9.決別
夕方の王城図書館。
広い館内は静まり返っていて、中にはただ一人エルヴィスがいるのみだった。
エルヴィスは腕の中に資料を抱え、棚と棚の間をゆっくりと歩いていく。
不意に、扉が開く音がした。
来訪者の気配に、エルヴィスは耳を澄ます。
コツ、コツというゆったりとした靴の音は、徐々にエルヴィスの方へと近づいていった。
やがて足音はエルヴィスの背後で止まる。
エルヴィスが振り返ると、そこにいたのは、フォーサイス家当主、デボラ・フォーサイスだった。
「ごきげんよう、エルヴィス様」
小麦色の髪を揺らしてデボラが微笑みかける。
「こんにちは、デボラ様。いえ……そろそろこんばんはでしょうか」
エルヴィスがちらりと窓を見て言った。
夕焼けは徐々に群青に色を変えている。
「こんなところでお会いするとは奇遇ですね。どういったご用件で?」
エルヴィスが尋ねると、デボラは笑みを深くした。
だが、その瞳は笑っていなかった。
「貴方に会いに来たのです、エルヴィス様。いえ……」
デボラがゆっくりと、深く頭を下げる。
「フェリックス王子殿下」
エルヴィスが、すっと顔から微笑みを消した。
淡々とした声が、その口から落ちる。
「……貴女は感づいていると思っていた」
デボラの喉が微かに震える。
「一目見て分かりました。その美しい金髪に碧眼、見間違えようがない。ずっとお探ししておりました」
その言葉に、エルヴィスが僅かに口角を上げた。
「ずっと探していた?ということは、貴女は端からあの晒し首を信じていなかったわけだ」
「言ったでしょう?一目見て分かると。あの首は貴方のものではありませんでした。ダニエルは全く気付いておりませんでしたが」
デボラが、苛立ちを抑えるように息を吐く。
「ダニエル……。『指輪』のベイリーか。あの人は良くも悪くも現実主義だからな」
「それで大切なものを見逃すなんて愚かなのですわ」
デボラの言葉は辛辣だ。
先日否定された自分の意見が正しかったことを受けて、思い出して腹を立てているのだろう。
「お父上やお母上、ご兄弟のことは残念でございました。心中お察し致します」
沈鬱な表情でデボラが目を閉じると、エルヴィスはすっと視線を逸らした。
執事だったジョセフ・フォスターに手を引かれたあの時のことを思い出す。
魔王が破壊と共に現れ混沌と化す城。
響き渡る悲鳴。
ジョセフにエルヴィスを預ける父親。
早く行きなさいと叫ぶ母親。
……首だけになって門に下げられた、大切な人たち。
「フェリックス・エクスカリオンは死んだのだ。彼らと一緒に」
エルヴィスが窓を睨んだまま言った。
デボラが目を見開いた。
「何を仰います」
スカートを握る手が震えている。
「フェリックスの名は、ジョセフに手を引かれ逃げ出したときに捨てた。俺はただのエルヴィス・フォスター。逃げた先で魔族に捕まり奴隷となった、ジョセフの孫だ」
「フェリックス殿下!」
「エルヴィスだ」
エルヴィスの口調はきっぱりとしていた。
デボラは、エルヴィスの意志を変えることなど不可能であると悟った。
「それにだ。この国の王がどうやって選ばれるか忘れたのか」
「えっ……?」
「王を選ぶのは聖剣エクスカリバー。血筋は関係ない。先王の息子に地位などないに等しい」
「でも……!幼い頃の貴方はあの剣に触れておられました。貴方は剣に選ばれたのでは?」
「拒まれてはいない。だが選ばれてもいない」
エルヴィスの言葉に、デボラは返すことができなかった。
静かな凪のようなエルヴィスの目が、彼の心を物語っている。
「……ずっと打ち明けようか悩んでいた。正確に言えば、認めようか否か。貴女が俺の正体に感づいていることは分かっていたから」
「……どうして、お認めになることにしたのですか」
デボラは己の感情を抑えるように、声を絞り出した。
気を抜くと嗚咽が混じりそうだった。
「真の王がいると分かってほしかったからだ。オリヴィア女王陛下という、真のエクスカリオンが」
デボラがハッと息を呑んだ。
胸を鋭く突き刺されたような心地だった。
エクスカリオンは、剣に選ばれた者が受け継ぎ名乗っていく姓。
市井に下るとその姓は失われる。
現在この国で、その姓を名乗れるのは──オリヴィアただ一人。
「……オリヴィア女王陛下を認めていないわけではありません。ただ……ただ、貴方をずっと探していたから」
「フェリックスは死んだ。忘れろ」
「貴方は剣に選ばれていた」
「今、剣はオリヴィア女王陛下を選んでいる」
「フェリックス殿下……!」
エルヴィスが、まっすぐにデボラを見た。
……優しい目をしていた。
「忠臣よ。貴女のような人がいて、フェリックス・エクスカリオンは幸せだった。どうか未来へ進んでほしい。それが、最後の願いだ」
デボラの頬を、一筋の涙が伝った。
暫く固まって動けない様子だったが、やがて、デボラはゆっくりと、優雅にカーテシーをした。
「……最後のご挨拶を申し上げます。フェリックス・エクスカリオン王子殿下。貴方にお仕えできて光栄でした」
「大義であった」
エルヴィスが応えると、デボラは姿勢を戻し、小さく微笑んだ。
「それでは、ごきげんよう。エルヴィス様」
エルヴィスも、淡く笑った。
「ええ、また。デボラ様」
デボラの去っていく靴音だけが聞こえる館内。
夕焼けの陽は、星明かりに変わっていた。




