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6.執着

「女王陛下、おはようございます。本日もいい天気ですね!」

「おはようございます、ケヴィン皇子。昨日に引き続き雨ですが」


オリヴィアは辟易としていた。

朝食、書庫、中庭──どこへ逃げてもケヴィン皇子が現れるのだ。


執務室は立ち入り禁止だと言ったのに、再三訪ねてきては入れてくれとごねた。

そのうち、オリヴィアは執務室に行かなくなった。

ケヴィン皇子に見られてもいい業務などない。

仕事が滞って、エルヴィスやサイモンに負担をかけていることがオリヴィアは心苦しかった。



今日もお茶をしていたところ、ケヴィン皇子が来た。

またか、と思いながらもオリヴィアは微笑みを作る。


「こんにちは、ケヴィン皇子」

「ごきげんよう、女王陛下!」


すると、ケヴィン皇子が衝撃の行動に出た。

オリヴィアの手を取って、その甲に口づけたのだ。


「なっ」


オリヴィアは慌てて手を引っ込める。


「何をするのです!」


後ろのエルヴィスが大声を上げると、ケヴィン皇子はエルヴィスを無視して、オリヴィアににこにこと歪な笑顔で言った。


「帝国流の挨拶ですよ。帝国では普通です」

「そうですか。でもここはエクスカリオン王国ですのでご遠慮ください」


言いながら、エルヴィスはオリヴィアの手の甲を布巾で何度も擦る。


「い、痛いわ、エルヴィス」

「!申し訳ございません」


エルヴィスが慌てて布巾を離した。

オリヴィアの手の甲は赤くなっていた。

エルヴィスがそっと両手で包む。


「申し訳ありません。すぐに冷やすものを用意します」

「もう大丈夫よ、気にしないで」

「ですが……」

「ゴホン!」


ケヴィン皇子がわざとらしく咳をする。


「どけ」


作り物めいた笑顔のまま、ケヴィン皇子がエルヴィスに言う。

ここで拒絶すれば、外交問題に発展しかねない。

そう考えれば、エルヴィスは退くしかなかった。

そっとオリヴィアから離れ、背後に収まる。


ケヴィン皇子はオリヴィアのもとに、先程までのエルヴィスのように膝をつくと、オリヴィアの手を両手で掴んだ。


「あの……!」

「臣下に触ることを許したんですから、私にも許してくださいますよね?」


(それとこれとは違う!)


オリヴィアは強く思ったが、口に出して言うことはできなかった。

オリヴィアがそれを言えば、皇子には許さなかったのに許された臣下は特別だと示すことになってしまうからだ。

それは女王の寵愛を意味し、エルヴィスの実力で勝ち取った今の地位を邪推される弱みになりかねなかった。


(どうしよう、言えないけど……でもすごく嫌)


オリヴィアが困ったように唇を引き結んでいると、すっと背後のエルヴィスが口を開いた。


「陛下、先程はすみませんでした」

「えっ」

「許可なくお手に触れた無礼を、どうかお許しください」


オリヴィアは暫し瞬きをしていたが、少しあって、エルヴィスの意図を理解した。


「許します」

「ありがとうございます」


そしてオリヴィアはケヴィン皇子を振り返る。


「本来は臣下にも許していません。どうかケヴィン皇子もお引き取りください」


そう言うと、ケヴィン皇子に掴まれていた手を引っこ抜いた。


「……」


ケヴィン皇子が不気味な笑顔で見つめている。


「分かりました。大変失礼致しました」


行儀よく頭を下げると、ケヴィン皇子は去っていった。

オリヴィアはほっと息を吐いた。


◇◇◇


だがこれでは終わらなかった。

翌日の晩餐会の直前、オリヴィアとケヴィン皇子は会場前の廊下でばったり鉢合わせた。

いや、ひょっとしたらケヴィン皇子が待ち伏せていたのではないか。


そう勘ぐってしまうほど、オリヴィアはケヴィン皇子を警戒していた。


「これはこれはオリヴィア女王陛下!お会いできて嬉しいです!」

「そうですね」


オリヴィアは笑顔を浮かべる。

引きつっていないか心配だ。


「陛下は本当にお美しい」


そう言うと、なんと、ケヴィン皇子はオリヴィアの髪の毛を一掬い取って、口づけた。


オリヴィアが声を上げる暇もなく、エルヴィスがすぐさま間に割って入った。


「殿下。許可なく陛下に触れるのは止めていただきたい」

「臣下風情が遮るなんておかしいと思いませんか?女王陛下」


エルヴィスの肩越しにケヴィン皇子が話しかける。


「これも帝国流の挨拶だと言うのですか?」


オリヴィアが震えた声でケヴィン皇子に尋ねると、ケヴィン皇子は微笑んで言った。


「はい!それも、特別な人に贈る挨拶です」


(特別な人……)


ひく、とオリヴィアの頬が動く。


「そうですか。偶然ですね。我が国でもこれは特別な間柄で行われる挨拶です」

「そうなんですね!では……」

「ですが」


オリヴィアがすうっと息を吸う。


「ケヴィン第三皇子殿下は私の特別な間柄の方ではありません」

「……」


ケヴィン皇子の笑顔がぎし、ときしむ。


「それに、何度も仰いましたのでこちらもお答えしますが、私の片腕に等しい側近を『臣下風情』と呼ぶのはお止めください」

「……申し訳ありませんでした」


ケヴィン皇子はそのまま、「体調が優れないので部屋に戻ります」と、晩餐会には行かなかった。

その姿が見えなくなるまで、エルヴィスはオリヴィアを背に隠し、ポーカーフェイスのままじっと見ていた。



晩餐会後、最近オリヴィアが執務室の代わりに使っていた客間に入った。

エルヴィスは、お湯で濡らしたタオルでオリヴィアの髪を拭いていた。

ケヴィン皇子が口づけたあたりを、何度も。


「エルヴィス……この後湯浴みするときに髪も洗うから大丈夫よ」

「ああ、そうだよな。分かってるが……」


エルヴィスがタオルをそっと離した。


「こうしないと気がすまねえ」

「……」


オリヴィアはその言葉の意味を考えていた。

そのまま考えると嫉妬だろうかと考えてしまうが、エルヴィスのことだ。

女王の体面を保つためにしているに違いない。


(きっとそうよ、勘違いしてはいけないわ)


ケヴィン皇子に触れられたときは嫌悪感で身の毛がよだつ思いをしたというのに、エルヴィスに触れられる今は、髪の毛にも神経が通ったかのように緊張して、心臓が早鐘を打っていた。

苦しいのに、もっと触ってほしい。


エルヴィスの手が、オリヴィアの髪の毛から離れた。

それを名残惜しく、オリヴィアは見ていた。


「じゃあ……私、湯浴みに行ってくる」

「ああ」


部屋を出てドアをパタンと閉めると、オリヴィアはそっと、エルヴィスが触れたあたりの髪の毛に触った。

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