第15話 コメント共有機能?いらないんですけど(後編)
翌朝。
外で、鳥が鳴いていた。普通の朝。リルアが私の腕の中で、すぴすぴ言ってる。
昨夜の指の感触が、まだ、私の右手に、残ってる気がした。リルアの首筋に唇を寄せたら、銀の髪が、私の鼻の頭をくすぐった。リルアが、寝たまま、ふにゃっと笑った。「ん……ひなた、ちゃん」と、寝言。
寝てる時にも、私の名前を呼ぶ。
胸の真ん中が、勝手に、温かくなった。
私はもう一度、リルアのおでこに、唇を、軽く落とした。
——その瞬間。
ぐらっ、と、空気が揺れた。
鳥の声が、ぴたりと、止んだ。
——ぐらっ。
「えっ」
地面が揺れた。
ベッドが揺れた。窓のガラスがびりっと震えた。鳥の鳴き声が止まった。
「ひなたちゃん、地震?」
リルアが寝ぼけ顔で起き上がる。
「地震、なんだろうけど——」
——ぐらっ、ぐらっ。
二回目。長い。
「これ、長くない?」
「長い」
——視界の隅で、コメント欄が、ふっと戻ってきた。
『地震です(システム実況)』
『おはよう、コメント欄帰還しました(フィルター解除)』
『マジで揺れてる』
『街全体が揺れてる、たぶん広範囲』
私はベッドから飛び起きた。窓に駆け寄って、外を見た。
——空が、変だった。
「リルア」
「うん」
「来て」
リルアが私の隣に立った。窓越しに、空を見上げる。
朝のはずの空。雲。太陽。すべて、普通。
——でも、空の端に。
ほんの一瞬、何かが、映った。
「えっ」
顔のない、影。
人型の輪郭。でも、顔がない。のっぺりした、白い、巨大な——影。
雲を透かして、空の向こうに、いる。
一瞬。
瞬きして、もう一度見た時には、消えていた。
「ひなたちゃん、いま——」
「見た。私も、見た」
リルアの後光が、激しく明滅し始めた。
ぴかぴかぴかぴかぴか。
普段の「嬉しい」明滅じゃない。違う。これは——怯え。
「リルア、後光が……」
「わたし、なんか、こわい」
「こわい?」
「うん。あれ、見た瞬間、こわい」
リルアが私の腕にしがみついた。後光がぴかぴかしたまま、震えてる。
「リルア、なに? なんで、こわい?」
「わかんない、わかんないけど、わかる」
矛盾する答え。でも、なんとなく、伝わった。
リルアの中の、深いところが、あれを「敵」だと、言ってる。
『コメント欄、これ、ヤバいやつ』
『RPGだとラスボスシルエット定番演出』
『あの形、覚えがあるような無いような』
『先輩女神たちの直感は信じろ』
『鳥が鳴き止んだの、地味に怖い』
「街、見に行こう」
「うん」
服を着替えて、宿を飛び出した。
◇
街は、ざわついていた。
人々が空を見上げてる。「揺れた」「鳥が消えた」「地平線の向こうに何かいた」——口々に話してる。
ギルドに駆け込んだ。
エルナがカウンターの前で、立ったまま、固まってた。手にしている羽ペンが、震えてる。
「エルナさん」
「桜庭さん」
エルナの目が、私を見て——その奥が、私と同じ「見たもの」を共有してた。たぶん、エルナも見てる。
「世界そのものが、揺らいでいます」
エルナの声は、いつもの事務的な口調。でも、内容が、おかしかった。
「揺らいでる、って?」
「鑑定スキルで、空間の歪みを観測しました。先ほどの揺れ——あれは、地震ではありません」
「じゃあ、何?」
エルナが、ペンを置いた。
「世界の、層そのものが、何かに——内側から、押されています」
「内側から?」
「はい。何かが、こちら側に、出てこようとしている」
リルアの後光が、ぴかぴか明滅してる。
エルナの目が、リルアの後光を見て、そして、私を見た。
「桜庭さん、これは、推測ですが」
「はい」
「リルアさんとセラフィーナさん——女神二人は、できるだけ目立たないように」
「えっ」
「あれが何かは、まだわかりません。でも、空に映ったのは——女神の存在を感知して、近づいてきている、可能性があります」
リルアが、私の手を、ぎゅっと握った。震えてる。
「目立たないように、って——」
「後光を、抑えてください。可能な限り」
リルアが、ぐっと、後光を絞った。ロウソクサイズが、もっと小さい、マッチ棒サイズまで縮んだ。
それでも——揺れてた。明滅は、止まらなかった。
『エルナさんが本気モード』
『これはマジのやつ』
『あの空のシルエット、ずっと頭から離れない』
『リルアちゃんを目立たせるな(民意)』
『ラスボス出現、ほぼ確定』
私はリルアの手を握り直した。
エルナが、ノートを開いた。羽ペンを取って、何か書き始めた。
「桜庭さん、わたしは情報を集めます。レクトさんとセラフィーナさんにも、伝えてください」
「わかった」
リルアと一緒に、ギルドを飛び出した。
宿への道。空は、晴れてる。普通の朝。
でも、空気が、おかしかった。
軽すぎる。音が、遠い。
リルアの後光が、ぴかぴか、ぴかぴか、ぴかぴか。
私の手の中で、震え続けてる。
『これ、最終章だ』
『ガチャで言うと——ラスボス前夜の演出』
『みんな、装備整えとけ』
リルアの手を、強く握った。
「リルア」
「うん」
「ぜったい、守るから」
「うん」
「ぜったい」
リルアが、震える後光のまま、笑ってくれた。
「うん。ひなたちゃんなら、ぜったい」
——空の向こうで、何かが、こちらを見ている。
その目はないはずなのに、見られている、と、はっきり、わかった。




