8.選択
オリヴィアが振り向いた先にいたのは、床にうつ伏せで押さえつけられたエルヴィスだった。
背後から飛びついた二人を振り払った、その一瞬。
死角から三人目が肩へ体当たりしたのだ。
数人がかりで拘束され、その首には剣の切っ先が突き付けられている。
全ての思考が頭から飛んでいったオリヴィアが悲痛な叫びを上げる。
「エルヴィス!」
すっかり隙だらけになったオリヴィアを、近くにいた帝国兵が羽交い締めにした。
オリヴィアが泣き叫ぶようにエルヴィスの名を呼ぶと、彼が辛うじて目線だけこちらに向ける。
余程ねじ伏せる力が強いのか、エルヴィスは苦悶の表情を浮かべていた。
よくあの状態で大声を出せたものだ。
目を凝らして見ると、彼は、首近くの肩を押さえられて、両手を踏まれていた。
オリヴィアの顔からサーッと血の気が引く。
彼が押さえつけられている肩は、傷を負ったところだった。
応急手当はしたが当然まだ痛むはずだ。
それをあのように乱暴にされたら、その手当さえ無駄になる。
そして両手を踏みつけているのは彼の魔法を警戒してのことなのだろうが、それ以上に悪意が感じられた。
拘束するのに必要ないだろうに、敵兵は踏みにじるように足を動かしている。
強い意志で我慢しているのかエルヴィスは声を出さないが、その度に顔をしかめている。
──彼が、傷つけられている。
オリヴィアが暴れながら喚いた。
「やめて!彼を傷つけないで!彼を殺したりしたら……絶対に許さないわ!彼を離して!!」
拘束する帝国兵の腕の力が強まる。
「それなら取引だ、エクスカリオン王国女王」
そんなオリヴィアに、エルヴィスの首筋に剣先を向けている敵兵──帝国兵幹部が声をかけた。
細身の、嫌な目付きの男だ。
「降伏すると言え。愛する婚約者を助けたければな」
切っ先がエルヴィスの首にピトリと触れる。
オリヴィアはヒュッと息を呑んだ。
己の選択に、国の運命と愛する者の命が懸かっている。
助けられるのは片方だけ。
嫌な動悸がした。
エルヴィスが考える正解がどちらなのかは、分かっていた。
でも、もう片方は、オリヴィアにとって命よりも大切なものだった。
(選べない。でも、選ばなきゃどちらも失うかも。少なくとも、エルヴィスは確実に失う……)
呼吸が荒くなる。
心臓が痛いほど強く胸を打つ。
涙が出そうだ。
(言えない……私には、とても……。エルヴィスを見捨てる選択肢なんて……)
唇が震えた。
口から出る答えがどちらなのか、オリヴィア自身にも分からなかった。
それでも声を出そうとした、その時。
エルヴィスの掠れ声がそれを制止した。
「おい、絶対に言うんじゃねーぞ……!」
彼の声に、オリヴィアがハッと目を見開く。
身体の自由を封じ込められてもなお、意志が燃える強い瞳。
オリヴィアの目から涙がぽろぽろとこぼれた。
「エルヴィス……!」
組み伏せる力が強くなり、エルヴィスは「うっ」と呻き声を漏らす。
絶対に、この選択をオリヴィアにさせるわけにはいかなかった。
オリヴィアは『慈悲深い女王』として他国にまでその名を馳せている。
愛する国民と愛する婚約者。
どちらを見捨てても、彼女の評判は地に落ちるだろう。
「絶対に言うな」とは言ったが、それもおそらく長くは持たない。
痺れを切らした帝国兵幹部がこの首に傷を付け始めるのも、そう先の話ではないだろう。
エルヴィスは活路を見出だそうと頭をフル回転させたが、方法は一つしか思い浮かばなかった。
……最後の手段とも言える手だ。
できれば、使いたくなかった。
使えばきっと……彼女は泣くだろう。
それでも、これしか方法がないなら迷わず選択する。
皆に愛され、光の道を歩く女王には選ばせられない。
これは……自分の役目だ。
どんな手を使っても、自分がどんな目に合ったとしても、彼女に、生きていてほしい。
押さえつけられてろくに膨らまない肺に無理やり空気を吸い込んで、深呼吸をした。
そして静かに、閉じた瞼を開く。
エルヴィスは力を振り絞って叫んだ。
「オリヴィア、聞け!」
オリヴィアの紫色の目がエルヴィスをまっすぐ捉える。
涙で濡れるその瞳は、宝石のように光っていた。
その美しさを胸に刻むように見つめた後、エルヴィスはオリヴィアに言葉を投げ掛けた。
自分でも思いの外、優しい声が出た。
「……お前は生きて、国を守れ」
「えっ?……エル……」
オリヴィアの言葉を待たずに、エルヴィスは勢いよく口を開けた。




