第9話 バックステージは戦場です(後編)
メロの出番が来た。予想外の盛り上がりと、隠された秘密が明かされていく。
◇
午後。
メロのゲリラライブの時間だ。
会場の東側の小さなスペース。メインステージの合間で、観客が休憩で散策してる時間帯。エルナさんが計算した通り、人通りはそれなりにある。
メロが小さなスペースの真ん中に立ってた。
緊張してる。体が震えてる。2Dの体の輪郭が、微かにブレてる。
「あの……今日もゲリラライブ……やっていいですか?」
メロが私の方を見た。不安そうな目。でも、昨日より——声に意志がある。小さいけど、消えてない。
「もちろん。リルア、照明よろしく」
「まかせて!」
リルアの後光がぽわっと光った。ロウソクの光。小さな灯り。でも、メロを照らすには十分。
メロが、歌い始めた。
最初は——誰も見てなかった。
メインステージの歓声が遠くから聞こえてきて、メロの声はそれにかき消されそうになる。2Dの体は存在感が薄くて、通行人が気づかずに素通りしていく。
でも、声は出てる。
甘くて、きれいで、透き通った声。
歌詞の内容はわからないけど——感情が伝わってくる。一生懸命。必死。でも楽しそう。歌うことが好きだという気持ちが、声に乗ってる。
リルアの後光がメロを照らしてる。ロウソク程度の光だけど、午後の日差しの中でほんのりと、メロの周りだけがあたたかく光ってる。
メロが照らされると、2Dの輪郭が——少しだけ立体的に見えた。昨日と同じ。でも、昨日よりほんの少し、長く続いてる。
通行人が一人、足を止めた。
「あれ? あの子、ちょっとかわいくない?」
もう一人。
「2Dなのに声きれいじゃん」
三人。五人。十人。
口コミが広がり始めてる。昨日の投票所付近で「2Dなのに歌が上手い子がいる」という噂を聞いた人たちが、確認しに来てる。
人が集まってくる。
メロの歌声がちゃんと聞こえるようになった。観客が静かになって、聴いてくれてるから。
20人。30人。
メロの目がうるんでる。泣きそう。でも歌い続けてる。声が震えてる。でも、止まらない。
エルナさんが隣で、メモを取りながら小声で言った。
「……いい歌ですね」
「うん」
「鑑定スキルで投票数を確認しますか?」
「お願い」
エルナさんの目が光った。鑑定スキル発動。
「現在のメロさんの票数——増えています」
「増えてる……!」
「ゲリラライブ開始から25分で14票の増加。来場者の回遊動線に合致した時間帯を選んだ効果が出ています」
エルナさんの分析が光ってる。でも、ノートを持つ手が震えてる。分析してるようで——ちゃんと、感動してる。
メロが一曲目を歌い終わった。
拍手。小さなスペースに35人くらいの観客が集まってて、みんな拍手してる。
エルナさんがメモを取りながら、小声で言った。
「曲のどの部分で投票が増えたか、観客の足が止まったのはいつか——全部、記録してます」
エルナさんのノートには、細かい時間軸のグラフが書き込まれてた。
「エルナさん、そのメモしながら聴いてたんですか……」
「ええ。メロさんのパフォーマンス価値を可視化することは、プロモーション戦略の基本です」
言葉は事務的だけど、手が——ノートを握る手が、ほんのり震えてた。
メロが最後の曲を歌い終わった。
拍手。さらに増えてる。40人近い。
メロが深くお辞儀した。2Dの体がぺこりと傾く。涙がぽたぽた落ちてる。
「あ、ありがとう、ございます……!」
声が震えてる。嬉しすぎて。
エルナさんが最後の記録をしてた。ペンが走る音がしてた。でも。
目が潤んでた。
『2Dの歌姫発見なんだが』
『声だけならSSR級では??? 存在感がNなだけで声がSSR。このギャップは刺さる(審美眼)』
『リルアの後光がステージライト代わりで草。でも効果あるの怖い(事実)』
◇
ゲリラライブが終わって、メロと少し話をした。
「メロちゃん、すごかったよ。人、集まってた」
「ほんとですか……? 途中から涙で前が見えなくて……」
「見えてなくても、声は届いてたよ」
メロが鼻をすすりながら笑った。
「えへへ……ひなたさんのおかげです。昨日、やってみなよって言ってくれたから……」
「私は何もしてないよ。歌ったのはメロちゃんだし」
「でも、聴いてくれる人がいるって知ったのは——ひなたさんのおかげです」
メロの声が、ちょっとだけ大きくなった。昨日より、少しだけ。
◇
夕方。
バックステージの片隅で、ルミナが一人でいた。
壁にもたれて、窓の外を見てる。金色の髪が夕日に透けてきれいだけど、表情が——
「ルミナさん、お疲れですか」
声をかけた。護衛として、アイドルの体調確認は任務の範囲内だ。
ルミナが振り向いた。
「ああ、護衛さん。……ひなたさん、だっけ?」
「はい」
「ふふ、大丈夫。ちょっと休んでるだけ」
ルミナが微笑んだ。完璧なアイドルスマイル——じゃない。今のは、素の笑顔だ。疲れてるけど、嫌じゃない顔。
「ねえ、ひなたさん。メロちゃんの応援、してくれてるんでしょう?」
「あ、はい。なんか放っておけなくて」
「ありがとう。あの子のこと、気にかけてくれて」
ルミナの声が柔らかい。ステージの上の堂々とした声とは違う、やさしい声。
「メロちゃんはね、私のファン第1号なの」
「え、そうなんですか?」
「まだ私も2Dだった頃から、ずっと応援してくれてた。私が3Dになれたのも、最初にメロちゃんが1票を入れてくれたから」
ルミナが窓の外を見た。夕焼けの空。ランキングボードが半透明に浮かんでる。
「あの子の声、きれいでしょう? 歌も上手いの。でも、2Dだから誰にも気づいてもらえなくて。ずっと。私が3Dになって、人気が出て——メロちゃんの方が、取り残されちゃった」
「……」
「だから、ひなたさんが声をかけてくれたの——すごく嬉しかった。メロちゃんのこと、よろしくね」
——その言い方が。
なぜか——「お別れ」みたいに聞こえた。
「ルミナさん?」
ルミナが微笑んだ。でもその笑顔が、どこか寂しそう。
「ううん、なんでもない」
沈黙。夕日がルミナの金色の髪を染めてる。
「ね、ひなたさん。応援されるって、すごいことだよね」
「はい」
「人の気持ちが、本当に力になるんだから」
「……昔ね、この総選挙で——消えちゃったアイドルがいたんだって」
「消えた?」
「何百年も前の話。投票を集めすぎて、体が光って……そのまま、いなくなっちゃったって。どこに行ったかも、なんで消えたかも、誰にもわからないまま。でも……伝説みたいなものだから、本当かどうかはわからないけど」
ルミナが窓の外を見た。声が、少しだけ小さくなった。
「……ただの伝説だよね。きっと」
ルミナの手が、一瞬だけ震えた。
壁に寄せた背中が、わずかに後ろに引いた。距離を取る。
「……すごくて、ちょっと——」
ルミナが言葉を止めた。口が動きを止めてる。言いかけて、やめた。
「ルミナさん?」
「ううん。なんでもない」
ルミナが目を逸らした。窓の外を見てる。夕焼けの空を。
でもその目が——うっすら潤んでる。
目尻に、涙のような光。一瞬だけ。
ルミナの背中が——
一瞬だけ、光ったような気がした。
「ルミナさん、今——」
「ん? どうしたの?」
ルミナが首を傾げた。完璧なアイドルスマイル。でも目が。目だけが。
さっきまで見えた潤みが、もう一度浮かび上がる。ほんの一瞬。
「ルミナさん、怖いんですか?」
思わず聞いた。護衛として、それ以上は言えない。でも。
「怖い……?」
ルミナが笑った。でも。その笑い声が。
震えてた。
「……ううん。大丈夫。何でもない」
顔を背けた。
「ひなたさん。メロちゃんのこと、これからもよろしくね」
その言い方が。
まるで。
「お別れ」のような。
見間違いだったのかもしれない。夕日のせいかもしれない。でも——胸の奥に、小さな引っかかりが残った。怖い引っかかり。
(ルミナさんの光、今一瞬……? 何だろう、この嫌な予感)
(ルミナさんの手、震えてた)
(目が——潤んでた)
『ルミナさんの後光、今……?(気のせいかもしれないけど)』
コメント欄にも、一つだけ。気づいた人がいた。
◇
選挙2日目、終了。
エルナさんが鑑定スキルで、各アイドルの票数を確認してくれた。
「メロさんの現在の票数——52票です」
メロが目を丸くした。
「52票……! 昨日から……こんなに……!」
3票から、52票。49票の増加。ゲリラライブを聴いた人たちが、投票してくれたんだ。
メロの目から涙がこぼれた。2Dの顔に、涙の粒が浮かんでる。平面なのに、涙だけが立体的に光ってる。
「52……52票……」
何度も繰り返してる。52という数字を、宝物みたいに握りしめてる。
「メロちゃん。明日が最終日だね」
「はい……!」
「がんばって」
「はい……! がんばります……!」
メロが両手でグーを作って、自分の胸に当てた。小さなガッツポーズ。2Dの体がぺたんと平面なのに、気持ちだけは十分に立体的だった。
◇
一方——
会場のステージの上。
誰もいない。照明も落ちてる。観客も帰った。
ルミナが一人で立ってた。
空を見上げてる。
星が出始めた夜空に、ランキングボードが半透明に光ってる。
1位:ルミナ——42,855票
その数字を見つめるルミナの表情が——
少しだけ、歪んでいた。
笑ってるのか、泣いてるのか。暗くてよくわからない。
3Dの完璧な体が、暗いステージの上で一人きり。
何を考えているのか——わからない。
ただ、立ってた。一人で。
◇
宿に帰った。
ベッドに倒れ込む。疲れた。バックステージの護衛は体力よりも精神力を使う。
リルアが隣に寝転がって、私の腕にくっついてきた。
「ひなたちゃん。今日も楽しかったね」
「楽しかったけど、疲れたよ……」
「でも、メロちゃんの票、増えたんだよ! 52票!」
「うん。すごいよね」
「明日はもっと増えるかな」
「わからない。でも——増えてほしいね」
リルアの後光がぽわぽわ。やわらかい光が部屋を照らしてる。
「ひなたちゃん」
「ん?」
「ルミナさん、ちょっと心配」
「……リルアも気づいた?」
「うん。笑ってるけど——目がさびしそうだった」
リルアは天然だけど、感情面だけは異常に鋭い。
「何かあるのかな」
「わからない。でも……放っておけないね」
リルアが「うん」と頷いた。後光がゆっくり暗くなっていく。
「明日。最終日だね」
「うん」
「メロちゃんも、ルミナさんも——みんながんばれ」
リルアがそう言って、目を閉じた。
後光がロウソクの灯みたいに、やわらかく揺れてる。
明日——何が起きるんだろう。
投票が締め切られて、結果が出る。メロの歌は、どこまで届くんだろう。
そして、ルミナの——あの、歪んでいた表情は。
何を意味してたんだろう。
『選挙2日目終了。メロ:3票→52票。すごい成長だ!』
『ルミナさん……?(嫌な予感がする)』
『明日、最終日。——何が起きるか、まだ誰も知らない』




