第16話 UR、そんなレアリティ聞いてないんですけど(前編)
朝の空に「顔のない影」が映った日から、世界はおかしくなった。
宿に戻る道すがら、もう一度、揺れた。三回目。今度は、地面じゃなくて、空が。
「空、揺れた?」
「揺れた」
雲が、波打ってた。
水たまりに石を落としたみたいに、空の真ん中で、見えない波紋が広がる。中心点が、移動する。雲が、その波紋に従って、ぐにゃっと曲がる。
『え』
『空が揺れるって、何』
『空って、揺れるもんなの?』
『揺れるはずないんだよな』
『でも、揺れてるな』
『俺たち、いま、ヤバいもの見てる』
リルアの後光が、ぴかぴか、ぴかぴかしてる。さっきから止まらない。マッチ棒サイズに絞ってても、勝手に明滅する。
街の人たちも、空を指さしてる。子供が泣き出した。商店のおばさんが、開けたばかりの窓を、また閉めた。
——何かが、来る。
◇
宿に駆け戻った。
レクトとセラフィーナは、別の部屋にいる。ドアをノックした。
「レクトちゃん!」
すぐに開いた。
レクトが、聖剣を持って立ってた。鎧は着てないけど、剣だけはもう、抜き身を腰に下げてる。隣にセラフィーナがいて——いつもの女神スマイルが、消えてた。
「ひなた」
「見た? 空」
「見た」
レクトの声は、低い。
「どういう状況だ」
「エルナさんが言うには、世界の層が内側から押されてるって。あの——空に映った影が」
セラフィーナが唇を噛んだ。それからリルアの方を、ちらっと、見た。リルアも、セラフィーナを見返した。
二人の視線が、一瞬、絡んだ。
声を出さない、けど、何か、伝わった。研修時代を共有した二人にしか、わからない、合図みたいな何か。
リルアが、小さく頷いた。セラフィーナも、頷き返した。
「ひなたさま」
「うん」
「わたし、あれを、知っているかもしれません」
——え。
「知ってる、って?」
「正確には、聞いたことがあります。女神世界で、研修中に、噂として」
セラフィーナがリルアの方を見た。リルアが、首を振った。
「私は、覚えてない、けど……」
「リルア先輩は、わたしより前の研修期生でしたから、聞いてないかもしれません。わたしの代では、研修官が一度だけ口にしました。『もし出てきたら、女神は逃げなさい』と」
「逃げる?」
「はい」
セラフィーナの声が、震えていた。
「あれは——女神を、喰うんです」
部屋が、静かになった。
『…………』
『コメント欄、固まる』
『それ、ガチで聞いてはいけないやつでは?』
『女神を喰う、って、文字通り?』
『食物連鎖の頂点、女神の上に、何かいる』
「セラフィーナ、続けろ」
レクトが促した。
「はい」
セラフィーナが、椅子に腰掛けた。レクトはその横に立って、聖剣の柄に手を置いてる。
「研修官は、こう言いました。『女神とは、人々の信仰によって形を保つ存在。R女神もSSR女神も、信仰の量が違うだけで、本質は同じ。信仰の集合体だ』と」
「うん」
私はリルアの隣に座った。リルアの後光が、私の腿に触れて、ぽわぽわ揺れてる。
「そして、『信仰そのものを喰らう存在』が、ごく稀に、世界の外側から、こちら側に染み出してくる」
「それが——」
「『無貌神ヴァニタス』」
——名前が、出た。
セラフィーナが、その名前を口にした瞬間、リルアの後光が、ぐらっと揺れた。マッチ棒サイズだったのが、急に、ふっと、消えそうになって、ぎりぎり残った。
「リルア!?」
「だいじょうぶ、だいじょうぶ……」
リルアの声が、小さい。
「名前、聞いた瞬間、なんか、引っ張られる感じが、した」
セラフィーナが頷いた。
「やはり、リルア先輩も感じましたか」
「セラフィーナちゃんも?」
「はい。わたしも、いま、後光が——」
セラフィーナの後光が、シャンデリア級から、急にスポットライト級くらいに弱くなってた。
「名前を口にすることで、向こう側に『気付かれる』のかもしれません」
「じゃあ、もう言わない方が——」
「いえ」
セラフィーナが首を振った。
「もう、気付かれています。空に映ったのが、その証拠です」
レクトが、聖剣の鞘を、ガチャっと音を立てて握り直した。
「敵の特性を、整理しろ」
「はい」
セラフィーナが指折り数えた。
「一、無貌神ヴァニタスは、世界の外側から染み出す存在。世界の層を破って、こちら側に出てこようとする」
「うん」
「二、信仰を喰らう。人々の祈り、女神への崇拝、応援——それらすべてを、エネルギーとして摂取する」
「うん」
「三、女神を喰らう。信仰の集合体である女神そのものを、丸ごと取り込んで力を増す」
「……うん」
リルアが、すごく小さく、頷いた。
「四、SSRの女神が、特に標的になる。信仰の密度が高いから、最も栄養価が高い」
『お前ら、うっかり信仰したら養分にされるからな』
『推し活が、文字通り、敵の餌になるパターン』
『コメント欄も、信仰の一形態』
『俺たち、知らずに養分を提供してたかもしれない』
「五、前例が、ある」
セラフィーナが、目を伏せた。
「研修官は『過去に一度、出現した』と言いました。その時は——SSR3柱、SR12柱、R無数、合わせて全部、喰われたと」
「全部?」
「はい。喰われた女神たちは、二度と戻らなかった」
部屋が、また、静かになった。
リルアの後光が、ぐらぐら揺れてる。後光が泣いてる、って感じ。
「で、どうやって倒したんだ」
レクトが聞いた。
セラフィーナが、ゆっくり首を振った。
「倒せなかったそうです」
「は?」
「向こうが、満腹になって、勝手に世界の外側に戻った、と」
『最悪じゃん』
『それ、倒したんじゃなくて、お引き取り願っただけ』
『今回も同じパターンを期待——』
『は? また女神全部喰わせろってか?』
『それは無理だろ』
レクトが、深く息を吐いた。
「で、今回は、どうする」
「わかりません」
セラフィーナが、頭を下げた。
「わたしも、伝聞でしか知らない存在です。具体的な攻略法は、伝わっていません」
「難しいな」
「申し訳ありません」
「いや」
レクトが、セラフィーナの肩に手を置いた。
「責めてない。情報を出してくれただけ、十分だ」
セラフィーナが、ちょっと、目を潤ませた。
『レクトさま、優しい』
『普段ツンツンしてるレクトちゃんが、最終章モード』
『SSR勇者、シリアス顔いただきました』
『これは死亡フラグでは?』
『言うな』
『言うな』
『レクトの死亡フラグを折るぞ俺たち』
◇
私は、リルアの肩を抱いた。
「リルア、自分のこと、どこまで覚えてる?」
「……あんまり」
リルアが、目を伏せた。
「わたし、コピーだから、本物の女神の記憶は、ほとんどない」
「うん」
「でも、たぶん、ヴァニタスの名前は——本物のリーゼリス様が、覚えてた」
「リーゼリス」
「うん。創成の女神。わたしの——本物」
リルアが、ゆっくり、息を吸った。
「ひなたちゃん、ダンジョンの洞穴で、話したよね。わたしが、リーゼリス様のコピーだって」
「うん」
リルアが、私の手を、ぎゅっと、握り返した。世界を作って消えたリーゼリス様。何百人もいる、配布女神のコピー。「余りもの」の自分を、ひなたちゃんが選んでくれた——あの夜の話の、続き、みたいな顔だった。
「で、本題はね」
リルアが、少し、姿勢を正した。
「リーゼリス様の記憶の中に、ヴァニタスのことが、ぼんやり、ある」
「えっ、覚えてるの?」
「コピーだから、原本の記憶の断片が、たまに出てくる」
「マジ?」
『リルアちゃん、設定が思ったより重い』
『コピーだから断片だけ持ってる、ってのは、SF的にロマンある』
『創造神メモリーの欠片、コレクションアイテム化希望(運営は対応しなくていい)』
「ヴァニタスは、世界の外の、虚無から来る。リーゼリス様が世界を作った時、こぼれた『何もない』が、向こう側で形を持った——みたい」
「『何もない』が、形になる?」
「うん。世界の裏返し。世界が『ある』なら、ヴァニタスは『ない』。だから、顔がないし、輪郭しかない」
「うわぁ」
『なに、その哲学的な敵』
『ニーチェかな?』
『SCPっぽい』
『無貌神って訳すと「顔のない神」だけど、原義は「ない、ない神」』
「で——倒し方は、リーゼリス様も、知らなかった」
「えっ」
「だって、リーゼリス様も、ヴァニタスを倒したことはないから。前回も、満腹で帰ったって、セラフィーナちゃんが言ったでしょ」
「うん」
リルアが、目を伏せた。
「ごめんね、ひなたちゃん。コピーのわたしに、思い出せるのは、ここまで」
「ううん。十分、教えてくれた」
レクトが、聖剣の柄を、ぎゅっと握り直した。
「情報がないなら、出たとこ勝負だ。なんとかするしかない」
「うん」
◇
——その時。
街の中央で——
ふっ、と、街の音が、消えた。
人の声、馬車の音、犬の鳴き声、屋台の呼び込み——全部、どこかに、吸い込まれた。
一拍の、静寂。
そして。
ごおぉぉぉぉぉん。
鐘が、鳴った。
低く、長く、不吉に。
「警鐘だ」
レクトが、聖剣を抜いた。
「行くぞ」
◇
街の広場に、人々が集まっていた。
警鐘を鳴らしたのは、街の見張り台の兵士。彼は、北の空を指さしてた。
「あれ、見てください!」
私たち四人は、走って広場に出た。
北の空——昨日まで、晴れてた方角。
そこに、雲が、渦を巻いてた。
黒い雲。普通の雨雲じゃない。光を吸い込む、深い深い、黒。
そして、その雲の向こうに——
「あれ」
人々が、息を呑んだ。
雲の隙間から、ちらっと——白い、人型のシルエット。顔がない。輪郭しかない。
ヴァニタス、だ。
セラフィーナの後光が、震えた。リルアの後光は、もうほとんど見えない。
レクトが聖剣を構えた。
「市民、退避!」
レクトの声が広場に響いた。SSR勇者の声量。聖剣の鑑定スキルが補強しているのか、人々の体に直接届いた。みんな、ハッと我に返って、走り始めた。家に。地下に。安全な場所へ。
私はエルナを探した。
エルナがギルドの方から、走って来てた。手にノートを抱えてる。
「桜庭さん!」
「エルナさん」
「先程、観測しました。北の空のあの渦——空間の歪曲点です。あそこから、何かが」
「ヴァニタスでしょ」
「えっ」
エルナが、目を瞠った。
「セラフィーナさんが教えてくれた」
「無貌神、ですか」
「知ってるの?」
「ええ。神話の伝承で、何度か——」
エルナが、ノートのページを繰った。中には、びっしり、文字が書かれてる。エルナの几帳面な字で。
「『顔なき神』『神々の喰らう者』『虚無の極』——様々な名で記されています」
エルナが、ヴァニタスの方角に、視線を上げた。瞳の奥で、鑑定スキルの光が、小さく走るのが見えた。
「……鑑定、結果が出ました」
「何て?」
エルナが、ペンの先を、震わせた。
「『UR』、と」
「UR?」
「初めて見る表記です。わたしの鑑定スキルで、こんなレア度が出たのは、はじめて」
「SSRが、最高じゃ——」
「ええ。これまでは、SSRが上限のはずでした。でも、いま、確かに『UR』と出ています。おそらく、SSRの、さらに上を示す——そう解釈する以外、ないかと」
エルナの声が、わずかに、上ずった。事務的な彼女の口調が、揺れたのは、はじめて見たかもしれない。
『え、UR?』
『URって、聞いたことあるか?』
『ない』
『UR=ウルトラレア、もしくはアルティメットレア。SSRのさらに上』
『でも、この世界のガチャ、SSRが最高だったよな?』
『そう。だから、URって出ても、誰も実物見たことない』
『SSRより上、聞いてないんですけど』
『そんなレアリティ、存在しなかったはず』
『運営、最終ボス用に新ランク勝手に追加してきやがった』
『これは抗議します(新規ランク追加に対して)』
頭の中のコメント欄が、騒いでた。
私は、北の空を見上げた。
雲の中で、白い影が、ゆっくり、こっちに、近づいてくる。




