第13話 Rツルハシ、使い道がありました(中編)
ブロック化拠点の夜戦。
夜半過ぎ。
——体が、おかしい。
覗き穴の縁にビンがぶつかった。手がうまく動かない。視界がぼやけて、足元がふらつく。
ステータスを確認した。
『状態異常:腐敗病(進行中・中度)。HP継続減少。倦怠感、視界不良、発熱』
中度。リルアの手繋ぎ回復が切れた間に、進んでた。
「桜庭さん」
セラフィーナがすっと隣に来た。後光をシャンデリアからランタン級に絞ってる。光源を温存しつつ——にっこり笑ってる。
その笑顔——見覚えがある。
レクトの部屋で、レクトの脇腹を「治療」してた時のセラフィーナと、同じ笑顔。
嫌な予感がした。
「腐敗病、進行してますね。リルア先輩は消耗してて、今は起こせません。——ですので、わたしが治療します」
「……治療」
「はい」
セラフィーナの紫の瞳が、まっすぐ私を見てる。
「神殿で習った『聖手当法』。腐敗病に効果があります」
「セラフィーナ、それ、本当に教科書通り?」
「もちろんです」
女神スマイルがさらに深くなった。完璧な角度。100%怪しい。
「腐敗病は、肺と心臓の周りに腐敗のエネルギーが溜まる病です。なので——胸の周りに、聖力を直接流し込みます」
「……胸の周り」
「服の上からだと通りにくいので、肌に直接触れさせていただきます。よろしいですか?」
ちょっと待って。
「肌に直接……?」
「神殿の正式な医療技術ですよ」
セラフィーナがにこっと笑った。「ご安心ください」と添えて。安心できる要素ゼロ。
『聖手当法』
『語感がもう怪しい(既視感)』
『これ、レクトの時のやつでは?(既視感マシマシ)』
『セラフィーナ、絶対わかってる目(黒)』
コメント欄も気づいてる。
「セラフィーナ、それ、レクトちゃんの時にやってた——」
「あれは脇腹の治療でした。今回は胸部です。別の手技です」
セラフィーナがにっこり、丁寧な敬語で反論してきた。女神モードの完璧防御。論理が通ってるようで通ってないけど、笑顔がきれいすぎて反論できない。
ステータスバーがじりじり減ってる。本当にやばい。
——背に腹はかえられない。
「お、お願いします……」
「はい! ありがとうございます」
ありがとうございますって言われた。患者が医者に礼を言うんじゃなくて、医者の方が患者に礼を言ってる。順番がおかしい。
レクトが——壁際から、こっちをじっと見てた。覗き穴の見張り役のはずなのに、視線が私たちに釘付け。聖剣の柄を握ったり離したり、握ったり離したり。耳が真っ赤で、頬まで赤くて、首筋まで赤い。落ち着きがない。
エルナさんが「データのため——」とノートを開いた。ペンを構えた。が、ペンが動いてない。切れ長の目が、まっすぐ私とセラフィーナに固定されてる。ポニーテールの先がぴくぴく揺れてる。「……記録のため、です」と小声で繰り返してるけど、字は一文字も書かれてない。
「服、緩めますね」
セラフィーナの細い指が、襟元のボタンに触れた。
ぷちっ。ぷちっ。ぷちっ。
ボタンが外れる音が、夜の静けさに響く。一つ。二つ。三つ。やけにゆっくり。手付きが優しすぎて、逆に意図を感じる。
「セラフィーナ、もうちょっと手早くお願い」
「丁寧に、行きますね」
「逆だよ」
「神殿で『聖手当法は丁寧に』と教わりましたので」
絶対嘘だろ、それ。
服の前がはだけた。月明かりとセラフィーナの後光が、肌に落ちる。胸の小ぶりなふくらみが、桃色の光に照らされて晒される。
——その瞬間。
視界の隅のコメント欄に、薄いモザイクが走った。
『——プライバシーフィルター起動——』
私の体が露わになった瞬間、自動的に視聴側の視界が遮られたらしい。コメント欄はそれでも一瞬だけ、最後の悲鳴を上げた。
『は!?』
『フィルター入った!? ふざけんな!』
『ここから!? ここからフィルター入る!?』
『運営、空気読め!!!』
『金返せ!!!(無料です)』
『神殿の教科書改訂しろ!!! もとい、フィルター解除しろ!!!』
『今のはちょっと——だめでしょ運営、配信規約見直してくれ!!!』
『これは抗議します(語気強め)』
『プライバシーフィルター!!! プライバシー!!!』
『ぐぐぐ、視聴者の権利が……(誰だおまえ)』
ぎゃーぎゃーと、最後の大騒ぎ。
そして——コメント欄が、すーっと薄くなった。
文字が霞んで、ノイズが減って、最後にはほとんど何も見えなくなった。プライバシーフィルター稼働中の表示だけが、視界の端に小さく残ってる。
良かった。今だけは、コメント欄が静かでよかった。
セラフィーナが、見た。
ちゃんと、見た。
「……綺麗ですね」
「治療! 治療だから!」
「はい、治療です。綺麗だと思うのと、治療は両立します」
セラフィーナが微笑んだ。誤魔化す気ゼロ。
「では、始めます」
セラフィーナの両手が、胸に触れた。
「っ……」
あったかい。SSRの体温。リルアより少し高い。後光に温められた手のひらが、両側からそっと、両胸を包む。
「桜庭さん、力抜いてください。緊張してると、聖力が通らないんです」
「む、無理だよ……」
「深呼吸を。すー、はー」
「すー……はー……」
セラフィーナの両手が、ゆっくり円を描き始めた。聖力を全体に行き渡らせる手順——という建前の、完璧に怪しい動きだった。
「やはり、こちらに腐敗が溜まってますね。集中的に流します」
「セラフィーナ、それ、絶対治療じゃないよね……っ」
「治療です。神殿の正式な技法です」
女神スマイル。崩れない。
——以下、セラフィーナの「治療」は、明らかに別の何かを兼ねていた。
要するに、私の体のいろんな部分に、あれこれ「聖力を浸透」させる、という建前で、実態としては、SSR女神に手玉に取られているだけだった。
途中で寝ていたリルアが目を覚まして、最初は嫉妬で後光をしゅんとさせていたけど、セラフィーナに「リルア先輩、お手伝いいただけませんか」と頼まれて、ぱぁっと後光を明るくして、参戦してきた。
「下半身は、私が担当するね」
「リルア、それ完全に治療じゃない!」
「治療だよ。セラフィーナちゃんがいいって言ってる」
——三人がかりの「治療」は、ものすごく念入りだった。
レクトは入り口の見張りで聖剣を握ったまま、耳まで真っ赤にして、視線が一瞬たりとも逸れていなかった。エルナさんもノートを抱えたまま、ペンが一文字も動いていなかった。
私は、リルアとセラフィーナの二人がかりで、いろんな声を漏らすことになった。プライバシーフィルターが起動した瞬間だけが、唯一の救いだった。
ステータスを確認した。
『状態異常:腐敗病(軽度・進行停止)』
『状態異常:性的興奮(強度)』
「……っ」
「やはり性的興奮の方が進行していますね。腐敗病より、こちらを先に処理しましょう」
「処理しないで……っ」
「処理しないと、聖力の循環が滞ります」
——結局、その「体温上昇」も、二人がかりで丁寧に「処理」されてしまった。
最後に私の体は、ぐったりとベッドに沈み込んでいた。
「終わりました」
「えへへ。終わったよ、ひなたちゃん」
ステータスを確認した。
『状態異常:なし』
腐敗病、治った。完治。
「……治った」
「治療が効いたようですね。よかったです」
セラフィーナが女神スマイル。今までで一番輝いてる。湿った指を、丁寧に布で拭ってる。
「ありがとう、二人とも……」
「いえ。お役に立てて何よりです」
「えへへ。ひなたちゃんが気持ちよさそうで、よかった」
「リルア!」
「えへへ」
セラフィーナが私の耳元に顔を寄せて、小声で言った。
「桜庭さん。先ほどの『体温上昇』、また出たら、いつでもお声がけください。神殿の付随症状処置は、何度でも実施可能です」
「何度でも実施しないで!」
「リルア先輩と二人がかりでも対応可能です」
「セラフィーナ!」
セラフィーナがにっこり笑った。女神スマイル。完全な確信犯。完全に最初から最後まで、計画通りだった。
レクトの方を見ると、聖剣の柄を握る手がぷるぷる震えて、マントの裾も握りしめて、まだ顔が真っ赤のまま。聖剣で何かを斬りたそうにしてる。何を斬ろうとしてるかは聞かない。
エルナさんはノートを胸に抱えて、ペンを口に咥えて、目をぎゅっと閉じてる。涙目になってる。何を耐えてるのか。たぶん職業意識。
レクトが、はっと我に返った。慌てて覗き穴に向き直って、「……次の波が、来た」と低く言った。声が裏返ってる。今のうちにツッコミから逃げる気だ。卑怯な勇者。エルナさんも何事もなかったかのようにノートにペンを走らせ始めた。書いてる字、たぶん意味のある文章じゃない。
——視界の隅で、プライバシーフィルター表示が、すっと消えた。
コメント欄が、ふっと戻ってきた。
『おかえり』
『……まだ見せろ』
『おとなしく退場します(黙)』
おとなしくしてくれ。本当に。
戦線復帰した。腐敗病が完治したから、動ける。三方向からの「治療」の余熱が、じんわり、体に残ってる。
これ、本当に治療だったのかな。
たぶん、半分くらいは。残りの半分くらいは——たぶん、違った。




