第17話 コメント欄、尊いって叫んでください(前編)
街の北。
雲の渦の下に、私たちは立っていた。
空は、もう、半分が黒い雲で覆われてた。雲の中心では、白い影が、ゆっくり、ゆっくり、降りてくる。
巨大な、顔のない、人型のシルエット。
地上に立つ私たちと、視線を合わせるみたいな高さに、降りてきた。
頭は、ない。胴と腕と脚だけ。輪郭は、白い、靄。中身は、空っぽ。
——無貌神ヴァニタス。
『来た』
『来てしまった』
『でかい』
『SSR勇者の3倍くらいある』
『ガチで物量からおかしい』
『URサイズ、伝説に違わぬ巨大ボス』
◇
「ひなた、後ろに下がれ」
レクトが、私の前に出た。聖剣を、両手で構える。聖剣の刃が、白く、輝いてる。
「セラフィーナ、結界」
「はい」
セラフィーナが、シャンデリア後光を、抑えていた光量から、一気に開放した。広場全体に、薄いドーム状の結界が張られる。光の壁。
「これで、街への直接被害は、しばらく防げます」
「いいぞ」
レクトが、ヴァニタスを睨み上げた。
「行く」
レクトが、地面を蹴った。
聖剣の鎧、脚の強化、飛行——SSR勇者の全スキルが、一気に発動した。
レクトが、空中を駆け上がる。
ヴァニタスの胴体、その中心を、聖剣が裂いた。
さぁ、と、白い靄が散った。
——再生。
ヴァニタスの裂けた箇所が、ゆっくり、また、白い靄で塞がっていった。
「効かない、か」
レクトが、地面に着地した。聖剣を握り直す。
「セラフィーナ、後光ビーム」
「はい!」
セラフィーナの後光から、光のビームが放たれた。シャンデリア級のSSR後光。集束されたビームが、ヴァニタスの胸を貫く——
——のではなく。
ビームが、ヴァニタスの体に、吸い込まれた。
「えっ」
セラフィーナの目が、見開かれた。
ヴァニタスの体が、ぐっと、明るくなった。
「光、奪われてる!」
セラフィーナが、ビームを止めようとした。でも——止まらなかった。
シャンデリア後光が、糸を引くように、ヴァニタスの体に吸い込まれていく。
「セラフィーナ!」
レクトが叫んだ。
セラフィーナの体が、ふっ、と、軽くなった。後光が、急速に、弱くなっていく。
シャンデリア→ランプ→ロウソク→マッチ棒——
「セラフィーナ! 離れろ!」
レクトが、セラフィーナの腕を引いた。
でも、もう、遅かった。
セラフィーナの後光が、すぅっ、と消えた。
「あ……」
セラフィーナが、膝から崩れた。
「セラフィーナ!」
私たちは駆け寄った。
セラフィーナは、目を閉じてた。息はある。でも、後光が、ない。後光が完全に消えた女神って、こんな感じになるんだ——白くて、人間に近い。気絶してる。
「セラフィーナちゃん、セラフィーナちゃん!」
リルアが、セラフィーナの肩を揺さぶった。
「セラフィーナちゃん、起きて!」
セラフィーナは、目を開けない。
『マジか』
『SSR女神、第1ターンで沈黙』
『これがUR——SSRの後光をビーム一発で吸い尽くす』
『相性悪すぎる』
『信仰を喰う敵に、信仰の集合体である女神を、ぶつけちゃダメだろ』
『でも、ぶつけるしかなかった』
ヴァニタスの体が、さっきより、明るくなってた。セラフィーナの後光を、丸ごと、吸収した。
——そして。
ヴァニタスの白い手が、ゆっくり、伸びてきた。
長い、長い、腕。広場まで、届く。
腕の先端が——セラフィーナの体を、つかんだ。
「離せ!」
レクトが、聖剣で、その腕を斬った。
斬れた。でも——
腕の中央で切断されたのに、ヴァニタスは、平然としてる。切れた腕の先端が、セラフィーナの体を抱えたまま、空中に浮いて、ヴァニタスの本体に向かって、ふわふわ、戻っていく。
「待て! 離せ!」
レクトが、空中を駆け上がった。聖剣で、もう一度、腕を斬る。斬る。斬る。
切っても、切っても、白い靄が、再生する。
セラフィーナを抱えた腕の先端が、ヴァニタスの胴体に、ゆっくり、吸い込まれていった。
セラフィーナの白いドレスが、最後にちらっと見えた。
そして、消えた。
ヴァニタスの体に、丸ごと、取り込まれた。
「セラフィーナーーー!!!」
レクトの絶叫が、空に響いた。
◇
『セラフィーナさん、喰われた』
『あ、あ、あ』
『SSR女神、第1ターンで退場』
『URの吸引能力、想像以上』
『これ、レクトちゃん、メンタル来るやつ』
地上に、レクトが落下してきた。聖剣を地面に突き立てて、止まる。
レクトの肩が、震えてた。
「ひなた」
レクトが、振り向かずに、私の名前を呼んだ。
「うん」
「リルアと、エルナを連れて、逃げろ」
「えっ」
「私が、一人で時間を稼ぐ」
「待って——」
レクトが、私の方を、ちらっと見た。
「セラフィーナを、取り戻す。あいつの中から、引きずり出す。だから——お前らは、生きて、攻略の手がかりを、探してくれ」
「レクトちゃん」
「お前らがいなくなれば、ヴァニタスの注意は、私一人に向く」
「でも——」
「私はSSRだ。女神じゃなくとも私だけで、多少は引きつけられる」
レクトの声は、いつもの「ふんっ」じゃなかった。低くて、強くて、まっすぐな声。
「ひなた、頼んだ」
レクトが、地面を蹴った。
聖剣を構えて、ヴァニタスに向かって、まっすぐ、突進していった。
「レクトちゃんーーー!」
私は叫んだ。
ヴァニタスが、もう一本の腕を、振り上げた。
聖剣の刃が、ヴァニタスの胸を、まっすぐ貫いた——
——けど、その瞬間。
ヴァニタスの白い手が、レクトを、つかんだ。
握りつぶすんじゃなかった。
ぽい、と、放り投げた。
レクトの体が、空中を、横に飛んだ。広場の外、街の壁に、激突した。
ガラガラ、と、壁が崩れる音。
「レクトちゃん!」
私とリルアと、エルナが、駆け寄った。
レクトは、瓦礫の中で、倒れてた。
聖剣を、まだ、握ってた。
「……生きてる」
息は、ある。でも、意識がない。鎧が割れて、肩から血が流れてる。
「レクトさん、レクトさん!」
リルアが、レクトの頬を叩いた。レクトは、起きなかった。
『SSR勇者、ワンパンで敗北』
『ヴァニタス、嫌な強さ』
『ガチで投げ捨てるみたいに無造作』
『勇者って、こうも軽く扱われるのか』
『リアル絶望』
「桜庭さん!」
エルナが、私の腕を引いた。
「逃げてください!」
「逃げない」
「桜庭さん、レクトさんもセラフィーナさんも倒されました。次は——」
その時。
ヴァニタスの体から、白い靄の塊が、複数、飛んできた。
無数の、靄の弾。
「エルナさん、伏せて!」
エルナが、咄嗟に、私を突き飛ばした。
エルナの背中に、靄の弾が、何発も、命中した。
「えっ」
エルナの体が、地面に、崩れた。
「エルナさん!」
私はエルナを抱き上げた。
エルナの唇の端から、血が滲んでた。倒れた拍子に、唇を強く噛んだらしい。
「桜庭、さん」
「エルナさん、しっかりして」
「桜庭、さん……鑑定、が」
エルナの瞳の奥で、鑑定スキルの光が、まだ、弱く、走っていた。
——戦闘が始まってから、ずっと、鑑定を続けてたんだ。UR相手に。ボロボロの体で。
「結果、が……出ました」
エルナが、噛んだ唇から血を滲ませたまま、言葉を絞り出した。
「ヴァニタスは——信仰を、喰います。女神の後光も、信徒の祈りも、全部——信仰エネルギーとして、吸収する」
「それは、さっき——」
「でも——リルアさんの力には——別の属性が、ある」
エルナの目が、リルアを見た。
「創成の女神……リーゼリスの、残滓。何かを——生み出す、力」
「生み出す、力……」
「ヴァニタスは、世界の裏返し。無から生まれた、虚無。何も、生み出さない。でも——創成の力は、その対極。何かを、生み出したい、と願う力。だから——相殺、できない。吸収、できない」
エルナが、咳き込んだ。唇から、また、血が一滴、こぼれた。
「ただ——そのままじゃ、駄目、です。リルアさんの力の——創成の部分だけを、前に出すように——少し、アレンジ、すれば——」
「アレンジ?」
「リルアさんが——『何かを、生み出したい』と、強く、強く、願えば——その気持ちが、月光に、宿る。信仰の光じゃなく、創造の光として、放たれる」
エルナの鑑定スキルの光が、ふっ、と、消えた。
エルナの声が、どんどん、小さくなっていく。
「後は——頼み、ます……」
エルナの目が、閉じた。
意識を、失った。
◇
UR相手に、鑑定スキルを、最後まで走らせ続けた。全神経を、使い果たした。
でも、息はある。生きてる。たぶん、生きてる。お願い、生きてて。
「エルナさん」
エルナの頬を、撫でた。あったかい。生きてる。
——絶対、生きて、戻る。
「リルア」
「うん」
「聞いてた? エルナさんの、鑑定結果」
「うん——生み出したい、もの……」
リルアが、自分の手を見た。R女神の、小さな後光。
「奥の方に、何か、眠ってる、気はする。でも——それが、何なのか、わたし、わからない」
「リルア」
「『何を、生み出したいか』が、わからないと、力が、出ない。創成の女神の、チカラ——わたし、ピンと、来てない」
リルアが、唇を、噛んだ。
「ごめん、ひなたちゃん。今すぐ、は——」
「いいよ」
「えっ」
「考えて。リルアが、答えを、見つけるまで」
「でも、ヴァニタスは、待たない」
「うん。だから——」
私は、Rツルハシを、握り直した。
「下がってて」
「えっ」
「私が前に出る」
リルアが、目を見開いた。
「ひなたちゃん、それは——」
「私が前に出ないと、リルアが標的になる。私が時間を稼ぐから、リルア、その間に、見つけて。リルアが『生み出したいもの』」
「で、でも——」
「お願い」
リルアが、唇を噛んで、頷いた。
「うん——わたし、見つける。絶対」
私はRツルハシを構えて、ヴァニタスに向き合った。
——巨大な、白い、顔のない影。
私の身長の、20倍以上。
腕が、空気を裂きながら、こっちを向く。私を見てる。視線はないけど、見てる。
ヴァニタスの白い手が、ゆっくり、私に向かって、伸びてきた。
私は、握りしめたツルハシで、振り下ろした。
——かすった。
ツルハシの先端が、白い靄を、ちょっとだけ、削った。
でも、すぐ、再生した。
ヴァニタスの手が、私の頭の上に、かぶさってきた。
避けられない。腕が早すぎる。距離も近すぎる。
「ひなたちゃん!」
リルアが叫んだ。
ヴァニタスの白い手が、私に、触れた。
——その瞬間。
何かが、私の体から、すうっと、抜けていく感覚。
「えっ」
頭の中が、ぼーっとした。
リルア、を——
リルアのこと、を——
「ひなたちゃん?」
ヴァニタスの手が、私の体に、触れたまま。
私の中の、リルアへの想いが、抜けていくのが、わかった。
朝、リルアが「ひなたちゃん」って呼んだ声。
宿で、リルアが私の腕の中で、すぴすぴ寝てた感触。
灼熱層の洞穴で、ぎゅっと抱きついてきた、湿った肌の匂い。
総選挙の夜、リルアが「明日、ちゃんと話す」って言った時の、揺れる目。
——全部。
吸われていく。
——ひっ、と、息が止まった。
『ヤバい』
『ヤバいヤバいヤバい』
『ひなたさんの記憶吸われてる』
『リルアちゃんへの想いそのものを吸い取ろうとしてる』
『恋愛感情ごと』
『ヤバい! 止めろ!』
『ひなたさん、虚無のポーション!』
——虚無のポーション。
私は、震える手で、ポーチから、ビンを取り出した。
『N:虚無のポーション』
ヴァニタスの手の真下、私の足元に、たたきつけた。
ぱりん。
虚無の、効果。
「感情を一瞬、無効化」する、用途不明のNアイテム。
私の感情が、一瞬、ぷつっ、と切れた。
ヴァニタスが吸い上げていた「想い」も、一緒に、ぷつっ、と切れた。
ヴァニタスの手が、ぐらっと、揺れた。
吸引が、止まった。
「今ッ!」
私は、後ろに飛びすさった。ヴァニタスの手の届く範囲から、抜けた。
リルアの隣まで、走って戻った。
リルアが、私を抱きしめた。
「ひなたちゃん、よかった、よかった!」
リルアの腕が、震えてた。私を抱く力が、いつもより、強かった。
「リルア——」
「ひなたちゃんの中の、わたしが、消えそうだった。あの、瞬間——わたし、頭が、真っ白に、なった」
「うん」
リルアが、私を、ぎゅっ、と、抱きしめ直した。それから、小さな声で、ぽつり、と。
「……わたし、コピー、だから」
「えっ」
「いつか、消えるかも、しれない。創成の女神の、コピー。何百体も、いる、うちの一人。世界の、どこかで、本体が、力を、使い切ったら——わたしも、たぶん、消える」
——リルア。
そんなこと、考えてたんだ。
「だから、さっき、ひなたちゃんから、わたしの存在が、消えそうになって——わたし、こわかった」
「リルア——」
「いつか、わたしが、消えても——ひなたちゃんとの、繋がり、だけは、残したい。残せる、形——あれば、いいのに、って」
リルアの声が、揺れた。
「ずっと——ずっと、思ってた」
「リルア——」
私は、リルアの背中に、手を、回した。
「私も、ずっと、一緒にいたい」
「うん」
私の中の、リルアへの想いが、戻ってきていた。
虚無のポーションが切れて、感情が再起動した。リルアの匂い、リルアの温度、リルアの——全部、戻ってきた。
ぎりぎり、間に合った。
「リルア」
「うん」
「あれ、感情を吸う」
「うん」
「想いの、強い方から、吸う。たぶん、信仰と同じ仕組み」
「うん」
『SSR後光を吸ったのと同じだ』
『感情=信仰、と認識してる』
『密度が高いほど、吸いやすい』
『ひなたさんのリルアちゃんへの想い、密度バカ高いから真っ先に狙われた』
ヴァニタスが、また、腕を伸ばしてきた。
距離を詰めてくる。逃げ場がない。
——どうする。
レクトは倒れてる。セラフィーナは喰われてる。エルナは負傷してる。リルアは戦闘力がない。
私一人で、何ができる。




