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20.調印

和平条約交渉の時間がやって来た。

エクスカリオン王国カルブンクルス城、『紅玉の間』。

重要な貴賓を招いて重大な会議等を行うときにだけ開かれる、特別な間だ。

マインズ王国側の席には、外交長官ジョン・ネルソンを筆頭に官僚たちが並び、その中央には第二王子アーロンが座していた。

厳粛な空気の中、誰一人として気を緩めていない。


会談前、オリヴィアに意思の最終確認をしたが、縁談は断るということで固まった。

その決断のもと、準備をしている。

大きなテーブルのマインズ王国とは反対側に、オリヴィアは座っていた。

その左後ろにエルヴィス、右後ろにサイモンが控える。


両国の会談を始める旨の宣誓がなされ、会議が始まった。



「……婚姻は、しないと」

「ええ」


マインズ王国側のジョンの確かめるような問いに、オリヴィアが優美に微笑んで答えた。

流石の外交長官は表情を崩さないが、官僚たちの中からは焦ったようなヒソヒソ声も聞こえてくる。

しかし、オリヴィアがゆったりと「ですが」と続けると、その声はぴたりと止まった。


「私たちはこのような形で貴国と良好な関係を築いていけたらと思っています」


オリヴィアが右手を軽く挙げると、左後ろに影のように控えていたエルヴィスが、素早く、しかし優雅に資料をアーロンと外交官たちの前に並べた。


ジョンが口元に手を当てながらじっくりと資料の文字を読む。


「交易において優遇対象国に準ずる対応をするとありますが、それは具体的には?」

「発言を失礼致します。女王に代わり、左珠のエルヴィス・フォスターがご説明させていただくことをお許しください。お手元の資料の五ページをご覧ください。現在我が国と懇意に交易をさせていただいている国との間で設定してある関税率の例ですが……」


ジョンから始まり矢継ぎ早に続く質問を、エルヴィスが淀みなく全て捌いていく。

今後友好を結ぶ国に対して誠意を持って、明らかにすべきところは明らかに、そして自国と女王を守るために、伏せるべきところは巧妙に伏せて。


最後に、ジョンはひとつ唸ると、納得したように軽く頷いた。


「なるほど……この条件なら、対等に末長いお付き合いができそうですね。殿下はどうお考えですか」


ジョンが隣のアーロンに伺いを立てる。

アーロンはジョンに小さく頷いたあと、オリヴィアに向かってにっこりと笑顔で応えた。


「素晴らしい和平条約案です。我が国との国交のために熟考してくださったことが窺える。ぜひ、お受けしたいと思います」


女王は嬉しそうに、美しく微笑んだ。



(……アーロンの笑顔がおかしい)


ポーカーフェイスの下で、エルヴィスはひっそり違和感を覚えていた。

表向きは親しげなアーロンを、さりげなく、しかし注意深く観察する。

こういう場で仮面を被る者は大勢いるのでそれ自体は珍しくないが、アーロンはここまでずっと自然な笑顔だった。

それが急に歪になったことが引っ掛かる。


(案外和平条約じゃなくて、婚姻を結ぶ方が本命だったのかもな)


女王オリヴィアと結婚すれば、アーロンは婿入りという形になる。

それを足掛かりにして政務へ食い込み、いずれ実権を奪うのが目的だったのか。

それとも……女王自身が欲しかったのか。


目を向けたくないのに、視線が吸い寄せられる。

柔らかな赤髪。

慈愛を湛えた紫の瞳。

凛と背筋を伸ばす姿は、誰が見ても美しかった。


目の前では、両国が正式な文書にしたためられた和平条約に調印しているところだった。

元首の署名捺印が粛々と行われ、成立の時が近づく。

全ての過程が終了し、担当者から成立の宣言がなされると、その場に拍手が起こった。

──和平条約が、正式に結ばれたのだ。


(……まあ、こうして和平条約は成り、結婚は白紙になった。今さら気にする必要もないか……)


エルヴィスが、周囲が気取れぬくらい小さく息を吐いた、その時だった。

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