第7話 緊急メンテにつき、モンスターは出現しません(後編)
話は決まった。もう、後戻りはできない。
◇
コメント欄を遮断した。全力で。
エルナさんのベッドの縁に座った。エルナさんが正面にいる。暗い部屋で、リルアの後光だけがぼんやり照らしてる。
エルナさんの寝間着はシンプルな白。襟元がゆるくて、鎖骨がちらっと見えてる。
「……緊張してます」
「私も」
「……ふふ。桜庭さんも緊張するんですね」
「するよ。すごく」
「リルアさんの時も、緊張しました?」
「した。めちゃくちゃした」
エルナさんが小さく笑った。笑うと、事務的な印象が消えて、年相応のかわいさが出る。
「……じゃあ、お願いします」
エルナさんが目を閉じた。
私は、そっと手を伸ばした。
エルナさんの頬に、指先が触れた。
「っ……」
エルナさんが小さく息を吸った。
頬がやわらかい。温かい。
指を滑らせる。頬から耳の横へ。耳たぶに触れると——
「ふ……ぁ……」
甘い吐息。
エルナさんの体がかすかに震えた。
「耳、弱いですか」
「わ、わかりません……触られたことないので……」
寝間着の襟元に指がかかった。
「……いい?」
エルナさんが目を開けた。潤んだ切れ長の瞳が、まっすぐ私を見てる。
「…………はい」
小さく頷いた。
ボタンを一つずつ外していく。ひとつ。ふたつ。布が開くたびに、白い肌が現れる。
「……見ないでください」
「見たいです」
「っ……敬語を真似しないでください……」
「きれいだよ、エルナさん。すごく」
「……桜庭、さん……」
リルアが、エルナさんの反対側に、そっと寄り添った。ロウソクの後光が、エルナさんの肌を、淡く、ピンクに染める。
「エルナさん、ひとりじゃないからね」
「リルアさん……」
私の手が、エルナさんの頬を、そっと包んだ。リルアが、エルナさんの額に、女神の祝福のキスを落とした。
エルナさんは、最初こそ「敬語の殻」で必死に体を支えていたけど、私とリルアの手のひらが交互に肩や髪を撫でていくうちに、ゆっくり、ゆっくり、その殻を脱いでいった。
「……桜庭さん……っ」
「敬語、まだ崩れないんだ」
「……これだけは……っ」
リルアが、エルナさんの額にキスをした。
「エルナさん、もう一人じゃないよ」
「……はい」
エルナさんの目から、長くこらえていた涙が、ぽろぽろ、こぼれた。
私とリルアは、二人がかりで、エルナさんを優しく抱きしめた。
「エルナさん」
「は、はい……」
「私たち、ここにいるから」
「……はい」
リルアの後光が、ふたりと一人の体を、あったかいピンクの光で包んでいる。エルナさんが、私とリルアに、しっかりと、しがみついてきた。
——その先のことは、月明かりとリルアの後光だけが、知っている。
エルナさんが、長くこらえていた孤独を、ようやく、ひとつ、降ろした夜だった。
最後にエルナさんは、ぐったりと私の腕の中に沈み込んで、目尻に涙の跡を残したまま、穏やかな顔で笑っていた。
「……これが」
「ん?」
「……これが、ガラスの向こう側、ですか」
「……うん」
「……来てよかったです」
エルナさんが笑った。泣きながら笑った。
リルアが隣で、エルナさんの髪をそっと撫でた。後光がぽわぁっと暖色で光ってる。
「エルナさん、おかえり」
「……ただいま、です?」
「うん。おかえり」
エルナさんがまた泣いた。今度は、荷物を降ろした人の泣き方だった。
◇
しばらくして。
3人でベッドに並んで横になってた。
真ん中に私。右にリルア。左にエルナさん。
「……なんで私が真ん中なの」
「ひなたちゃんが真ん中に決まってるでしょ」
「パートナーの特権です」
リルアが腕にくっつき、エルナさんが肩に頭を乗せてくる。
リルアの後光がぽわぽわ。ほんのりピンク。
「ひなたちゃん」
「ん」
「私の方も、してほしかったけど……今日はエルナさんの日だから、我慢する」
「我慢って……」
「明日してね」
「…………うん」
「やった」
反対側から、エルナさんの小さな声。
「……桜庭さん」
「うん」
「……ありがとうございます」
「ありがとうはこっちの台詞だよ」
「……今日、いい日記が書けそうです」
「日記に書かないでよ!?」
「……冗談、です」
「嘘でしょ。絶対書くでしょ」
「……ふふ」
エルナさんがくすくす笑ってる。
リルアも笑ってる。
3人で笑った。
◇
リルアが先に寝た。いつも通り。すぅすぅ寝息を立てて、腕にしがみついて。後光がうとうと明滅してる。
エルナさんはまだ起きてた。暗がりの中で、小さな声。
「……桜庭さん」
「はい」
「今日のこと……ギルドでは、いつも通りにします」
「うん」
「受付嬢としての私と、今夜の私は、別です。混同しません」
「わかってるよ」
「でも——」
エルナさんが、私の手をそっと握った。
「……ここでは、今夜みたいにしてくださいますか」
「……うん。もちろん」
エルナさんが、ほっと息を吐いた。
「おやすみなさい。桜庭さん」
「おやすみ、エルナさん」
「おやすみ……えるなしゃん……むにゃ……でーたしゅうしゅう……むにゃ」
リルアが寝言で笑ってる。
◇
腕の中にリルア。肩にエルナさん。
二人の体温に挟まれて、異世界10日目の夜が更けていく。
ガチャはN10連だった。
でも今日は、N10連の日じゃなかった。
リルアが言った通り、SSRの1日だった。
いや——SSR以上だ。ガチャには出ない種類の、大切な1日。
引いたカードで戦う。
Nのアイテムで、Rの女神さまと、ATK1のギルド受付嬢と。
……仲間が、増えた。
おやすみ。




