第八話 三件の照会
『VRMMO -関東封鎖戦域-』
第八話 三件の照会
《外部からの照会要求:3件》
表示は、何度見ても減らなかった。第三七号の生活区画では、飲用可能になった水が容器へ移されている。蛇口の前では、高瀬結衣が両手でカップを持ち、一口ずつ大切そうに飲んでいた。その少し離れた場所で、高瀬真由が使用量を記録している。水が戻った。十五人が、少なくとも今夜は渇かずに済む。それでも管理室の空気は、南部排水ポンプ管理棟へ出発する前より重かった。
《拠点警戒レベル:2》
《理由:重要情報保有者の滞在》
《推奨:出入口の監視強化》
《推奨:外部通信の制限》
《推奨:保護対象の移送、または防衛準備》
「保護対象を移送、ね」
カイトが端末の表示を読む。
「どこへ移すんだよ」
「それを決めさせるための照会かもしれない」
ルークは三件の通知を開かず、時刻を確認した。第七話の最後にカイトと決めた二十五分は、すでに過ぎている。
「三十七分」
カイトが言った。
「何がだ」
「報告をまとめたら休むって言ってから」
「途中で飲用確認が入った」
「仕事が増えたら、休憩を消していい契約だったか?」
「違う」
「じゃあ寝ろ」
ルークは管理端末を見る。三件の照会。新城透の行政記録媒体。警戒レベルの上昇。どれも、眠っている間に消えそうにはない。
「先に照会元だけ確認する」
「真壁班長を呼ぶぞ」
「それは卑怯だな」
「効果があるから使う」
前にも同じことを言っていた。ルークは端末から手を離した。
「四十分」
「一時間」
「四十五分」
「五十分」
「分かった」
カイトが満足そうに頷く。
「交渉が上手くなったな」
「相手がすぐ折れるからだ」
「管理室は任せる」
「いや、俺も寝る」
「誰が見る」
カイトは通路を指した。そこには、右腕だけで書類を持った真壁が立っていた。
「聞こえていた」
真壁が言う。
「二人とも休め。照会は俺と浜田で確認する」
「班長も負傷者です」
「お前より長く寝た」
「それなら」
「反論は一回までだ」
ルークは口を閉じた。管理責任者になってから、命令される機会が減った。減っただけで、なくなったわけではない。
「五十分後に起こしてください」
「状態が悪ければ起こさない」
「照会が動いた場合は」
「俺が判断する」
ルークは真壁を見る。その言葉へ任せられるかを考えた。考えた時点で、答えは出ている。
「了解しました」
休眠区画へ向かう途中、医務室の前を通る。新城は簡易寝台に横たわり、右脚を固定されていた。高瀬真由が水分を取らせている。
「管理端末へ触らせてください」
新城がルークへ言った。
「休んでください」
「記録媒体を読める端末があるか確認するだけです」
「あなたは三日間寝ていない」
「今は眠れません」
「俺も同じことを言いました」
新城は少し眉を寄せる。
「結果は」
「寝かされます」
「管理責任者でも?」
「管理責任者だからです」
真由が、新城の肩まで毛布を掛けた。
「高瀬さん」
「ここでは、患者です」
「俺が持ってきた情報のせいで――」
「情報は逃げません」
真由は静かに言った。
「あなたは壊れます」
新城は何か言い返そうとした。だが、言葉が続かなかった。ルークは医務室を離れる。発電機の振動。配管を流れる水音。入口を警戒する足音。第三七号は動いている。自分が目を閉じても、止まらない。そうでなければ、拠点とは呼べない。簡易寝台へ横になる。五十分後のことを考える前に、意識が落ちた。
《休息時間:1時間18分》
目覚めた瞬間、ルークは表示を二度見した。一時間十八分。予定より二十八分長い。起き上がると、身体の重さは少し減っている。脇腹の痛みも、出撃前より弱かった。管理室へ入る。真壁は机の前に座り、紙へ三件の照会内容を書き写していた。電子情報だけへ頼らないためだろう。カイトはすでに起きており、端末の横で保存食を食べている。
「起こさなかったな」
ルークが言う。
「状態が悪ければ起こさないって言われただろ」
「誰の判断だ」
「高瀬さん」
反論できる相手ではなかった。
「三件は」
真壁が紙を渡す。
「内容だけ開いた。返信はしていない」
一件目。
《送信元:八洲共同警備機構・東部第九管区臨時連絡所》
《認証状態:一部一致》
《要求:新城透および行政記録媒体の保護移送》
《移送先:東部第九補給集積所》
《期限:6時間》
《提供:医療物資、燃料、施設修理部品》
二件目。
《送信元:関東南部共同復旧会》
《認証状態:確認不能》
《要求:行政記録媒体に含まれる給水・電力設備情報の共有》
《提供:技術者二名、浄水資材、燃料》
《補足:新城透本人の移送は不要》
三件目。
《送信元:匿名》
《経由:西部契約市場》
《認証状態:なし》
《要求:行政記録媒体の原本》
《提供:指定装備一式、弾薬、医薬品、発電用燃料》
《追加:保有者本人を伴う場合、報酬増額》
「三件目、露骨すぎないか」
カイトが言った。
「分かりやすい分、一番ましとも言える」
真壁は答える。
「少なくとも、何を欲しがっているか隠していない」
「一件目は八洲だぞ。俺たちの所属先じゃないのか」
「認証は一部一致だ」
真壁が紙の端を指す。
「正式な指揮系統が生きていれば、完全一致するはずですか」
ルークが聞く。
「通常はな。ただし通信網が壊れ、臨時拠点を継ぎ足していれば、古い証明書を使うことはある」
「本物か偽物か分からない」
「本物でも、誰の命令か分からない」
所属組織からの要求だから従う。平時なら、それで済んだかもしれない。今の関東では、組織名が残っていても、中身まで同じとは限らない。
「新城さんは」
「起きている」
医務室では、新城が上半身を起こしていた。顔色はまだ悪い。だが、少なくとも制御室で倒れていた時よりは、目に焦点がある。葛西も椅子へ座っている。濡れた服は替えていたが、膝へ毛布を掛けていた。
「照会を見せてください」
新城が言う。ルークは紙を渡した。新城の目が、一件目の送信元で止まる。
「東部第九管区臨時連絡所」
「知っていますか」
「名称は知っています。大震災直後に、物流拠点を転用して作られた連絡所です」
「現在も八洲が使っている?」
「分かりません」
「依頼主では」
「違います」
新城は紙を握る指へ力を入れた。
「俺が所属していたのは、関東南部広域復旧連絡室です。行政、電力、通信、水道の技術者を集めた臨時組織だった」
「二件目の共同復旧会は」
「聞いたことがない。似た名前を使っているだけかもしれません」
葛西が鼻を鳴らす。
「役所の組織は、壊れるたびに名前だけ増える」
「否定できません」
「記録媒体には何が入っている」
真壁が聞いた。新城は、少し迷ってから答えた。
「関東南部に残っている非常用インフラの調査記録です」
「具体的に」
「閉域有線網。非常電源。地下貯水槽。災害時給水管。停止した避難施設。行政倉庫。復旧できる可能性がある中継局」
カイトが目を見開く。
「宝の地図じゃん」
「使い方によっては」
新城は続ける。
「水を出せる場所が分かれば、人を助けられる。電力を戻せる場所が分かれば、病院や避難所を動かせる」
「逆なら」
ルークが聞く。
「どこを止めれば地域が干上がるかも分かる」
医務室が静かになる。第三七号の水は、北側弁を閉められただけで止まった。同じことを、もっと大きな範囲でできる情報。避難所を救う記録であり、避難所を従わせる武器でもある




