7.破約
「いたぞ!ここだ!」
帝国兵のがなり声に、エルヴィスは苦虫を噛み潰したような顔をした。
……もう見つかったか。
あの後、オリヴィアとエルヴィスの二人は城内の一室に隠れ、疲労回復と傷の応急処置に当たっていた。
その間に三分が過ぎ、エルヴィスの腕に着いていた鎧は消えた。
二人とも乱れた息を整えることはできたが、十分な休息はとれていない。
男の声はよっぽど響いたのか、帝国兵がわらわらと集まってくる。
その中の一人が歓喜の声を上げた。
「おい見ろ!女王と、最近婚約したっていう側近じゃないか?」
その言葉に帝国兵たちの目がギラリと光った。
「首を獲れ!出世のチャンスだ!」
「おい、女王に降伏させるだけでいいんじゃないのか?」
「同じことだろ!」
意気盛んにそれぞれが武器を構え始める。
下卑た笑みを浮かべて、自分たちが狩る側だと信じて疑わない、彼らの姿が浅ましい。
エルヴィスは「ハッ」と鼻で笑うと、オリヴィアを背に隠すようにして立ち上がった。
「舐められたもんだな。お前らが束になったって俺らの首には届きゃしねーよ。一人残らず吊るしてやる」
エルヴィスの好戦的な態度と言葉遣いに、帝国兵たちは狐につままれたような心地になる。
彼らが今まで見てきたエルヴィスは、品行方正、常に女王の側に控える大人しい側近だった。
だが今目の前で、短剣を手に取りこちらを睨み付けている彼は、まるで別人だ。
呆けた敵兵たちに、エルヴィスがにやりと口角を上げて言った。
「ほら、足元がお留守だぜ?」
それが聞こえた時にはもう遅かった。
ハッとした帝国兵たちが下を見ると、そこには、足元を縫うように植物のツルが張り巡らされていた。
いつの間に──そう口にする暇もなく、エルヴィスが指を鳴らすとツルが引っ張られ、それに引っ掛かった帝国兵たちが転倒する。
その転倒に巻き込まれて後ろの兵たちも倒れていった。
まるでドミノ倒しだ。
エルヴィスは挑発するように嗤って言った。
「おいおい大丈夫かよ?遊びに来たんなら帰り道はそっちだぜ」
「この……!」
顔を真っ赤にした帝国軍が武器を握りしめて立ち上がる。
彼らが一斉にこちらに向かって突進してくるのを、エルヴィスは冷静に見ていた。
(これでいい。俺に敵の意識を集めることで、あいつは逃げられる)
エルヴィスはちらりと天井を見上げる。
装飾板の奥──そこに隠し通路の入り口がある。
問題は、高すぎることだ。
エルヴィスは立ち上がって挑発を始める前、小声でオリヴィアに囁いていた。
「俺が魔法のツルで隠し通路の入り口付近まで梯子を作る。そこまで行けば手で押すだけで簡単に開くはずだ。俺が時間を稼ぐ。逃げろ」
オリヴィアはそれを聞いた瞬間悲痛な表情を浮かべたが、他に選択肢はない。
女王さえ生きていてくれれば、この国も生きていける。
自分だって易々と死ぬつもりはない。
逃げ道は戦いながら考える。
それに、少々私情も混ざっていた。
自分が、彼女に生きていてほしいのだ。
前列の兵がいよいよ眼前まで迫ってきている。
エルヴィスは左手を胸に当て、胸部を覆う鎧を生成する呪文を唱えながら、右手で短剣を逆手に構えた。
植物のツルはいつでも発動できる。
……あいつはもう逃げきっただろうか。
そう思った時だった。
「はあっ!」
左隣から聞こえた力強い声。
踵を打ち鳴らす硬質な音の直後、赤いドレスが室内を舞った。
帝国兵たちを、空中から鋭いレイピアが襲う。
「オリヴィア!」
エルヴィスの驚愕の叫び声に、オリヴィアが笑顔で振り返った。
その姿に、カッとエルヴィスの頭に血が昇る。
「このバカ!なんでまだいるんだ!死にたいのか!」
エルヴィスは左手のツルで遠距離の敵を振り回し、右手の短剣で近距離の敵を捌きながら、オリヴィアに怒鳴った。
だがオリヴィアはその怒りをものともせず、毅然と言い放った。
「エルヴィスを置いて一人で逃げるなんてできない。でも、貴方の気持ちを無下にしたことは分かってるわ。ごめんなさい」
レイピアの突きを的確に繰り出しながら素直に謝るオリヴィアに、エルヴィスは何も言えず黙り込む。
もう隠し通路を使う時間を稼ぐのは不可能だ。
こうなったら、たった二人で、ここを正面突破するしかない。
エルヴィスは目を瞑り、深いため息を一つ吐くと、すっと目を開けた。
過ぎたことは仕方がない。
頭を切り替え、新たな道を切り開くだけだ。
エルヴィスはオリヴィアにだけ聞こえる声量で囁いた。
「俺から離れるな。大勢を相手にする必要はない。前だけ見て一点突破するぞ」
「分かったわ!」
ぐ、とオリヴィアはレイピアを握る手に力を込める。
オリヴィアは言われた通り、ただ前だけを見て進んだ。
敵は次々と雪崩れ込み、終わりが見えない。
それでも、彼が側にいてくれるおかげで、少しずつ前進できていると信じられる。
だから、背後から、
「婚約者の命が惜しければ動くな!」
と叫び声が聞こえたとき、何が起こったのか理解できなかった。
「振り向くな!そのまま行け!」
「止まらなければ婚約者の首を斬るぞ!」
ドクン、ドクン、と鼓動の音が大きくなる。
エルヴィスは振り向くなと言った。
次同じようなことがあったら置いていけとも言った。
でも、そのまま進んだら彼の首を斬ると……。
「オリヴィア!出口はもうすぐだ!行け!!」
嫌な心拍音は、喉までせり上がってくる。
──約束は、守れなかった。
オリヴィアは……振り向いてしまった。




