第七話 水の道
『VRMMO -関東封鎖戦域-』
第七話 水の道
水は、食料より静かに減っていく。空腹は腹が鳴る。燃料が減れば、発電機の音と残量計が教えてくれる。だが水は、蛇口をひねった時に初めて、なくなったことが分かる。第三七号の管理端末には、そんな猶予のない数字が表示されていた。
《現在人員:14》
《安全な飲料水:推定14時間36分》
《生活用水:推定9時間12分》
《給水設備:供給圧低下》
《タスク:水の道》
《目的:南部排水ポンプ管理棟を調査する》
《補足:第三七号の水は、そこから来ている》
配送センターから帰還して、まだ四十分しか経っていない。運び込んだ食料は、高瀬真由とミナトが数量を確認している。古賀は搬送車の泥を落とし、カイトは空になった背嚢を床へ放り出したところだった。ルークは紙地図に、第三七号から南部排水ポンプ管理棟までの線を引いていた。
「今から行く気か」
医務室の入口から、真壁が聞いた。
「水が止まった理由だけでも確認します」
「質問に答えろ」
「準備ができ次第、出ます」
「不許可だ」
短い声だった。ルークが顔を上げる。真壁は左腕を固定し、まだ顔色も悪い。それでも、目だけは最終試験の時と変わらなかった。
「管理責任者は、俺です」
「だから止めている」
「水は十四時間しかありません」
「お前の身体は、何時間動ける」
ルークは答えなかった。配送センターまでの往復は、距離だけなら長くない。だが、食料箱を積んだ搬送車を引き、追跡を避け、三人分の歩調を見ながら戻った。脇腹の傷は、鈍く熱を持っている。足の裏には、靴の形に疲れが残っていた。
「自己評価を言え」
真壁が続ける。
「歩行可能。判断力に問題なし。傷口の悪化は――」
「高瀬さん」
真壁が呼ぶ。物資表を持っていた真由が、こちらを見た。
「管理責任者の顔を見て、出撃可能だと思うか」
「思いません」
返事が早い。
「目が充血しています。手も少し震えています。傷も確認した方がいいです」
「二対一だな」
「多数決で決めることではありません」
ルークが言う。
「そうだ。状態で決める」
真壁は壁へ肩を預けた。
「二時間寝ろ。その間に人員と装備を準備する。起きて状態が悪ければ、お前は残れ」
「二時間で水は減ります」
「お前が途中で倒れれば、もっと減る」
ルークは管理端末の数字を見る。14時間36分。二時間を使えば、十二時間台になる。焦りはあった。だが、第五話で増えた十四人の中には、自分も入っている。浜田から言われた言葉を思い出す。人の人数を数える前に、自分を一人に含めろ。
「一時間半」
ルークが言った。
「二時間だ」
「移動準備に三十分使えます」
「一時間四十五分」
「分かりました」
「交渉成立だな」
カイトが床へ座り込んだまま笑う。
「じゃあ俺も寝る」
「君は先に食べろ」
「子供かよ」
「帰り道で足が止まりかけていた」
「見てたのか」
「最後尾だからな」
カイトは不満そうな顔をしたが、真由から渡された保存食を受け取った。ルークは休眠区画へ向かう。横になる前に、管理端末で作業を割り振った。浜田は入口警戒。真壁は施設内指揮。セトとミナトは物資の整理。真由は飲料水の配分と負傷者の確認。葛西には、南部排水ポンプ管理棟の資料確認。カイトと古賀には出撃準備。入力を終えたところで、背後から声がした。
「寝る前まで仕事を振るな」
真壁だった。
「忘れると困るので」
「忘れたら、残っている人間が決める」
ルークは返事をせず、簡易寝台へ身体を横たえた。発電機の振動が床から伝わる。人の足音。小さな話し声。物を運ぶ音。昨日まで、第三七号にはなかった生活の音だった。目を閉じる。一時間四十五分後に起きられるかと考える前に、意識が落ちた。目を開けると、PTIDの通知が視界の端に出ていた。
《休息時間:1時間47分》
《心拍:安定》
《疲労推定:中》
《出撃推奨:条件付き》
目覚ましより二分遅い。現実なら、誤差だと思っただろう。今は、その二分を記憶した。休眠区画を出ると、管理室の机に紙の施設図が広げられていた。葛西が工具箱を椅子代わりにして座っている。
「顔色は、さっきよりましだな」
「ありがとうございます」
「褒めてない」
葛西は図面の一点を指した。
「第三七号の水は、昔の共同防災管から来ている」
図面には、南部排水ポンプ管理棟から枝分かれする複数の管路が描かれていた。第三七号。北西臨時避難所。南部集合住宅。市立第二中学校地下備蓄庫。現在も使われているかは分からない施設名が、細い線でつながっている。
「排水ポンプなのに、飲み水を送るんですか」
カイトが聞いた。
「正式には、雨水排水と災害時給水の複合管理棟だ。長いから誰もそう呼ばん」
「水はどこから」
「平時は上水道。非常時は地下貯水槽と深井戸。管理棟で簡易処理して各施設へ送る」
葛西は第三七号へ伸びる線を爪でなぞった。
「ここの圧が落ちているなら、ポンプが止まったか、途中の弁を閉められたか、管が割れたかだ」
「直せますか」
「見ないと分からん」
「葛西さんに同行をお願いします」
管理室の空気が止まった。真由が顔を上げる。
「葛西さんを外へ?」
「設備を見られる人が必要です」
「俺は行くと言った覚えはないぞ」
葛西が言う。
「依頼しています」
「断ったら」
「別の方法を探します」
「水が十四時間しかないのに?」
「無理に連れて行けば、住民ではなく道具になります」
葛西は、しばらくルークの顔を見た。
「荷物は持たん」
「構いません」
「走れん」
「走らない経路を選びます」
「撃ち合いになったら役に立たん」
「撃ち合いにしない努力をします」
「努力で弾が止まるか」
「止まりません」
ルークは答えた。
「それでも、設備を知らない四人で行くより帰還率は上がると考えます」
葛西は工具箱を開いた。中身を見て、数点だけを小さな布袋へ移す。
「工具箱は置いていく」
「ありがとうございます」
「礼は水が出てから言え」
出撃するのは四人になった。ルーク。カイト。古賀。葛西。前回より一人多い。戦える人数は同じだった。ルークは装備を軽くした。弾薬は必要最低限。飲料水は四人で分散。搬送車は持たない。代わりに、折り畳み式の担架と空の水袋を持つ。
「水を持ち帰るんじゃないのか」
カイトが空の水袋を持ち上げる。
「配管が直らなかった場合の予備だ」
「直ったら無駄になる」
「無駄にできれば成功だ」
葛西が鼻で笑った。
「会社員らしい荷物だな」
第三七号の鋼鉄扉が開く。外は、雨上がりだった。空はまだ灰色だが、雲の切れ間から弱い光が差している。公園の水たまりへ、錆びた遊具が映っていた。出発前、結衣が入口室まで来た。
「水、持ってくる?」
ルークは少し考える。
「水が通る道を見てくる」
「道が壊れてるの?」
「多分な」
「直せる?」
「直せる人と一緒に行く」
結衣は葛西を見た。
「おじいちゃん、直せる?」
「見ないと分からん」
同じ返事だった。だが結衣は、その答えで納得したように頷いた。
「帰ってきてね」
「お前も水を使いすぎるな」
「使ってないよ」
「なら、そのまま待ってろ」
葛西は振り返らずに外へ出た。ルークたちも続く。扉が閉じる直前、結衣が手を振った。四人で出て、四人で帰る。その数を、ルークは最初に決めた




