨日から分けて飲んでる』


「食料は」


『ないです』


「息苦しさ、頭痛、吐き気は」


『頭が重い。息も、さっきより……』


 新城が換気設備の図面を探し始める。


 琴音のいる区画は密閉に近い。換気が止まっているなら、残り時間は多くない。


「そちらから扉を開けられますか」


『開けないで』


 弱かった声が、急に強くなった。


『私の部屋の外に、二人います』


「味方ではない?」


『白い札を探してる。昨日、野瀬さんを撃った人たちです』


 壁の向こうで何かが擦れた。


 琴音の息が止まる。


 遠くから、硬い靴音のようなものが一度だけ聞こえた。


『まだ帰ってない。さっきも廊下を歩いてた』


 第三七号の地下に、負傷した生存者。


 その外に武装者二人以上。


 この壁を開ければ琴音を救えるかもしれない。同時に、今まで存在すら知らなかった侵入口を、第三七号へつなぐことになる。


「石塚さん。こちらで方法を考えます。今は音を出さないでください」


『置いていかないで』


 その言葉は、考える間もなく返ってきた。


 ここまで二日か、それ以上。


 壁の向こうに人の声が届いた瞬間、また静かになれば、見捨てられたと思うだろう。


「置いていきません」


 ルークは言い切った。


「ただし、すぐ壁を壊すこともできません。あなたを助けた後、外の人間をこちらへ入れない方法を作ります」


『……はい』


「五分ごとに短く呼びかけます。返事が難しい時は、一回だけ叩いてください」


『分かりました』


 通信を切らず、音量だけ落とす。


 ルークは現実時刻を見た。


 午後九時二十分。


 明日は仕事がある。


 だが琴音の空気も、外の武装者も、朝まで保留してはくれない。


「新城さん、残りの空気を最悪条件で見積もってください。葛西さんは人が通れる開口部と、開けた後に閉じる方法を探す。古賀さんは片桐班長を呼んでください。真壁班長へ、地下側から武装者が侵入する可能性があると報告」


 管理室へ戻る前に、ルークは機械室の出入口を振り返った。


 もし敵が壁を越えてきた場合、最初に接触するのは浜田になる。そこを抜かれれば、管理室と医務室へ通じる分岐まで短い。


 葛西へ、使っていない金属棚を二つ動かしてもらう。通路を塞ぐのではなく、直進できない角度へ置く。搬送用の道は残す。


 古賀には、機械室内の照明を一度に消せる位置を確認してもらった。


 新城は閉域線のうち、地下側らしい回線を一時的に切り離す。向こうに設備が生きているなら、こちらの端末情報を読まれる可能性がある。


 声を聞いたからといって、救助だけに頭を占領されない。


 迎える準備と、拒む準備を同時に進める。


『ルークは?』


 カイトが聞く。


「救助計画を作る」


『寝ろって言われたばかりなのに』


「終わったら寝ます」


『それ、終わらないやつだろ』


 返事はしなかった。


 人を助けるだけなら、壁を壊せばいい。


 助けた一人と、第三七号にいる十九人を同時に守るには、開ける順番を決めなければならない。


 管理室へ戻る途中、結衣が通路の奥からこちらを見ていた。


「誰かいるの?」


 子供にも、壁の向こうの声が聞こえたのかもしれない。


「いる。今から迎えに行く準備をする」


「帰ってこられる?」


 ルークはすぐに「大丈夫」とは言えなかった。


「帰ってこられるようにする」


 結衣は少し考え、真由のいる医務室へ戻っていった。


 保証できないことを保証しない。


 それでも、やることは言葉にする。


 機械室の壁から、今度は一回だけ、小さな音がした。


 琴音がまだ起きているという合図だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ