19.揺らぎ
夜も遅いオリヴィアの執務室。
エルヴィスがノックをしてドアを開けると、オリヴィアはまだ起きて執務をしていた。
「何やってる。早く寝ろ」
エルヴィスが呆れたように声を掛けると、オリヴィアは頬を膨らませた。
「エルヴィスだって起きてるじゃない」
「俺はお前を探しに来たんだよ」
エルヴィスが机に寄りかかる。
昼間、エルヴィスが顔を隠して逃げたことについては二人とも触れなかった。
ただ一言、エルヴィスがオリヴィアに尋ねた。
「……お前、どうすんだ」
「何が?」
「縁談、受けるのか」
オリヴィアは瞬きをしてエルヴィスを見ていたが、エルヴィスは背を向けたままオリヴィアのほうを向くことができなかった。
初めは縁談は断ると言っていたオリヴィアだったが、アーロンに会って気持ちが変わったのではないかとエルヴィスは思っていた。
明日の会議ではオリヴィアの意思のもと、全員が結束していなければならない。
オリヴィアが縁談に前向きになったというのなら、それに合わせてプランも練り直す必要がある。
いや、草案の練り直しが必要というのも事実だったが、エルヴィスはただ純粋に……オリヴィアの心が知りたかった。
婚姻をすると言うのならば、今度こそ、逃げずに祝福してやりたかった。
オリヴィアはふっと微笑んで言った。
「最初から変わらないわ。私はこの縁談は受けないつもりよ」
その返答を聞いた瞬間、胸の奥で張り詰めていた何かが切れた。
安堵なのか、困惑なのか、自分でも分からない。
気付けば身体が勝手に動いていた。
エルヴィスは勢いよく振り返った。
「何で」
「えっ?何でって……」
オリヴィアが困ったように視線を泳がせる。
エルヴィスがじっとオリヴィアの顔を見つめていた。
オリヴィアは逆に尋ねた。
「エルヴィスこそ、何で知りたいのよ」
「……今後の交渉に関わる。理由くらい共有しろ」
エルヴィスに最もらしい理由を言われると、オリヴィアがぐ……と押し黙った。
「何でもいいじゃない。今回はご縁がなかったということで」
「アーロンはいい男だと言ってただろ」
「いい男っていうか、いい人って言ったのよ」
「同じことだ」
エルヴィスがオリヴィアのほうに身体を向けて、顔を近づけた。
「何でだ」
オリヴィアは唇を引き結んだ。
(……人の気も知らないで……!)
近くに見えるエルヴィスの長い睫毛にドギマギした。
頬に熱が集まるのを感じながら、オリヴィアはぷいっと顔を背けた。
「何でそんなに聞くの?私にアーロンと結婚してほしかったの?」
オリヴィアは目を瞑っていたが、なかなか返事がないのでそっと目を開けた。
正面に視線を向けると……エルヴィスは戸惑ったような顔で固まっていた。
「……いや……そういうことじゃない」
エルヴィスのその表情を、オリヴィアは暫し眺めていた。
「……嫌なら、嫌って言ってくれていいのよ」
オリヴィアがそっと言うと、エルヴィスが瞠目した。
「いや、そんなんじゃ」
「エルヴィスが嫌な人とは結婚しない。貴方にそんな顔させたくないもの」
思わず、エルヴィスが手で自分の顔に触れた。
自分が今、どんな表情をしているのか分からない。
「……アーロンが嫌なわけじゃねーんだ。これは俺の問題で……。だからお前が気に入ったなら、結婚して構わない」
エルヴィスがそう言うと、オリヴィアは少し悲しそうに微笑んだ。
その意味が、エルヴィスには分からなかった。
「今回の縁談は受けない。これで決定!いい?エルヴィス」
「ああ、分かった」
エルヴィスがいつものポーカーフェイスで答えると、オリヴィアは小さく笑った。
──その無表情の奥にあるものを、もう見誤ったりしない。
そんな決意を込めて。




