第六話 十四人分
『VRMMO -関東封鎖戦域-』
第六話 十四人分
紙地図の上に、三本の線が引かれていた。第三七号。南部排水ポンプ管理棟。その途中にある、小規模配送センター。直線で見れば、一・二キロほど。だが、地図の上を指でなぞるだけなら、道路の崩落も、敵の位置も、荷物の重さも存在しない。
「往復で二・四キロ」
カイトが言った。
「近いな」
「空の荷物ならな」
ルークは地図の横へ物資一覧を置いた。
《現在人員:14》
《安全な飲料水:推定17時間分》
《食料:推定6時間分》
《発電設備継続稼働:推定31時間》
《タスク:十四人分》
《第三七号の食料を24時間分確保する》
数字だけなら、足りない分は十八時間。だが、人は一時間ごとに同じ量を食べるわけではない。子供。負傷者。警戒に立つ者。重い荷物を運ぶ者。必要量は、役割によって変わる。
「十四人分を一回で運ぶ必要はない」
ルークは言った。
「今日を越える量を確保する。残りは、施設の安全を確認してから二回目を考える」
「二回行く方が危なくないか?」
セトが椅子へ座ったまま聞いた。足首の固定具は外れていない。
「一回で全部持とうとして動けなくなる方が危険だ」
「講習と同じだな」
「ようやく役に立つ」
「最初から役に立ってただろ」
カイトが笑う。管理室の壁際には、持ち出す装備が並べられていた。小銃三丁。予備弾倉。応急用品。飲料水。紙地図。空の背嚢三つ。そして、葛西が施設倉庫から見つけた折り畳み式の搬送車。避難所で毛布や水箱を運ぶためのものらしい。片方の車輪が固まっていたが、葛西と古賀が動くようにした。
「ただし、静かではない」
葛西が搬送車の車輪を回す。軸から、かすかな金属音がした。
「舗装路ならまだいい。瓦礫の上を引けば、百メートル先でも分かる」
「運ぶ時だけ使います」
「使う時には、荷物が載っている」
「でしょうね」
「途中で捨てる判断も忘れるな」
葛西は工具箱から小さなレンチを一本抜き、古賀へ渡した。
「これだけ持っていけ。車輪が緩んだ時に使う」
「工具箱ごと借りた方が早い」
「全部持っていって、食料を置いて帰る気か」
古賀はレンチを受け取った。
「一本でいい」
二人の会話は相変わらず短かった。出撃するのは、ルーク、カイト、古賀の三人。浜田は入口防衛。真壁は負傷者と施設内の指揮。セトとミナトは、動ける範囲で物資管理と警戒補助。他のプレイヤーは交代で休息し、接続復帰後に留守番へ加わる。十四人いるからといって、十四人で外へ出るわけにはいかない。第三七号に残る者がいるから、出られる者がいる。
「食料を見つけたら、何を基準に持って帰る?」
真壁が聞いた。
「密閉状態、保存性、重量、調理の必要性」
ルークが答える。
「次に、全員へ分けられるか。子供と負傷者が食べられるか」
「嗜好品は」
「余裕があれば」
「燃料は」
「食料を圧迫しない範囲で回収します」
「武器と弾薬」
「任務に必要な装備より優先しません」
カイトが手を上げた。
「すごく高い銃が落ちてた場合は?」
「持てるなら持て」
「おっ」
「食料を置かずに持てるならな」
「ですよね」
真壁がルークの脇腹を見る。
「傷は」
「安定しています」
「痛み止めで隠れているだけじゃないか」
「歩行、屈伸、呼吸に問題なし。出血も増えていません」
「撤退基準は」
「出血再開、搬送が必要な負傷者の発生、敵の継続追跡、正午までに食料を確認できない場合」
「欲張るな」
「了解」
医務室の入口から、高瀬結衣がこちらを見ていた。毛布はもう肩に掛けていない。顔色も、昨日よりは戻っている。
「ごはん、取りに行くの?」
「そうだ」
ルークが答える。
「何がいい」
「聞くのかよ」
カイトが小声で言う。結衣はしばらく考えた。
「甘いの」
「食事になる物が先だ」
「じゃあ、あったらでいい」
「約束はできない」
「うん」
子供は、それで納得した。大人より話が早かった。第三七号の扉が開く。公園は、昨日の戦闘が嘘だったように静かだった。遊具に残った弾痕。泥へ刻まれた足跡。雨で薄くなった血の跡。痕跡だけが、ここで起きたことを覚えている。古賀が先に出る。カイトが搬送車を畳んだ状態で背負い、ルークが最後尾を確認する。扉が閉じる。外から見れば、蔦に覆われたコンクリートの丘へ戻った。
「本当に見えないな」
カイトが振り返る。
「だから発電機の排気で葛西さんに見つかった」
「隠れてても生活すれば跡が出るってことか」
「人が増えれば、もっと出る」
水
煙。廃棄物。足跡。出入りする人間。拠点を大きくするほど、防御設備だけでは隠せなくなる。第三七号は安全になっているのではない。守るべきものが増えているだけだった。三人は排水路へ下りた。昨夜より水位は低い。だが、壁際には流木とごみが溜まり、足場は悪い。PTIDの地図には、第三七号周辺だけが薄く表示されている。敵も、物資も、安全地帯も表示されない。自分で確認した道と、紙地図から入力した情報だけだ。
「掲示板じゃ、出撃した瞬間に狙撃された奴もいるらしい」
カイトが声を落として言った。
「今、言う必要があるか」
「注意喚起」
「声量を下げる方が先だ」
古賀が振り返らずに言う。カイトは黙った。排水路を南へ進み、住宅地へ上がる。道路には放置車両が並んでいた。窓ガラスの割れた軽自動車。前輪を失った配送バイク。横転した路線バス。人の姿はない。だが、誰もいない場所ほど、誰かが見ている可能性がある。ルークは建物の窓を一つずつ見た。カーテンの動き。光の反射。新しい足跡。開いたばかりの扉。敵を見つけるためではない。近づくべきでない場所を見つけるためだ。
「正面の交差点、通らない」
ルークが言う。
「地図では最短だぞ」
カイトが答える。
「道路中央に新しい薬莢がある。車の陰にも靴跡」
古賀が確認する。
「複数。まだ濡れていない」
三人は一本手前の路地へ入った。五分ほど遠回りになる。銃声は聞こえなかった。誰にも会わなかった。それでよかった。出撃してから二十七分。配送センターが見えた。二階建ての事務棟と、背の低い倉庫。看板の文字は半分落ちている。正面シャッターは閉鎖。側面の搬入口だけが、人一人通れる高さまで持ち上げられていた。
「誰か入ってる」
カイトが言う。
「入っていた、かもしれない」
ルークは泥を見る。搬入口へ向かう足跡。外へ出る足跡。大人二人分。一つは底の細い靴。もう一つは作業靴。新しい。
「戻るか?」
「目的地を確認してから決める」
古賀が先に入り、ルーク、カイトが続く。倉庫内は暗かった。高窓から入る光が、床の一部だけを照らしている。空の段ボール。倒れた商品棚。破られた包装。ほとんどの場所は、すでに荒らされていた。
「遅かったか」
カイトが呟く。
「全部持ち出せたとは限らない」
ルークは倉庫の奥を見る。重い物。高い場所にある物。見つけにくい物。使い方が分からない物。略奪された後にも、残る物はある。三人は互いに見える距離を保ったまま進んだ。空の冷蔵棚。割れた飲料瓶。湿気を吸った紙箱。水に浸かった食品は使えない。膨らんだ容器も避ける。見つけても、食べられるとは限らない。倉庫中央で、金属が擦れる音がした。三人が止まる。棚の向こう側。人の気配。
「いるのは分かっている」
男の声がした。
「こっちも三人だ。近づくな」
古賀が銃を向ける。ルークは撃たなかった。
「こちらは物資回収です。戦闘の意思はない」
「みんなそう言う」
「なら、互いに見える位置まで一人ずつ出る」
「武器を下ろせ」
「そちらが先なら」
沈黙。どちらも先には動かなかった。カイトが小声で言う。
「こういう時、ゲームなら名前とか所属が出ない?」
「出ないから話してる」
棚の向こうから、別の声がした。若い女性だった。
「白石さん。時間ないよ」
「分かってる」
男――白石が言う。
「俺だけ出る。そっちも一人だ」
「俺が出ます」
ルークは銃口を下へ向け、棚の端から姿を見せた。向こうから、四十代ほどの男が出る。作業着。古い防弾ベスト。短い銃。銃口は下がっているが、指はすぐ動かせる位置にある。敵味方を示す印はない。白石の背後には、二十歳前後の女性がいた。大きな背嚢を背負い、工具袋を持っている。
「八洲か」
白石がルークの装備を見る。
「所属はそうです」
「この辺りの八洲は、民間人の倉庫を徴発するのが仕事か」
「ここはあなたの倉庫ですか」
「今朝からはな」
「権利証は」
カイトが口を挟む。白石の眉が動いた。
「カイト」
「悪い」
ルークは倉庫内を見る。
「こちらは十四人分の食料が必要です。全部を持ち出すつもりはありません」
「こっちは六人だ」
「残っている量を確認してから分ける」
「信用できるか」
「できないでしょう」
ルークは答えた。
「だから互いに人数と必要量を言った。奪い合うか、残っている物を探すか、選んでください」
白石はルークの後ろを見た。古賀。カイト。どちらも銃を構えたままだ。白石側も二人しか見えない。本当に二人だけかは分からない。
「奥の高棚に、封印された箱がある」
白石が言った。
「備蓄食らしい。だが棚が傾いて、近づけない」
「そちらの工具は」
女性が工具袋を持ち上げる。
「足りない。荷物を動かす道具が壊れてる」
古賀が倉庫の端を見る。倒れた棚の向こうに、手動の搬送器具がある。車輪が一つ外れていた。
「直せるかもしれない」
「取り分は」
白石が聞く。
「必要な分を計算する。残りは、人数で分ける」
「先に半分よこせ」
「中身も分からない箱の半分を、どうやって先に渡す」
白石は初めて、少しだけ笑った。
「管理屋か」
「物流です」
「似たようなもんだ」




