第17話 コメント欄、尊いって叫んでください(中編1)
——その時。
頭の中で、コメント欄が、静かになった。
ふっ、と。
それから。
『ひなたさん、聞こえてるか?』
『俺たち、いるよ』
『ひなたさんの、後ろに、いる』
『ずっと、観てた』
『最初から、ずっと』
『N縛りで、爆死で、それでも、ここまで来たひなたさんを』
『観てた』
『応援してた』
『笑ったり、泣いたり、ガチャ運営にキレたりしながら』
『ずっと、ひなたさんと、リルアちゃんを』
『観てきた』
——コメント欄。
私は、思い出した。
——コメント欄、ありがとう。
何度、そう言ってきただろう。
——コメント欄、みんなの応援。
「リルア」
「うん」
「コメント共有機能、使う」
リルアが、目を見開いた。
「えっ」
「あの時、封印したやつ。あれ、ここで、使う」
「ひなたちゃん、いい、の?」
「うん」
私は、リルアの両肩に、手を置いた。
「リルア、私のスキル、共有していい?」
「うん、もちろん」
「それじゃ——」
スキル画面を、開いた。
【コメント共有機能:対象を選択してください】
「リルア」
【共有を開始しますか?】
「はい」
【共有を開始しました】
リルアが、目を、見開いた。
「あ……みんなの声、また、聞こえる」
『リルアちゃん!』
『戻ってきた!』
『リルアちゃん、聞いてくれ』
『お前は、お前の信徒に、囲まれてるから』
『今、見えてるのが、お前を信じてる、全員だ』
『最初から、ずっと、お前を見てきた、全員だ』
『ロウソクサイズの後光に、惚れた、全員だ』
リルアの目が、うるっと、潤んだ。
『リルアちゃん、頑張れ』
『消えるな』
『R女神最強』
『俺たちは、ひなたさんと、リルアちゃんに、ついてる』
『ずっと、ついてた』
『これからも、ついてく』
何万人——いや、もしかすると、何十万人。
それまで、ふざけて、推し活して、ガチャ運営をdisって、尊いと叫んでた、コメント欄の住人たちが、一斉に、リルアに、声を、届けてた。
リルアの後光が、ぐっと、膨らんだ。
ロウソクから、ランプへ。ランプから、ランタンへ。
そして——光の色が、変わった。
ロウソクの「あったかい黄色」じゃない。
——銀色。
冷たく、澄んだ、銀色。
「これ……」
リルアが、自分の体を、見下ろした。
リルアのワンピースの裾に、銀の光の縁取りが、入った。月の光。
【信仰が集まりました。女神昇格を行います】
【リルア:Rランク→SRランク】
『お』
『お!?』
『お!!!』
『ランクアップ!?』
『リルアちゃん、SRに上がった!?』
『信仰の集中投下、これがエルナさんの鑑定で言ってたやつ!』
『コメント共有スキル=信仰チャネル、確定!』
「リルア! 後光、月光になった!」
「うん、うん——」
リルアが、後光を見て、笑った。
「これで——戦える」
そして、リルアが、私の方を、見た。
「ひなたちゃん」
「ん」
「わたし、見つけた」
「えっ」
「『生み出したい、もの』」
——あ。
リルアの目が、まっすぐ、私を、見てた。
「さっき、話した、こと——わたし、コピーだから、いつか、消えるかも、って」
「うん」
「でも——わたしが、消えても」
リルアが、自分のお腹のあたりに、手を、当てた。
「ひなたちゃんとの、繋がりが、この世界に、残る、形が、ある」
——え。
「わたしが、いなくなっても——ひなたちゃんと、わたしの、証が、ちゃんと、ここに、残る、形」
「リルア、それ——」
「あの形なら、わたし、ヴァニタスに、勝てる。だって——わたしが、消えても、続く、もの、だから」
リルアが、ヴァニタスに向き直った。
両手を、上に挙げた。
月光が、ぐっと、収束した。
——でも、いつもの月光と、何かが、違った。
リルアの目が、閉じていた。集中してる。エルナさんが言ってた——「何かを、生み出したい」と、強く、願う。
リルアの唇が、小さく、動いた。
「私が——生み出したい、もの——」
声は、私にしか、聞こえなかった。たぶん。
「ひなたちゃんとの——赤ちゃん」
「ッ——え」
私の心臓が、跳ねた。
「ひなたちゃんと、私の——赤ちゃん。生み出したい。この世界に。召喚されてきて、ひなたちゃんとのつながりをずっと、ずっと、残したいって思ってた」
リルアの目が、閉じたまま。
「だから——絶対に、ここで、終わらせない。私が、生み出すまで——終わらせない」
——リルアの後光が、変わった。
銀色の月光に、ほんの少し、淡い金色が、混じった。あったかい色。命の、色。
ヴァニタスの白い影が、初めて——揺らいだ。
光のビームが、ヴァニタスに、放たれた。
——直撃。
ヴァニタスの胸の、白い靄が、月光に当たった瞬間、ジュッ、と、音を立てて、蒸発した。
「効いてる!」
『マジで効いてる!』
『SR月光、UR相手にダメージ!』
『なんで!? SSRセラフィーナの光は吸われたのに!』
『エルナさんの鑑定だよ! 創成の女神の力=何かを生み出したい願い、だから吸収されない!』
『リルアちゃん、何を生み出したいって思ったんだ……』
『ひなたさんが顔真っ赤になってるな……』
『なんか聞こえちゃいけないやつ聞こえてないか?』
『創成の力=虚無の対極、マジだった!』
『すげぇ、すげぇぞリルアちゃん!』
ヴァニタスが、後ずさった。
——でも。
すぐに、再生し始めた。
蒸発した部分に、また、白い靄が、染み出してきた。元通り。
「再生する……」
リルアが、唇を噛んだ。
「もっと、もっと、強い光が必要——」
『足りないか』
『SR一発じゃ、足りない』
『もっと、もっと』
——その時。
コメント欄が、変なことを、言い始めた。
『ひなた聞け』
『ピンチの時は、キスだ!!』
『セオリーだろ』
『覚醒イベントはキス(定石)』
『二人の関係性が、最後の武器』
『R女神からSR女神になった、次の段階に行くには、ぶっちぎりのトリガーが必要』
『キスだろ、それは』
「えっ」
『コメント欄、急に何言い出した』
『いや、定石は定石だぞ』
『ラノベ、ソシャゲのストーリーボス戦、覚醒トリガーは大体キス』
『二人の絆を、ここで見せろ』
『戦場のキス、これは古今東西の定石』
『ひなたさん、聞こえてるか』
『今、二人が、ここでキスしたら、何かが、起きる』
『俺たちの、信仰が、爆発する』
ヴァニタスの手が、また、伸びてきた。
リルアが、月光ビームで、ヴァニタスを、押し返してる。でも、押し負けてる。
時間がない。
私は、リルアの方を、見た。
リルアも、私を、見てた。
リルアの月光の中、リルアの青い目が、私を、見てる。
——コメントが、騒いでる。
——でも、コメントが、決めるんじゃない。
——私が、決める。
——私が、いま、リルアにキスしたい。
——コメント欄は、背中を押しただけ。
「リルア」
「ん」
リルアが、私を見た。
戦場の真ん中で、月光の後光をまとったまま、ヴァニタスの白い手が空からゆっくり迫ってくる中で——リルアは、私だけを見ていた。
「キス、するね?」
私の声が、自分でも驚くくらい、落ち着いていた。
リルアが、ふっと、笑った。緊張の溶けた、リラックスした、あの宿のベッドで見せる笑顔だった。
「うん」
私は、片手をRツルハシから離した。もう片方の手も。武器が、地面に、ことん、と落ちた。
両手で、リルアの頬を、包んだ。
リルアの頬は、汗ばんでいた。ヴァニタスとの戦闘で、月光ビームを撃ち続けた疲労。それでも、私の手のひらの中で、確かに、温かい。生きてる。
戦場のど真ん中。雲の渦の下。ヴァニタスの腕の下。
世界の半分が黒い雲で覆われた空の下で。倒れたレクトと、喰われたセラフィーナと、負傷したエルナの間で。何万人ものコメントが渦巻く頭の中で。
——でも、いまは。
リルアの目だけが、見えた。
リルアの青い目が、私を見上げてた。瞬きが、ひとつ。月光に染まった銀の睫毛が、ふわっと、揺れた。
私は、ゆっくり、顔を、近づけた。
リルアの息が、私の唇に、かかった。あったかい。湿ってる。リルアの吐く息と、私の吸う息が、一瞬、混ざった。
「ひなた、ちゃん」
リルアが、私の名前を、呼んだ。
——その響き。
灼熱層の洞穴で、夜の宿で、お風呂で、ベッドで、何度も呼ばれてきた響き。R女神の、ロウソク後光の、女の子の声。
唇を、合わせた。
——触れた瞬間。
世界が、止まった気がした。
ヴァニタスの腕の影も、雲の渦も、コメント欄の弾幕も、すべて、外側に、引き剥がされた。
私の唇に、リルアの唇が、当たってる。柔らかい。少しだけ、塩辛い。汗。リルアの体温が、私の唇から、頬から、私の手のひらへ、私の腕へ、染みてくる。
リルアの後光が、私の顔の真横で、ぽわぽわ、揺れた。月光の銀色が、リルアの頬と、私の頬を、同時に、染めた。
リルアの手が、私の腰に、回った。引き寄せる、というより、確かめるみたいな、控えめな手の置き方。私の腰の布越しに、リルアの指の温度が、伝わった。
私はもう少し、深く、唇を寄せた。
リルアの口の中の、温度。
リルアの舌が、控えめに、私の唇に、触れた。問いかけるみたいに。私が、応えた。短く、確かに、舌を、絡めた。
リルアの息が、漏れた。
私の指が、リルアの頬を、撫でた。汗を、拭うみたいに。リルアの目尻に、ちょっとだけ、涙が、滲んでた。
——リルアも、こわかったんだ。
——私も、こわかった。
——でも、いま、ふたりは、ここで、生きてる。
唇を、ゆっくり、離した。
短いキスじゃ、なかった。たぶん、3秒、4秒、それくらい。でも、頭の中の体感では、もっと、長かった。
私の唇から、リルアの唇に、薄く、糸が引いた。すぐ、切れた。
リルアが、目を開けた。さっきまでのこわばりが、消えていた。
「ひなたちゃん」
「うん」
「いっしょに、勝とう」
「うん」
——その瞬間。
——コメント欄が、爆発した。
『尊い』
『尊い』
『尊い』
『尊い尊い尊い』
『尊い尊い尊い尊い尊い』
『尊い尊い尊い尊い尊い尊い尊い尊い』
『(記録用)』
『(永久保存版)』
『泣いた』
『一生ついていく』
『推しを布教する』
『推しに推される推しで草(号泣)』
『推しが救う、もう古文書(永久保存版)』
『今日の信仰枠』
『この語録、明日には他のスレにも貼られてる』
『R女神とN勇者の戦場のキス、伝説確定』
『俺たち、伝説の目撃者』
『一生、自慢できる』
『孫に語れる』
弾幕が、視界を、覆った。
字数だけで、ヴァニタスを、押しつぶせそうなくらいの、量。
そして、トーンが、変わった。
ふざけたコメントから——
『信じてる』
『ずっと、信じてた』
『あの窓辺から、ずっと』
『リルアちゃんが、ひなたさんを、救ってくれること』
『ひなたさんが、リルアちゃんを、守ってくれること』
『ルミナさんの分も』
『メロちゃんの分も』
『俺たちの分も』
『俺たちの、尊いは、信仰だ』
リルアの後光が、ぐっと、明るくなった。
銀色の月光が、変わった。
——金色。
——太陽の色。
リルアのワンピースの裾の縁取りが、銀から、金に、変わった。
【信仰がさらに集まりました。女神昇格を行います】
【リルア:SRランク→SSRランク】
『SSR!!!』
『SSRに上がった!!!』
『俺たちのリルアちゃんが、SSRに!!!』
『R女神、ついにSSR女神に!』
『爆死してR女神を引いたあの瞬間から、ここまで来た』
『信仰の力、ここに極まる』
リルアの体から、太陽の後光が、放射状に、広がった。
ヴァニタスの白い手が、その光に、触れた瞬間——
ジュゥッ、と、溶けた。
「えっ」
ヴァニタスの腕が、太陽の後光に、触れた部分から、白い靄が、蒸発していった。再生が、追いつかない。
「効く!」
『リルアちゃんに触れたら、UR本体が溶ける!』
『これは……ヴァニタスの方が攻めあぐねるパターン』
『戦況、逆転!』
ヴァニタスが、後ずさった。
腕を、引っ込めた。
距離を、取ろうとした。




