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1.安寧

「陛下」


呼び掛けられて、オリヴィアはハッとした。

未だに『陛下』と呼ばれることに慣れない。

顔を上げると、側近となったエルヴィスがじっと見ていた。


「大丈夫ですか」


その問いに、オリヴィアは慌てて笑顔を作る。


「ええ、大丈夫よ。ちょっとぼーっとしちゃったみたい。ごめんなさい」


執務中に考え事をしてしまった。

最近目まぐるしく色々なことが変わったから、まだその変化に身体が追い付いていないのだろう。



剣を抜いたオリヴィアは、このエクスカリオン王国の女王となった。

代々聖剣エクスカリバーが王を選ぶこの国だが、先代の王が魔王ノワールに殺された後、ノワールが恐怖によって支配していた。

実に十年もの間、正式な王はいなかったことになる。


そしてオリヴィアとここまで歩んできたエルヴィスは、オリヴィアとの約束通り、傍にいることを選んだ。


「良かった。エルヴィスが居てくれて」


オリヴィアはホッと微笑んだ。

博学多才なエルヴィスは、ここまでオリヴィアを導いてくれた。

初めて王城に辿り着いた時も、迷うことなく道案内をしてくれたのだ。

また、政治や法、王族の慣例にも詳しく、オリヴィアを補佐してくれている。

どこでそういう知識や技術を手に入れるのだろうと不思議に思う。

今後も統治においてその才能を遺憾なく発揮してくれることだろう。

それを除いても、エルヴィスはオリヴィアの心の支えだ。


「約束しましたからね」


新たに側近『左珠(さじゅ)』の地位に就いたエルヴィスは、片側の口角を上げて言った。

エルヴィスはオリヴィアが即位してから、人前では敬語を遣うようになった。

しかしオリヴィアと二人きりになると、旅をしていた頃の砕けた口調になる。

その話し方の方が、オリヴィアは好きだった。


もう一人の側近『右笏(うしゃく)』には、サイモンという男が就いた。

オリヴィアたちとサイモンは一度共闘したことがあり、その縁と持ち前の外交力を持って、側近に抜擢された。


これらの地位は、オリヴィアが彼らのために新たに創設した役職だった。

とりわけオリヴィアは、エルヴィスを側近の地位に置かなければ、エルヴィスがそっといなくなってしまうのではないかと懸念していた。


(優しい彼だもの。女王にはより相応しい者が傍に付くべきと言って去ることも考えられるわ)


旅の頃は二人きりであんなに近くにいたのに、旅が終わった途端離ればなれになるなんて、オリヴィアには受け入れがたいことだった。



「陛下。夜はお休みになられていますか」


エルヴィスが眉根を寄せて尋ねる。

怒っているようにも見えるその顔は、オリヴィアを心配している。


「うん……最近ちょっと眠れないの。緊張しているのかしら」

「……」


エルヴィスの眉間の皺が深くなる。


「でも大丈夫よ!そのうち疲れて寝るわ」

「陛下……」

「駄目だよ陛下、それ気絶と変わらないから。休んでるうちに入らないよ」

「サイモン」


口を挟んだのは、同じ部屋にいたサイモンだ。

飄々とした彼は、きちんとした場では弁えるが、そうでなければ女王であるオリヴィアに旅の頃と変わらぬ接し方をする。

オリヴィアもそれを許していたし、エルヴィスも、サイモンがやる時はやる男だと分かっていたので特段何も言わなかった。


「じゃあどうしたらいいの?アロマとかはやってみてはいるんだけど、あまり効果がないの」


オリヴィアが困ったように言う。

サイモンは顎に手を当てて考えた。


「そうだねえ。音楽を流したりとか、本を読んだりとか、リラックスできることをすれば……そうだ!」


名案とばかりに、サイモンが手を打つ。


「エルヴィスが添い寝して子守唄歌ってあげればいいんじゃない?」

「はっ?」

「げほ、ごほ!」


紅茶を飲んでいたオリヴィアがむせる。

エルヴィスも驚愕の表情をしたが、オリヴィアの咳を受けて、すぐにオリヴィアの背を擦った。


「大丈夫ですか」

「う、うん。だいじょ……けほ!」

「サイモン」


エルヴィスがぎろりとサイモンを睨み付ける。


「怒らないでよ。僕は本気さ」

「尚更たちが悪い。何を言ってんだ。陛下に臣下の男が添い寝とかあり得ねーだろ」

「もともと君たちは一緒に寝てた仲だろ?」

「旅をしてた仲だ。語弊を招く言い方をすんな」

「同じことだと思うけどなあ」


サイモンは悪びれもなく微笑んでいる。


「大体リラックスするにはって話だっただろ。それで何で俺の添い寝と子守唄になるんだ」

「えっ?だってそれがリラックス……」

「サイモン!ストップ!」


オリヴィアが慌てて大声で制する。

目が合うと、サイモンはにこっと笑った。


「すみません、陛下」


オリヴィアはサイモンを凝視した。

サイモンの笑みが、何もかも見透かしているように思える。


オリヴィアはエルヴィスの添い寝を想像してしまって、慌てて頭を振った。

実際にそんなことになったら、リラックスというより緊張してしまうだろう。

旅の頃はエルヴィスの寝息に安心したものだが、平和になった今では同じ心地になれない。


サイモンが神妙な顔で提案する。


「では間を取って……エルヴィスの子守唄を録音してそれを流すというのはどうでしょう」

「はあ?お前……」

「いいわね、それ!」

「陛下!?」


エルヴィスが抗議の声を上げるが、オリヴィアには届かない。

オリヴィアにはとても素晴らしい案に思えた。

エルヴィスの声を魔道具で録音し、彼の声が聞きたくなったときにこっそり聞ける良い言い訳を得た気持ちだった。

焦ったのはエルヴィスだ。


「やめて下さい、冗談ですよね?」

「エルヴィス、君は陛下のために身を捧げようという気概がないのかい」

「それとこれとは別だろ。陛下……冗談、ですよね?」


慌てたエルヴィスを見るのは滅多にないことで、オリヴィアは少しからかいたくなった。


「本気よ、エルヴィス。私のために子守唄、録ってくれる?」


真剣な顔で告げると、エルヴィスは口を開けたまま真っ青になった。

絶対に嫌なのだろう。

恥ずかしいのだろうか。

それとも、実は歌が下手?


「……」


エルヴィスが思い詰めた表情で黙り込む。

それが覚悟を決めているように見えて、オリヴィアはさすがに申し訳なくなった。


「……ごめんなさい、冗談よ。エルヴィス」


その言葉にエルヴィスは目を見開くと、はあ、と深くため息を吐いた。


「……勘弁してください」


エルヴィスの頬が、僅かに赤くなっている。

その表情が可愛らしくて、オリヴィアはじっとエルヴィスを見つめた。


「ごめんなさい」

「もう大丈夫です」


サイモンはそれを見ながら、口を開けずに笑った。

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