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10.雨宿り

「……すっかり雨に降られちゃったわね」


王城、バラの見える庭園。

ガゼボの下、オリヴィアがため息を吐きながら溢した。

側近として共に庭園に出ていたサイモンが、隣で笑う。


「こういうのもたまには悪くないさ。雨が止むまで休憩できるって思えばいい」

「確かにそうね。最近バタバタしていて忙しかったし……。せっかくだから少し休んでいきましょうか」


そう言うと、オリヴィアは大きく伸びをした。



雨音の中、二人で柱に寄りかかる。

オリヴィアがぽつりと呟いた。


「こうしていると、旅をしていた頃を思い出すわ」

「そうだね」


二人の目に浮かぶのは、あの時の雨。

あの時も二人は、こうして雨宿りをしていた。


二人で旅をしていたオリヴィアとエルヴィスだったが、一時期サイモンが同行していた。

三人で協力して、四天王の一人を倒したのだ。

思い出すのは、四天王のもとに向かっていた途中のこと。


「山を歩いているときに雨に降られちゃって、エルヴィスが辺りを見に行ってくれたのよね」

「ああ。それで僕たちは小さな洞穴の中でエルヴィスが帰ってくるのを待ってた」


ザーザーと降りしきり、一向に止む気配のない雨。

だが夏になりかけていたこともあり、寒くはなかった。


「待ってる間、色んな話をしたわね」

「ああ。陛下とエルヴィスの出会い、エルヴィスの口癖の話、エルヴィスの面白い寝言の話……」

「えっ?そ、そんな話したかしら?」


オリヴィアが頬を赤らめる。


「他にも話したでしょう?それじゃ、私がエルヴィスの話ばかりしているみたいじゃない」

「確かに他の話もした。でもダントツでエルヴィスの話が多かったよ」

「えっ本当?やだなあ、恥ずかしい……」


オリヴィアが両手で自分の頬を覆う。

羞恥で火照っているようだ。

サイモンが、目を細めて言った。


「……まだ、エルヴィスのことが好きなのかい?」


雨足が強くなったような気がした。

ガゼボには無言の時間が流れて、それしか聞こえる音がなかったから。

オリヴィアは一瞬喉を詰まらせたが、やがて小さく笑った。


「ええ、好きよ。あの頃からずっと」


その眼差しはぶれることなくサイモンを射貫く。

そのまっすぐさは、彼女の心のようだった。

サイモンはそっと、優しい声で尋ねた。


「想いを伝えないのかい?」

「……できないわ。私は女王だもの」

「どうして女王だと告白できないのさ」


オリヴィアは困ったように眉を下げる。


「貴方も分かってるでしょう?女王の結婚は政治に関わる。時に外交での交渉材料にもなるわ。私の結婚は、私だけのものじゃないもの」


言いながら、オリヴィアは目を伏せた。

自分はきっと、然るべき時に然るべき相手と結婚する。

その然るべき相手に……エルヴィスはなり得ない。


「陛下の結婚は陛下のものさ」


サイモンはきっぱりと言いきった。

その断言に、オリヴィアのほうが戸惑った。

サイモンだってオリヴィアの言う理屈は理解しているはずなのに、どうしてオリヴィアの気持ちを優先するようなことを言うのだろうか。


国の頂点に立つ王は、国と国民のために身を奉じなければならない。

それは上に立つ者の義務だというのに。

相手を選ぶような我儘は許されないのに。


「……エルヴィスと同じことを言うのね」


オリヴィアの呟きが、サイモンの耳に届いた。


「エルヴィスも言っていたのかい?」

「ええ。政治のことなんて考えないで、好きにすればいいって言われたわ」

「……」


サイモンは押し黙る。

エルヴィスのその言葉は、優しさとも無関心ともとれた。


(……どっちかは、僕には分かるけど)


ちらりと隣のオリヴィアを見ると、その横顔はどこか悲しげに見えた。


「私の結婚が本当に私の自由だと言うのなら、私は……エルヴィスとそんな関係になれたら、どんなに素敵なことだろうと思う。でも……エルヴィスは私なんて眼中にないの」


エルヴィスに言われた「好きなやつと結婚しろ」という言葉が、オリヴィアの胸に深く沈んでいた。

エルヴィスはオリヴィアとの結婚など、一切考えたことがないだろう。

オリヴィアが心の内でそんなことを考えていたと知ったら、エルヴィスは何と言うだろう。


「陛下はそう思うんだね」


サイモンが、オリヴィアの感情を受け取るようにそう言った。

サイモンのその口調に、オリヴィアは首を傾げる。


「サイモンは違うの?」

「まあね……。陛下もだけど、エルヴィスも大概鈍感だからなあ。眼中にないって感じるのは気付いてないからで、気付いたら案外早いんじゃないかな」


(陛下の気持ちにも、自分の気持ちにもね)


サイモンの心の声は、オリヴィアには聞こえない。


「そうかしら……。でもいいの。気付かないままで」

「どうして?」


目を丸くするサイモンに、オリヴィアが苦笑した。


「今の関係を壊したくないの。今の、互いに信頼し合えている確かな関係を。私が下手に気持ちを伝えることで……気まずくなったら嫌だわ」


オリヴィアの下がった眉は、彼女の憂いを表していた。

オリヴィアが想いを打ち明けることで、自分たちの今の関係が最悪の場合壊れてしまうかもしれないと、オリヴィアは本気で信じているようだった。


「エルヴィスはそんな男じゃないさ」


サイモンがほんの少し強い声で言った。

エルヴィスは旅の相棒が自分に特別な感情を抱いていると知ったからって、これまでの態度を変えるような、そんな意気地無しな男ではない。

ましてその相手がオリヴィアなら、彼は尚更冷たい態度など取らないだろう。

それをオリヴィア自身も分かっているはずなのに……己に自信がないのだ。


「分かってる。きっと気まずくなるのは私だけ。……私が、臆病なの」


オリヴィアが俯いた。

雨で日が入らないので、オリヴィアの顔は暗く見えた。

サイモンには、そんなオリヴィアを叱咤することなどとてもできなかった。

彼にできるのは、オリヴィアに寄り添うことだけ。


「……怖いんだね。エルヴィスが大切だからこそ、余計に」

「ええ」

「当然だと思う。その気持ちは仕方ないよ」

「うん……」

「ただ一つアドバイスするなら、エルヴィスは意外とストレートな言葉に弱いと思うよ」

「……えっ?」


オリヴィアが顔を上げてぽかんとする。

サイモンがウィンクすると、オリヴィアはくすりと笑った。


「何それ」

「僕、陛下のこと応援してるから。もし陛下とエルヴィスが痴話喧嘩したら、僕は迷わず陛下の味方につくから安心してね」

「もう、サイモンったら」


オリヴィアは両手で口を押さえて笑った。


不意に、さあっと風が吹く。

雨粒と共に葉が舞った。


風が去った後、小石を踏み締める足音がして、オリヴィアは目線を向ける。

そこには……右手に傘を差し、左手に閉じた傘を二本持ったエルヴィスがいた。


「お迎えに上がりました、陛下」


エルヴィスの姿を認め、オリヴィアの心臓が跳ねる。


「エルヴィス!……今の、聞いてた?」

「何をですか?」

「な、何でもない!聞いてないならいいの」


オリヴィアが顔を赤くして両手を振る。

エルヴィスは首を傾げた。


「何かあったのか」


後ろのサイモンに聞けば、サイモンはくすりと笑って頭を横に振るばかりだった。


「いーや、何も」

「……?」


エルヴィスは眉を寄せる。

だがそれ以上は追及しなかった。


サイモンがおどけたように言った。


「エルヴィス、傘二本持ってるけど一本は僕のだったりする?」

「ああ」

「ありがとう!」


満面の笑みで嬉しそうに受け取るサイモン。

エルヴィスは怪訝な顔をしたが、黙って傘を渡した。


そしてもう一本の傘を差し、左手の傘をオリヴィアの頭上に掲げる。


「帰りましょう、陛下。お送りします」

「ありがとう、エルヴィス。傘、自分で差すわ」

「いえ、陛下に傘を持たせるわけにはいきません。私が差します」

「そんな、悪いわ」

「お気になさらず」


互いに傘を持とうとして言い合う二人を見ていたサイモンが、後ろでぽつりと言った。


「……もしかして、痴話喧嘩してる?」


エルヴィスとオリヴィアがサイモンを勢い良く振り返る。

エルヴィスは眉間にシワを寄せ、オリヴィアは顔を赤くして、二人同時に言った。


「してない」

「してないわ!」


息ぴったりな二人に、サイモンはとうとう堪えきれず、声を出して笑った。

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