第5話 R女神の入浴事情(後編)
コメント欄を遮断した。10分間。——でも、その10分間のことは、二人だけの秘密にする。
◇
リルアの肩に置いた手を、ゆっくり滑らせた。
鎖骨のラインを、指先でなぞる。リルアの体が、ぴくっ、と震えた。
「っ……」
「痛い?」
「ううん……くすぐったい……ちょっとだけ」
耳たぶに、そっと触れた。
リルアの肩が、びくっと、震えた。
「い、今の何……?」
「耳、弱いの?」
「わかんない……初めてだから……」
初めて。
その言葉が、胸に刺さった。リルアは女神だけど、こういうことは何も知らない。初めて触れられてる。私の手が、最初。
……責任が重い。
でも止まれない。止まりたくない。
リルアが、口元を覆ってた手を、そっと降ろした。唇が濡れてて、かすかに開いてて。
「……ひなたちゃん」
「ん」
「キスって、知ってる?」
「——知ってるよ」
「したこと、ある?」
「……ない」
「私も、ない」
リルアの青い目が、至近距離で私を見てる。湯気越し。後光がぽわぽわ明滅してる。
「してみたい?」とリルアが聞いた。
「……うん」
答えてから気づいた。もう考える前に体が返事してた。
リルアがそっと目を閉じた。銀色の前髪から雫が落ちて、まつげが長くて。
私も目を閉じて、顔を近づけた。
ちゅ。
唇が触れた。
やわらかい。あったかい。お湯の香りと薬草の匂いと、リルアの甘い匂いが混じってる。
一瞬だけ触れて、離れた。
「…………」
「…………」
顔を見合わせた。二人とも真っ赤。
リルアの後光がぼわっと爆発しかけてる。水面が揺れた。
「……もっかい」
リルアが言った。
「え」
「もっかい、して」
今度は私の方から。唇を重ねた。さっきより長く。リルアの唇が震えてるのがわかる。
お湯と、桃色の後光と、二人分の鼓動だけが、浴室を満たしていた。
リルアの目が、潤んでいた。銀の髪が湯気の中で揺れて、青い瞳が、私だけを見つめている。
「リルア」
「うん」
「……好き」
「私も……ずっと、好き」
——その先のことは、湯気の向こうに、ゆっくり、溶けた。
その夜、私とリルアは、ただの女神と勇者じゃない、もっと深い関係になった。
「世界が白くなった……ひなたちゃんの、せいで」
しばらくしてから、リルアが、ぽつりと呟いた。
「私の後光のせいだと思うけど」
「違うよ。目の裏が白くなったの。きらきらして……ばーんって」
……表現が壮大。
リルアが私の首元に顔を埋めた。
「……ひなたちゃん」
「ん」
「私だけ、ずるい」
「え?」
リルアの手が、お湯の中で、そっと、私のお腹に触れた。
「ひなたちゃんにも、してあげたい」
「——」
心臓が、また、止まりそうになった。
「り、リルア、いいよ別に——」
「いいよじゃない。私もしたい。ひなたちゃんが気持ちよくなるところ、見たい」
リルアの指が、ぎこちなく、でも、確かに、私のお腹をなぞり始めた。
——そして、今度は、リルアが私を、抱きしめる番だった。
「ひなたちゃん、目、閉じないで。私を見てて」
リルアの指が、私の頬を撫でた。湿った銀の髪が、私の肩に触れる。
「ひなたちゃん……好き……」
「私も……」
リルアが、私の額に、唇を、そっと押し当てた。
——お風呂の中で、ふたりの時間は、もう少しだけ続いた。
リルアにもたれかかった。力が入らない。お湯の中で、二人で溶けていくみたいだった。
後光がぽわぁっと、暖色で光ってる。ピンクがかった、やさしい光。
「……ひなたちゃん」
「……ん」
「きれいだった」
「……何が」
「ひなたちゃんの顔。目がとろーんってなって、口がちょっと開いて……すごくきれいだった」
「……恥ずかしすぎて消えたい」
「消えないで。やっと会えたんだから」
リルアの腕がぎゅっと力を込めた。
……消えない。消えないよ。
◇
どれくらいそうしていたかわからない。
お湯がだいぶぬるくなった頃、リルアが言った。
「ひなたちゃん」
「ん」
「これ……なんて言うの? ひなたちゃんの世界では」
「……ふたりだけの、秘密」
「ふたりだけの、ひみつ」
「うん」
リルアが、味わうように繰り返した。
「ふたりだけの、秘密……ひなたちゃんと、わたしの、ひみつ」
「声に出さなくていいんだよ……!」
「えへへ。でも気持ちよかったよ? ひなたちゃんも、気持ちよかった?」
「…………うん」
認めるの、すごく恥ずかしい。でも嘘はつけない。
「えへへ」
リルアが嬉しそうに笑った。後光がぽわぽわ。
◇
お風呂から上がった。
脱衣所でタオルで髪を拭きながら、ふと気づいた。
「……あれ」
「どうしたの、ひなたちゃん?」
「肌、お風呂に入る前とそんなに変わらない……」
4日分の垢と汚れがあったはずなのに。お風呂に入る前から、体がそこまで汚れてなかった気がする。
思い返す。
ここ数日、リルアと一緒に寝てた。毎晩、腕にくっついて、肌と肌が触れ合って。
「リルアの近くにいると回復する」機能。あれは体力だけじゃなくて——
「リルア」
「ん?」
「もしかしてなんだけど。一緒に寝てると、体も綺麗になる?」
「え?」
「回復だけじゃなくて、お風呂に入ったみたいに……浄化? 的な」
リルアが首を傾げた。
「わかんない。でも——」
リルアが私の髪をすんすん嗅いだ。
「あ、ほんとだ。ひなたちゃん、お風呂入る前からいい匂いだった気がする」
「つまり」
「つまり?」
「私たち、お風呂に入る必要が——なかったのでは?」
しーん。
リルアがぱちぱちと瞬きした。
「……えっ」
「一緒に寝るだけで体が綺麗になるなら、お風呂は……」
「…………えっ」
「……必要、なかった」
リルアと顔を見合わせた。
沈黙。
3秒。
5秒。
リルアが真っ赤になった。
「……えっと。じゃあ今日のお風呂は……」
「……」
「……お風呂じゃなくてもできたってこと?」
「……その言い方はやめて」
「えへへ」
リルアがにこにこしてる。恥ずかしさを超越したかのような笑顔。
「でもでも」
リルアが手を叩いた。
「お風呂は入る必要なくても、入りたい!」
「え?」
「だって楽しかったもん。ひなたちゃんに髪洗ってもらったの、すっごく気持ちよかった。それに……」
リルアがもじもじした。
「あれも……また、したい」
「リルアっ!?」
「だって気持ちよかったんだもん。ひなたちゃんは嫌だった?」
「嫌じゃないけど……! そういうことはもっとこう……!」
「じゃあ明日も一緒に入ろうね!」
必要なくても入る。もはや目的が衛生面じゃなくなっている。複数の意味で。
◇
部屋に戻って、ベッドに潜り込んだ。
リルアが当然のように隣に入ってくる。もう何も言わない。何も突っ込まない。これが公式のシステムだ。添い寝回復。浄化機能つき。
……そしてさっきの記憶つき。
リルアが腕にくっついた。お風呂上がりの銀色の髪がさらさらで、薬草のいい匂いがする。
体が触れ合うたびに、さっきの感触がフラッシュバックする。やわらかかった感触。甘い声。白く弾けた光。
「今日、楽しかったね」
「……うん」
楽しかった。楽しいで片付けていい内容じゃなかった気もするけど。
「明日は何するの?」
「明日は0時にガチャ引いて、ギルドでクエスト受けて……いつも通りかな」
「いつも通り。……えへへ。いつも通りがあるの、嬉しい」
いつも通り。
リルアにとって、「いつも通り」がある生活は、初めてなのかもしれない。今までは、配布女神として送り出されて、数日で交換されて、また女神の世界に戻されて。
「いつも通り」が始まる前に、毎回終わってた。
「リルア」
「ん?」
「明日も一緒だよ」
「……うん!」
「明後日も」
「うんっ」
「その次も」
リルアがぎゅっと腕を抱きしめた。後光がロウソクくらいに落ち着いて、あたたかい。ちょうどいい夜灯。ほんのりピンクがかってる。
リルアが嬉しそうに笑って、目を閉じた。
しばらくすると、すぅすぅと寝息が聞こえてきた。後光がうとうと明滅して、やがてぽわっと静かに灯り続けた。
腕の中のリルアが、寝言を呟いた。
「……パートナー……えへへ……ずっと一緒……売却不可……むにゃ」
……寝言に「売却不可」が出てくる女神、リルアだけだと思う。
腕の中の体温。後光の明かり。やわらかい寝息。
今日、私たちの関係は変わった。
パートナーで、女神と勇者で、推しと推されで——
それ以上の何かに。
名前はまだつけられない。でも胸の奥がぽかぽかしてて、リルアの寝顔を見てると心臓がきゅっとなる。
前の世界には、こういうのがなかった。
スキルは2つしかない。ステータスは底辺。毎日N9のゴミの山と戦ってる。
でも、隣にこの子がいるなら、スキル2つの世界も悪くない。
全然、悪くない。
おやすみ、リルア。
おやすみ、私のパートナー。
——私の、大好きな人。




