25.誓い
夜。
エルヴィスは自室でじっと目を閉じ、手で強く眉間を押さえていた。
思い起こされるのはあの会談のこと。
無事に終わり、先程までアーロンたちの帰国前の最後の晩餐会もしていた。
マインズ王国との結びつきはこれまでより強く、続けていけることだろう。
だが問題はそれではなかった。
自分の失態のことだ。
(バカか俺は……)
何度目ともしれない大きなため息を吐く。
女王に手を握られプロポーズされ、顔を真っ赤にして「はい」と頷く側近の男。
なんて間抜けなのか。
しかもこの返事をしたことで、オリヴィアの婚姻は正式に決まってしまった。
他国の貴賓も見ていた前なので、もう撤回は許されない。
結婚による和平策はこれで完全に潰えた。
そして政界における自分の立場も変わるだろう。
王配となれば、今までのようにはいかない。
……それを思うと、胸の奥がわずかに軋んだ。
そんなことを考えていると、部屋の扉がノックされた。
続いた「入ってもいい?」という声に、エルヴィスは慌ててドアを開ける。
「陛下……!こんなお時間に。何かご用事なら私が伺いましたのに」
「いいの。用事があったのは私だから。……入ってもいい?」
「……」
逡巡するエルヴィス。
一国の女王が、夜に男の部屋で二人きりになるのは外聞が良くない。
すぐ済む話なら、ドアを開けたままここで聞いたほうが……。
その思考を、頬を膨らませたオリヴィアが遮った。
「……いいでしょ?私とエルヴィスの……仲じゃない」
「!」
言いながらオリヴィアの頬がほんのり赤くなってくる。
……そうだった。
今日公衆の面前でプロポーズをして、それを受け入れた仲だった。
今さら外聞も何もない。
エルヴィスは、自分の頬も熱くなってきたのをごまかすようにコホン、と一つ咳払いをすると、「どうぞ」とオリヴィアを招き入れた。
「きれいな部屋ね」
「前にも見たことあるだろ」
「そうなんだけど……なんだか、特別に感じるの」
エルヴィスを振り返り、はにかむオリヴィア。
その笑顔に何故かむず痒い心地がして、エルヴィスはふいっと目を逸らした。
「それで?用事ってなんだよ」
「あ……それなんだけど……」
オリヴィアがもじもじと自分の手を動かす。
……何か言いにくいことを言いに来たのか。
エルヴィスはオリヴィアが切り出すのをじっと待つ。
やがて、オリヴィアが意を決したように口を開いた。
「エルヴィス……後悔してない?その……私との結婚」
少し間をおいて、なるほど、とエルヴィスは一人納得する。
──こいつはこれを聞きに来たのか。
お人好しのオリヴィアのことだ。
エルヴィスが公式の場だから仕方なく同意したのではないか、この結婚が不本意だったらどうしよう、我慢していたらどうしようと心配になったのだろう。
だがそんなことは今さらだ。
後になって「本当は嫌だった」と言ったって、もうどうにもならない。
だが……オリヴィアなら、きっとエルヴィスがそう言えば、何がなんでも解決しようと奔走するのだろう。
まあ、それは杞憂なのだが。
「お前は?」
「えっ?」
逆にエルヴィスが尋ねると、オリヴィアはポカンとした声を出した。
「お前は後悔してねーの?俺にプロポーズして」
「そんなの……!」
先程までの気の抜けた表情から一転、オリヴィアは毅然とした態度で言いきった。
「後悔なんてするわけないわ。私が、エルヴィスとの結婚を望んで申し込んだのだもの」
その凛とした瞳に、プロポーズ中見つめ合ったときのことを思い出す。
何だかもう一度プロポーズされたような心地がして、顔が熱くなってくる。
その顔を見られたくなくて、さりげなく片手で顔を隠して目線を逸らした。
こんなに胸を張って愛を伝えられる彼女を尊く思った。
自分は、隠すのは得意だが伝えるのは苦手だ。
顔から熱が引いたのを確認してから、手を外した。
「そうか。ならいい。俺も後悔とかしてねーから」
「えっ」
オリヴィアが驚いた、しかし僅かに喜色の滲んだ声を上げた。
じっとこちらを見つめる目は、続きを待っている。
いつもなら誤魔化して逃げるところだが、今夜はエルヴィスも腹を括った。
大切な人に対する大切な気持ちなら、苦手でも伝えなければならない。
「……当然だろ。嫌だったらそもそも受けねーし。これは俺が自分の……心で決めたことだ」
(……心)
エルヴィスの選んだ言葉は、オリヴィアの胸に深く響いた。
頭のいい彼が、計算ではなく、打算でもなく、己の心でこの答えを選んだ。
それが、堪らなく嬉しかった。
無性に彼に触れたくなって、甘えるように彼の袖を摘まむ。
頭を彼の肩に乗せてみたが、そのまま受け入れられた。
……触れているのは外側なのに、彼の内側に触れることを許されたような気がして、幸せだった。
夢見心地のまま、自分たちのこれからを想像する。
「エルヴィスの色んなこと、知っていきたいな……」
エルヴィスの体温を頬に感じながら呟いて、ややおいてからハッと気が付いた。
(あれっ?私……今の、声に出て……?)
そーっとエルヴィスの顔を覗くと、その碧眼とばっちり目が合った。
エルヴィスは無言でオリヴィアをじっと見ている。
オリヴィアは慌てて弁解した。
「ちっ、違うの!今すぐってわけじゃなくて……そのうち聞けたら嬉しいなって思ったの。でも無理にじゃないのよ?言いたくなかったら全然……」
「……いい」
「えっ?」
両手を左右に振った形のまま固まるオリヴィアに、エルヴィスがしっかりと言った。
「いいぜ。……お前なら」
「……!」
旅の途中、聞きたくても聞けなかった彼自身のこと。
固く心を閉ざし、決して誰にも気を許さなかった彼が今、オリヴィアにその扉を開こうとしている。
彼の一番大切なところに、触れることを許してくれている。
ぽろりと、オリヴィアの目から涙がこぼれた。
「何でお前が泣くんだよ」と、エルヴィスが摘ままれていたのと反対側の袖でそっと拭ってくれる。
呆れたような、でも優しい顔。
「エルヴィス……好きよ、私……貴方のこと」
「……ああ。俺も、お前のこと……」
言いたいことが、エルヴィスの胸に生まれる。
その言葉はずっと昔から知っているのに、自分が己の気持ちを表そうとして遣うと汚れるように感じて、口にしたことはなかった。
でも今なら……多くの人々のように、神聖な気持ちで伝えられる気がする。
自分にとってこの言葉は、とても重く……とても大切なものだ。
「愛してる」
言葉を受け取ったオリヴィアの目が見開かれ、新たな涙の粒が浮かんでくる。
揺れる紫の瞳。
赤く色づいた頬。
エルヴィスの言葉を噛み締めるように引き結ばれた唇。
次々と流れ落ちてくる涙を拭いながら、エルヴィスはそっと、オリヴィアの顎に触れる。
エルヴィスは静かに、口づけを落とした。
初めてのキスは、とても温かくて、心が震えた。
第一部 完




