10.号令
コツ、コツ、と大広間に靴音が近づく。
戦闘を続けていた両国の兵たちは、奇妙な存在感を持って響くその音に、思わず剣を止めて顔を上げた。
視線を向けた先に現れたのは、エクスカリオン王国女王、オリヴィア。
「陛下!」
守るべき女王の無事に、王国騎士団員は喜びの声を上げた。
しかしすぐに眉をひそめる。
……女王の様子がおかしい。
女王のドレスは返り血で塗れていて、銀製のレイピアも、その銀が見えないほど真っ赤に濡れていた。
いつでも柔和な笑みを浮かべていたその顔は、今は抜け落ちたように無表情で、輝いていた目も虚ろになっている。
そして何より、どんな時も女王の側にいる金髪の男が、今はどこにも見当たらない。
女王を見た帝国兵の一人が無意識に後ずさった。
返り血に染まった女王は、人間離れした静けさを纏っていた。
先ほどまで優勢だったはずなのに、背筋を冷たいものが這い上がる。
騎士団長、ルーク・ガルシアが駆け寄った。
「陛下。ご無事で何よりです。……エルヴィス様は……?」
オリヴィアが無機質な声で言った。
「エルヴィスは死んだわ。殺された」
静かな声が異様な雰囲気を持って、この大広間に伝わっていく。
「バカな!」
ルークは思わず声を荒げた。
目を見開いてオリヴィアを見る。
とても信じられなかった。
あの男が死ぬなど。
自分よりもずっと隙のない、あのエルヴィスが。
しかし……それ以上言葉は出なかった。
(エルヴィス様が……死んだ?まさか、そんな)
(あんなに強い人が死んだって?何かの間違いなんじゃ)
王国の騎士たちに混乱が広がる。
だが女王の顔を見ては何も言えなかった。
彼女の絶望の表情が、真実であることを物語っている。
オリヴィアはすっと左手で遠くを指差した。
派手ではないのに、不思議と人目を惹く所作。
女王は、淡々とした声で告げた。
「エクスカリオン王国騎士団全軍に命ずる。城内にいる全ての帝国兵を殺しなさい」
その言葉が落ちた瞬間、大広間から音が消えた。
剣戟も、怒号も、呼吸すら止まったかのようだった。
誰も、すぐには理解できなかった。
今、女王は何と言った?
女王オリヴィアは平和主義で、底抜けに優しい人だった。
人を傷つける命令など、一度たりともしたことがない。
そんな彼女が……未だ嘗てないほど、残酷な命令を下している。
しかし、それに反対する者はいなかった。
慈愛に満ちた彼女が修羅と化すには、それほどの絶望と怒りがあったのだろう。
女王と側近になる前から深い絆があったという二人。
エルヴィスが婚約者となってからは、仲睦まじい様子もたびたび見られた。
政略結婚が普通の王侯貴族の中で、あれは純粋な愛情による婚約だった。
……まだ結婚もしていなかったのだ。
どれ程悔しいことだろう。
そして、騎士団員たちにとっても、エルヴィスの死は悲劇だった。
騎士団長であるルークとも親しく、騎士団のことを何かと気にかけてくれたエルヴィス。
困ったときにはエルヴィス様に相談するといい、などと皆で言っていた。
オリヴィアを傷つけ、エルヴィスを殺した敵を許さない。
ある騎士団員はぐっと目を瞑り、またある者は、こぼれそうなものを堪えるように天を仰いだ。
騎士団員たちはそれぞれの想いを持って、剣を握る手に力を込める。
彼らは、オリヴィアの命令にオオッと揃って雄叫びを上げると、持った剣を頭上に振り上げた。




