第十話 二つの日常(3)
『VRMMO -関東封鎖戦域-』
第十話 二つの日常(3)
翌朝。目覚ましが鳴る三分前に目が覚めた。午前六時十二分。宗一は天井を見ながら、最初に人数を数えようとした。住民十五人。一時滞在者四人。負傷者――そこで、自宅だと思い出す。十九人分の呼吸音も、発電機の振動もない。聞こえるのは、冷蔵庫の低い音と、遠くを走る始発列車だけだった。起き上がり、カーテンを開ける。朝の東京は、壊れていない。道路には自動配送車が走り、駅へ向かう人々が歩いている。
信号は正常に点灯し、コンビニには水も食料も並んでいる。ゲームで見た関東と同じ地名。まるで違う景色。トーストを焼き、卵を一つ茹でる。麦茶をコップへ注ぐ。いつもなら立ったままニュースを見ながら食べるが、今日は椅子へ座った。食べられる時に食べる。水分を取る。疲れる前に休む。黒瀬教官の声が頭へ残っている。
「ゲームに生活を指導されるとはな」
独り言へ答える者はいない。出勤前に連携アプリを確認する。
《夜間報告》
《外周警報:第一系統 一回作動》
《原因:小動物》
《施設侵入:なし》
《佐伯:容体安定》
《訪問者対応:なし》
《主電源:正常》
《管理代行者からの報告:地下区画への調査は実施していない》
最後に、真壁から短い記録があった。
《予定通り進行中。仕事へ行け》
宗一は画面を見つめた。NPCから届いた文章。決められた台詞かもしれない。状況に合わせて生成された応答かもしれない。どちらでも、言っていることは正しい。アプリを閉じ、家を出た。午前八時二十七分。宗一が事務所へ入ると、篠宮蓮はすでに自席で端末を睨んでいた。目の下に薄い隈がある。
「おはようございます、課長」
「おはよう。寝たか」
「第一声がそれですか」
「顔に書いてある」
「三時間半は寝ました」
「寝たうちに入らない」
「課長も人のこと言えます?」
「六時間は寝た」
「負けた」
勝負ではない。宗一は上着を掛け、業務端末を起動する。始業前の一覧へ、赤い警告が三件出ていた。
《首都圏西部自動輸送路:一部停止》
《冷蔵便車両:一台運行不能》
《午前指定荷物:積載超過》
ゲームの通知に比べれば、銃も出血もない。だが、放置すれば商品が届かず、取引先が困り、現場の誰かが謝ることになる。
「篠宮、西部便の代替経路は」
「高速側へ回すと、到着が二時間遅れます。一般道は積載制限で大型が通れません」
「冷蔵車は」
「予備車が整備中。近隣営業所は全部埋まってます」
「午前指定の中身」
「病院向け衛生材料、チェーン店の冷凍食品、個人向けが二百四十件です」
宗一は一覧を開く。全部を同じ優先度で扱えば、全部が遅れる。何を先へ送るか。何を待たせるか。誰へ説明するか。
「病院向けを小型冷蔵便へ分割。営業所のルートを二台借りる」
「その二台、昼便が遅れます」
「昼便の一般商品は、夕方便へ統合。個人向けは午前指定を守れる分だけ載せる。残りは遅延連絡を先に出す」
「チェーン店は?」
「先方の店舗在庫を確認。今日の午前分がなくても営業できる店を後ろへ回す」
「全部今日中に、って部長から来てます」
篠宮が上位者からのメッセージを表示する。
《重要顧客案件。遅延を出さず全件処理すること》
送り先の状況。使える車両。責任者。何も書かれていない。命令だけが先に来ている。
「全件処理に必要な追加車両数と費用を返して」
「確認じゃなくて、見積もり?」
「実行しろと言うなら、必要な条件を出す。車両なしで荷物は動かない」
「部長、機嫌悪くなりますよ」
「荷物が届かないよりはいい」
篠宮が少し笑う。
「何だ」
「いや。昨日も似たこと言ってそうだなと思って」
「何の話だ」
「ゲームですよ」
宗一は画面から顔を上げた。篠宮の隈は、仕事のせいではないらしい。
「本編へ入れたのか」
「聞かないでください」
「まだか」
「最終試験、三回落ちました」
「何をした」
「一回目は敵を追いすぎて避難車両が出発。二回目は負傷者を助けてたら燃料切れ。三回目は物資を積みすぎて橋が封鎖されました」
「全部、帰る条件を先に確認していない」
「簡単に言いますけどね」
「簡単ではない」
宗一は病院向け荷物の一覧へ視線を戻す。
「撃てる敵から先に考えると、他が見えなくなる。誰を、どこへ、いつまでに帰すかを先に決めろ」
「課長、最終試験突破したんですか」
「した」
「何回目で?」
「一回」
篠宮の手が止まった。
「……何人で?」
「十一人」
「全員?」
「全員だ」
篠宮は数秒、宗一の顔を見た。それから端末を操作し、周囲へ見えないように画面を傾ける。公式掲示板の投稿だった。
《車列襲撃+EMP》
《十一人生還》
《旧防災施設へ到達》
《同条件の報告は現在一件のみ》
「これ」
「仕事中だぞ」
「課長ですよね?」
「似た条件の別人かもしれない」
「一件のみって書いてある!」
「掲示板の情報を信用しすぎるな」
「その言い方がもう本人なんですよ」
宗一は返事をしなかった。篠宮が、声を潜める。
「プレイヤー名、何です?」
「教えない」
「ずるい」
「まずチュートリアルを終わらせろ」
「ヒントくださいよ」
「もう言った」
「全員を帰す?」
「帰れない条件を先に消せ」
篠宮は少し考え、端末へメモした。仕事のメモ欄ではなく、個人端末へ。
「今日、四回目行きます」
「先に寝ろ」
「それは無理です」
「なら、また落ちる」
「課長、教官みたいになってません?」
「悪い教官ではなかった」
篠宮が何かを聞こうとした時、部長から返信が来た。
《追加車両費、高すぎる》
《既存便で工夫できないか》
宗一は必要車両数、積載量、温度管理条件、遅延対象数を添えて返す。
《既存便のみでは全件の午前配送は不可能です》
《優先順位をご指定ください》
《指定がない場合、医療用途を最優先として当方判断で処理します》
送信。篠宮が横から見る。
「ゲームでも、こんな感じなんですか」
「何が」
「相手に決めさせるところ」
「責任者へ責任を返しているだけだ」
「怖い課長だ」
「仕事をしろ」
「はい」
八時五十九分。始業時刻になる。事務所の照明が業務モードへ切り替わった




