第十一話 三回の音
『VRMMO -関東封鎖戦域-』
第十一話 三回の音
「引き継ぎから始めよう」
第三七号へ戻ったルークは、機械室へ向かおうとしていた足を管理室へ向け直した。
地下の壁から音がした。図面に載っていない空間がある。しかも、その向こうには誰かがいるかもしれない。
管理室へ来るまでにも、ルークは第三七号の変化をいくつか見ていた。
資材搬入口には、昨日までなかった鋼板の折れ曲がりが増えている。仮設障害物を通るには、一人ずつ身体を横へ向けなければならない。侵入者を止めるには頼りないが、勢いだけで駆け込むことはできなくなった。
医務室の前には、負傷者の状態を記した札が吊られていた。名前、処置時刻、水分量、次に確認する時間。真由の字と、途中から手伝ったセトの字が混じっている。
食料庫の扉にはミナトが作った残量表。
誰かが何かを決め、次の人が分かる形へ残していた。
ルークがいない間にも、第三七号は止まっていなかった。
それは嬉しいはずなのに、少しだけ落ち着かなかった。自分の知らない一日が、この場所には存在する。その当たり前のことを、管理責任者になってから初めて実感した。
気になるに決まっている。
それでも、留守にしていた一日の記録を飛ばすわけにはいかなかった。何が起きたか分からないまま新しい問題へ手を出せば、見落とした異常が後ろから追いついてくる。
真壁が管理代行中の報告を机へ並べた。
外周警報は一回だけ作動。原因は小動物。主電源、受水槽、医務室に異常なし。片桐たちは武装解除を継続し、負傷している佐伯も容体は安定している。
資材搬入口の補強は予定の七割まで進み、食料消費は見積もりの範囲内。
報告だけを読むなら、順調な一日だった。
ルークは人員一覧も開いた。
《通常住民 十五》
《一時滞在者 四》
《安全ログアウト中プレイヤー 二》
《施設内で行動可能 十三》
《重労働可能 六》
人数だけなら十九人いる。
だが、実際に今すぐ動ける者はもっと少ない。怪我をしている者、治療を担当する者、主扉を守る者、発電機を維持する者。全員を「使える人数」として数えれば、どこかが空になる。
宗一は会社でも、勤務表の人数と現場で動ける人数が違うことを何度も見てきた。
名前が載っているだけでは、荷物は運ばれない。
ここでは荷物ではなく、人の命が止まる。
「問題の音は午後七時四十二分」
真壁が記録紙の一か所を指で叩いた。
《機械室・西側隔壁》
《打音 三回》
《間隔 ほぼ一定》
《再発 二十八分後》
《発見者 葛西正信》
《立会者 高瀬真由、KITE》
「二度目の後は?」
「聞こえていない。ただし誰かを壁の前へ張り付けてもいない。警戒を薄くしてまで待つ音ではないと判断した」
「その判断で合っています」
「お前がそう言うと思って、葛西を止めるのが大変だった」
管理室の隅で、葛西が不満そうに鼻を鳴らした。
「壁の向こうに設備があるなら、確認するのが管理主任の仕事だ」
「元管理主任です」
「肩書は消えても、施設の腐り方は変わらん」
カイトが椅子の背へ寄り掛かる。
「それでさ、課長。壁の中から三回ノックって、だいぶホラーなんだけど」
「課長と呼ぶな」
「現実で本当に課長なんだから、間違ってないだろ」
結衣に「おかえり」と迎えられてから、まだ十分も経っていない。帰還の余韻は、地下からの打音にすっかり追い払われていた。
ルークは最後まで報告を読み、管理代行中の承認記録も確認した。
自分がいない間に、真壁、葛西、真由、カイトが何を決めたのか。判断理由まで残っている。
管理責任者不在モードは、少なくとも最初の一日は機能した。
「代行終了を承認します」
《管理責任者ROOK 接続》
《管理代行体制 終了》
《管理記録を引き継ぎました》
表示が切り替わる。
ルークは立ち上がった。
「では、壁を見ます。ただし、全員では行きません」
「十九人で見物するところだったのに」
「カイトは管理室で通信と記録。浜田さんは主扉。柴崎さんと片桐班長は資材搬入口の作業を継続してください」
片桐が眉を寄せる。
「地下に敵がいる可能性があるなら、俺も立ち会う」
「音の正体を確認する段階です。こちらの警戒配置を崩してまで武装者を集めません」
「俺たちは、その地下かもしれない場所から襲撃を受けた」
「だからこそ、主扉と搬入口を空けないでください。地下が囮だった場合、困るのはこちらです」
片桐は数秒、ルークを見た。
命令を断られた時のような険しい顔ではない。何を根拠に配置を決めたのか、測っている目だった。
「分かった。何か見つけたら呼べ」
「必ず」
機械室へ向かったのは、ルーク、葛西、新城、古賀の四人。
後から真壁が来ようとしたが、ルークは止めた。左腕を固定したまま梯子や狭い通路へ入られても、助ける側が増える。
「俺は管理室で全体を見る」
真壁は素直に引いた。
「お前が壁を開けたがったら止める役も必要だ」
「今すぐ開けません」
「今は、だろう」
機械室では非常用発電機が低く唸っていた。
金属と油の匂い。復旧した給水管から伝わる、かすかな水音。天井の照明は一部が死んでおり、明暗がまだらに床へ落ちている。
西側隔壁には、葛西が付けた白いチョークの丸があった。
高さは大人の胸ほど。見た目はほかの壁と変わらない。塗装が剥がれ、細い亀裂が何本か走っているだけ。
ルークは耳を当てた。
聞こえるのは発電機の振動と、自分の呼吸。
「配管の音では?」
新城が壁と床の境目を見ながら言った。
「最初はそう思った」
葛西が答える。
「だから一度、送水を止めた。発電機も負荷を落とした。換気扇も止めた。それでも二度目が鳴った」
「熱膨張は」
「その可能性も消えてはいない。だから壊してない」
葛西は不本意そうだったが、ルークがいない間に壁を開けなかった。それだけでも十分に信頼できる。
古賀が壁を軽く叩き、返る音を聞く。場所をずらし、同じことを繰り返した。
「この辺りだけ空洞に近い」
チョークの丸から床へ向けて、幅一メートルほど。
「奥行きは?」
「音だけでは分からない」
葛西が古い施設図を床へ広げた。
紙は端が擦り切れ、何度も折り直されている。現在の管理端末へ登録されている図面では、西側隔壁の向こうは地盤になっていた。
だが紙図面の端に、途中で消された細い線がある。
印刷のかすれではない。何かを上から塗り潰し、その上へ地盤を示す斜線を描き足している。
「配管か?」
ルークが聞く。
「太さが合わん」
葛西は指の腹で線をなぞった。
「人が立って歩ける幅でもない。点検路か、配線用の連絡孔。古い国民保護施設には、表の図面から外された通信区画が付く例があった」
新城が行政記録媒体を持ってきた。
完全な読取機はないため、表示できるのは索引と封印区分だけ。内容を無理に開けば媒体を壊す可能性がある。
《第三七号》
《補助通信設備》
《第三種封印》
《平面図から除外》
《運用主体 閲覧不可》
「補助通信設備は存在します」
新城は画面を拡大した。
「ただし位置も規模も分からない。第三種封印は、一般職員の図面から設備そのものを消す時に使われた区分です」
「何のために?」
「災害時の通信中継、行政回線、場合によっては重要人物の一時退避。施設ごとに違います」
「今も使える可能性は」
「閉域有線網が生きているなら、ゼロではありません」
スズメが第三七号へ接続できた理由。
新城の記録媒体に第三七号の名があった理由。
廃止されたはずの施設で、有線網だけが動いた理由。
いくつかの疑問が、壁の向こうへ集まり始める。
だからこそ危険だった。
欲しい答えを見つけた時、人は都合の悪い可能性を見落とす。
「音が鳴るまで待ちます」
ルークは時計を確認した。




