15.星月夜
数日後の夜、オリヴィアは執務室のバルコニーに出て星を眺めていた。
無数の星が、何も語らず、ただ静かに同じ場所で輝き続けているのを見ていると、心が落ち着いていく気がする。
冷えた夜風がさらりとオリヴィアの赤髪を撫でる。
この数日間、ずっと考えていた。
自分の心だけに従うのなら、答えは最初から決まっている。
でもエルヴィスは……それを聞いて何と言うだろう。
この婚姻の話が出たとき、エルヴィスは実に冷静だった。
『女王の結婚』は、チェス盤の上の駒の一つにすぎないかのように。
(私が何を言っても、特に何も思わないかな……)
「おい、あんま長い間外にいるな」
思考に耽っていると、不意に背後から声を掛けられてドキッとした。
振り返る前に、オリヴィアの肩に上着がそっと掛けられる。
暖かくなる肩。
きゅっと上着の襟元を掴んで寄せた。
……こんな状況でも、この心臓は相変わらず高鳴る。
オリヴィアは左隣に立った男に笑顔を向けた。
「ありがとう、エルヴィス」
「いや」
エルヴィスが素っ気ない返事をする。
だが、冷たいわけではない。
先程までのオリヴィアと同じように、エルヴィスも星空を見上げた。
青い瞳に星の瞬きが映る。
エルヴィスは今、何を考えているのだろう。
「……断ろうと思うの」
オリヴィアは単刀直入に切り出した。
そんな彼女を、エルヴィスはじっと横目で見る。
留まっていた時間は一瞬よりは長かったが、それでもすぐに目線は星に戻された。
「そうか。代替案を考えておく」
「……うん」
さっきと全く抑揚の変わらない、落ち着いた声。
エルヴィスの頭の中では、素早く今後の段取りが組まれているのだろう。
寂しさのような感情を、オリヴィアは胸の中に押し隠した。
……やはりエルヴィスは、自分に興味などないのだ。
そう思っても、口が縋るように勝手に動く。
「エルヴィスは……私が結婚することについて、どう思う?」
尋ねたあとに、自分のほうが内心焦った。
こんなことを聞いて何になるというのか。
だが口から出た言葉は、今さら取り消せない。
ちらりとオリヴィアを見るエルヴィス。
その眼差しに胸がざわめく。
自分は、何を、どんな返答を期待しているのだろう。
しかしエルヴィスは、オリヴィアの予想に反して、意味が分からないというように眉間に皺を寄せた。
「……?前にも言ったが、和平交渉のカードとして使える選択肢の一つではあると……」
『女王の結婚』についての返答を語るエルヴィス。
オリヴィアは、強い焦燥感のようなもどかしさを感じた。
……私が聞きたいのはそういうことじゃないのに。
エルヴィスが話している途中にも関わらず、思わず被せて叫んでしまった。
「そうじゃなくて!……エルヴィスの気持ちは?『私が』他の男の人と結婚したら、エルヴィスはどういう気持ちになる?」
瞬間、エルヴィスが言葉を詰まらせた。
オリヴィアは驚いて目を見開く。
まるで不意打ちだったかのように、隙を見せたその一瞬だけ、彼の表情は切なそうに歪んだ。
ぱっと、すぐに顔を背けるエルヴィス。
オリヴィアは、ドクン、ドクンという自分の鼓動の音が強く耳に響くのを感じた。
次に顔を正面に戻したとき、エルヴィスの表情はいつもの冷静沈着なものに戻っていた。
だが続いた彼の声は、絞り出したように苦しげだった。
「……俺には、それに答える資格がない」
「……どうして?」
「お前を散々利用した男だからだ」
オリヴィアは愕然とした。
……まだ、そう思っていたの?
二人の旅は、互いの利害が一致していたことから始まった。
エルヴィスは己の復讐にオリヴィアを『利用した』と言っているが、それは、オリヴィアから見れば『救い』だった。
彼に導かれてオリヴィアは自領の民を救うことができ、ついには魔王を倒すことができた。
ここまで歩んでこられたのはエルヴィスのおかげ。
エルヴィスの『救い』に依存していたのは、オリヴィアのほう。
……感謝していると、何度も言ったのに。
冷たいようで実は優しいエルヴィスの心が、彼自身を許していない。
「そんなこと……!」
「話は終わりだ。さっさと寝ろ。俺も部屋に戻る」
すぐさま反論するが、何も言わないうちにエルヴィスが遮る。
彼はくるっと踵を返して、さっさとバルコニーから出ていってしまった。
伝えられなかった言葉が、白い息となってオリヴィアの口から消えていく。
静かな星の瞬きが、夜の冷えた空気と共に降りる窓辺。
彼の優しさが残る暖かい肩。
エルヴィスの輝くような金髪が部屋のドアの向こうに消えていくのを、オリヴィアはバルコニーから見ていた。




