第十話 二つの日常(2)
『VRMMO -関東封鎖戦域-』
第十話 二つの日常(2)
外周警報線の三系統化が終わったのは、ゲーム内時刻で午後九時を回った頃だった。第一系統は、公園東側。第二系統は、資材搬入口へ続く斜面。第三系統は、換気設備の北側。一つが切られても、別方向からの接近を判別できる。原始的な金属線と小型発音器。閉域端末へつながる簡易接点。高度な監視装置ではない。だが、EMPで電子機器が死んだ最終試験を経験したルークには、単純な仕組みの方が頼もしく見えた。
「通信記録、三経路へ保存完了」
カイトが報告する。
「第三七号の管理端末。有線網の待避領域。それと紙」
机の横には、会話記録の要点を書いたファイルが増えている。
「紙が一番強い場面が来るとは思わなかった」
「燃えるし濡れる」
「夢を壊すなよ」
「だから三つ残す」
資材搬入口の内側には、仮設障害物と監視位置が完成した。正面の主扉には、訪問者手順が貼られた。片桐たちも、第三七号の規則へ署名している。
《タスク:扉の内と外》
《達成》
《報酬》
《拠点機能:訪問者管理》
《外周警戒効率:上昇》
《不意の侵入判定:低下》
《住民安心度:小上昇》
《追加》
《安全ログアウト時の管理代行設定が解放されました》
ルークは最後の表示を開く。
《管理責任者不在時設定》
《管理代行者》
《権限範囲》
《緊急時の自動通知》
《ログアウト中の判断保留条件》
「やっと、課長が帰れる機能が出た」
カイトが言う。
「誰が課長だ」
「動きが完全に課長なんだよ」
「現実でも、似た仕事をしている」
「やっぱり課長なの?」
ルークは一瞬、答えるのを迷った。現実側の個人情報をどこまで話すか。だが、年齢も職業も完全に隠しているわけではない。
「物流会社で課長をしている」
「嘘だろ」
「なぜ驚く」
「ゲームの中まで仕事してるじゃん」
「好きでしているわけじゃない」
「説得力ないな」
カイトは声を上げて笑った。管理端末へ、現実時刻が小さく表示されている。
《22:18》
明日は出勤日だった。ゲーム内の時間は、現実と同じ速度で進む。第三七号に地下区画があるからといって、会社が休みになるわけではない。
「俺はログアウトします」
ルークが言う。口に出した瞬間、妙な感覚があった。十九人が施設内にいる。負傷者がいる。外に敵がいる可能性がある。その状態で、自分だけ消える。
「そうしろ」
真壁が答えた。
「管理代行は俺が受ける」
「真壁班長も負傷中です」
「実作業は浜田と古賀へ振る。扉の開放は葛西との二名承認。医療判断は高瀬。通信は、接続中のプレイヤーへ任せる」
「片桐班長への対応は」
「今夜は一時滞在者だ。佐伯の状態が安定するまで武装させない。外部通信は記録する」
「地下区画は」
「触らない」
「御子柴主任から返信が来た場合は」
「命令書の原文と監察回線の回答が一致するまで保留する」
用意していた答えが、すべて返ってくる。ルークは管理画面へ代行設定を入力した。
《管理代行者:真壁仁》
《施設開閉共同承認:葛西正信》
《防衛担当:浜田剛》
《外周担当:古賀》
《医療担当:高瀬真由》
《通信記録:接続中プレイヤー》
《自動通知条件》
《外周警報二系統以上の同時作動》
《施設内重傷者発生》
《主電源停止》
《第三七号住民の死亡》
《地下接続候補の状態変化》
最後の項目へ指を止める。
「地下が勝手に開くことってある?」
カイトが聞いた。
「ないと思いたい」
「入れとこう」
「入れる」
《設定完了》
《管理責任者不在モードを開始しますか》
承認ボタンが表示される。押せば、第三七号は自分の手から離れる。離れるのではない。任せる。宗一は仕事で、何度も部下へ任せろと言われてきた。自分でやった方が早い。説明するより、自分で処理した方が確実だ。そうして抱え、遅れ、周囲を待たせた。課長になってからようやく、自分がやらないことも仕事なのだと知った。ルークは承認を押した。
《管理責任者不在モード:開始》
《第三七号は管理代行体制へ移行しました》
「明日の夜、戻ります」
「残業しなければ?」
カイトが聞く。
「する前提で聞くな」
「課長って大変だな」
「お前は」
「大学。二限から」
「寝ろ」
「管理代行に命令されたくないんだけど」
安全ログアウト区画へ向かう。通路では、高瀬結衣が毛布を抱えて立っていた。
「ルークさん、帰るの?」
「一度、外へ戻る」
「外?」
ゲーム世界の外。NPCである結衣へ、どう説明されているのか分からない。
「遠いところの仕事だ」
「明日くる?」
「夜には」
結衣は少し考え、毛布の端を握り直した。
「じゃあ、おかえりって言う」
「まだ出ていない」
「れんしゅう」
その答えに、ルークは困ってから頷いた。
「分かった」
安全ログアウト区画の簡易寝台へ横になる。PTIDへ確認が表示された。
《安全ログアウト》
《アバターは休眠状態へ移行します》
《装備および所持品は個人保管領域へ固定されます》
《ゲーム内時間は継続します》
《拠点の住民、負傷者、作業、襲撃判定は停止しません》
《ログアウトしますか》
第三七号の発電機が低く振動している。配管を水が流れる。通路の向こうから、工具の片付けられる音がする。世界は止まらない。それでも今夜は、自分がいなくても回るようにした。
「ログアウト」
視界が暗くなった。頭部リングが上がる。宗一は、自宅のリクライニングチェアで目を開けた。部屋は暗い。カーテンの隙間から、向かいの集合住宅の明かりが見える。壁時計は午後十時二十一分。第三七号で見た時刻から、ほとんど進んでいない。当たり前のことなのに、妙に不思議だった。脇腹へ手を当てる。傷はない。服の下には、会社員として少し緩んだ腹と、何日か運動をさぼった身体があるだけだ。それでも、撃たれた場所が重い気がした。
背中には、装備を下ろした後のような感覚が残っている。立ち上がる。膝が少し固い。実際に十五キロを背負って歩いたわけではない。フルダイブ装置の姿勢維持機能が、一定間隔で筋肉へ微弱な刺激を与えていただけだ。だが、脳は歩いたと信じている。
「……会社より疲れてるな」
冷蔵庫を開ける。中には、半分残った麦茶。卵。豆腐。昨日買った惣菜。缶詰が二つ。第三七号なら、人数と消費時間を計算していた。自宅では、一人分しかない。宗一は麦茶を飲み、簡単にシャワーを浴びた。会社端末には、未読が二件。緊急連絡ではない。明日の配送計画について、部下が確認を求めている。今すぐ返す必要はなかった。ゲームの連携アプリにも通知が来ている。
《第三七号:管理代行中》
《外周警報:異常なし》
《佐伯:治療継続》
《地下接続候補:変化なし》
操作できるのは、通知条件と接続予約だけ。扉を開けることも、物資を動かすこともできない。現場へいない人間が、外から細かく指示を出し続けられないようになっている。宗一は通知を閉じた。明日の朝、会社で眠くならないようにする方が先だ。午前零時前には布団へ入った




