第6話 レベルが止まらないんですけど(前編)
異世界7日目。
朝起きたら、世界が変わっていた。
いや正確には、世界じゃなくて私のステータスが変わっていた。
「……え?」
レベルは「Lv.1」のまま。でもステータスに、昨日までなかった項目が増えてる――
◇
**【桜庭ひなた】**
Lv.1
経験値ボーナス:×10(チュートリアル完了ボーナス発動中。残り3日)
◇
10倍。
経験値が10倍。
「ちょっと待って。なにこれ」
隣でリルアがすぅすぅ寝てる。朝からステータスの変化に動揺してるのは私だけ。
エルナさんに昨日言われたのを思い出す。「勇者召喚から1週間のチュートリアル期間が終わると、経験値に倍率がかかるそうです。後発や経験の浅い勇者様が追いつくための救済システムですね」
後発救済。ソシャゲで言うところの「新規応援キャンペーン」。サービス開始から数年経ったゲームが新規ユーザーを呼び込むためにばら撒くやつ。
でも10倍はやりすぎじゃない?
『これはアツい』
『経験値10倍、後発救済の鬼仕様』
『周回のお時間です(白目)』
コメント欄が朝から沸いてる。
「ひなたちゃぁん……おはよ……」
リルアがもそもそ起き上がった。寝ぼけた顔で私の腕にしがみついてくる。銀色の髪がぼさぼさで、後光が寝起きでぼんやりしてて、かわいい。
かわいいけど今それどころじゃない。
「リルア、起きて。大変なことになった」
「たいへん? 魔王?」
「魔王じゃない。経験値が10倍になった」
「……それ、たいへんなの?」
「たいへんだよ。ソシャゲーマーにとって経験値倍率キャンペーンは睡眠を捨てるイベントなの」
「すいみんをすてる……?」
リルアが不安そうな顔をした。後光がちょっとしょんぼり。
「比喩だよ比喩。……半分くらいは」
ちなみに毎日の深夜0時ガチャは回してる。回してるけど、結果はN9R1かN10のどっちか。戦闘用の消耗品が補充されるだけで、特筆すべきことは何もない。虚無のポーションと壊れやすいビンが安定供給されてるのはありがたいけど、それ以上でもそれ以下でもない。ソシャゲーマーの日常だ。
◇
東の草原。朝8時。
1体目のスライム。
虚無のポーション入り壊れやすいビンを投げて、粘る糸で足を止めて、短剣で核を突く。いつもの手順。
ずぶ。ぱきん。
倒した。
——ぴろん。
聞いたことのない音が頭の中で鳴った。
◇
**【レベルアップ!】**
Lv.1 → Lv.3
HP全回復 MP全回復
◇
「え?」
体に、ぶわっと活力が戻った。さっきまでの戦闘の疲れが嘘みたいに消えて、足が軽い。視界がくっきりする。全身の細胞が入れ替わったみたいだ。
これが、レベルアップ。前世のゲームで画面越しに何千回も見たあの演出が、自分の体で起きてる。
スライム1体で一気にLv.3。しかも全回復。10倍の暴力だ。
「すごい……1体で2つも上がったの?」
ソシャゲのレベリング期間のあの感覚だ。スタミナが溢れる前に次を回して、気づいたら朝になってるやつ。
ソシャゲーマーの脳内で、スイッチが入った。
「リルア」
「な、なに? ひなたちゃん、目が怖いよ?」
「レベルが上がると体力が全回復する。つまり、死ぬまで狩り続ければ、無限に戦えるってことだ」
「理論がおかしいよ!?」
『ここから本番』
『RTA始まった』
2体目。投げて、止めて、刺す。
ぴろん。Lv.5。全回復。
3体目。ぴろん。Lv.7。
4体目。ぴろん。Lv.9。
「ひなたちゃん、光りっぱなしだよ!?」
「止まらない。レベルが止まらない」
『ぴろんラッシュwwwwww』
『ひなたちゃんの目が完全に周回マシーンのそれ』
◇
午前中だけで、Lv.1からLv.14まで上がった。13レベル。スライムを8体倒しただけで。10倍の暴力。
サポートアイテムは全部使い切った。でもLv.14になって攻撃力がCに上がった。午後からはアイテムなしで短剣一本。もう腕の力だけで核に届く。
ぴろん。Lv.15。そこから先は地獄の周回が始まった。
「スタミナポイントが溢れる……! レベルアップで全回復するうちに消費しないと……!」
「スタミナポイントって何!? ここ現実だよ!?」
「リルア、索敵! 次は!?」
「あっちに3体いるけど……ひなたちゃん、顔が死んでるのに体が元気で怖い!」
16時。Lv.20。大台に乗った。体が軽い。短剣が指揮棒みたいに軽い。スライムの動きが止まって見える。これが「ステータスの暴力」。
17時。Lv.22。日が暮れかけてきた。
「……あと1体」
「ひなたちゃん。"あと1体"を3回言った」
「今回で本当に最後」
「それも3回聞いた」
リルアにツッコまれるようになってきた。成長してる。リルアが。
◇
夜になった。月が2つ出ている。リルアがあくびをしてる。後光がねむねむモードで明滅してる。
でも、私は止まれない。レベルアップによる全回復は、どうやら眠気のリセットも含むらしい。つまり、寝なくていい。
「ひなたちゃん……もう寝ようよぉ……」
リルアが私の背中におぶさってきた。
「むり……ねむい……」
「リルアは寝てていいよ。おんぶして戦うから」
「そんな勇者さま嫌だ!」
背中にやわらかい感触と温かい体温を感じながら、私はスライムを狩り続けた。リルアの後光が背中でピカピカ光るから、照明代わりになってちょうどいい。
『ブラック企業も裸足で逃げ出す勤務実態』
『女神(照明係)』
『効率厨の成れの果て』
『レベルアップのファンファーレが目覚まし時計』
深夜。Lv.25。リルアが背中で完全に寝落ちした。寝息がすぅすぅ聞こえる。
後光がうとうとと明滅して、背中をぼんやり照らしてる。
背中のぬくもりが心地いい。これだけはレベルアップじゃ手に入らない。
……でも手は止めない。
◇
**〔8日目〕**
朝5時。リルアが腕にしがみついてるから抜け出せない。「むぅ……だめ……あと5ふん……」と寝言で阻止された。
5時30分。出発。Lv.26からスタート。8時にLv.30突破。10時にLv.33。スライムの挙動パターンを完全に覚えた。
『経験値10倍 × ソシャゲーマーの執念 = バグ』
12時。Lv.35。昼食をスキップしようとしたらリルアに怒られた。
「ごはん!」
「あと3体——」
「ご! は! ん!」
リルアが私の短剣を取り上げた。後光が赤っぽく明滅してる。怒ってるのが光でバレてる。
「ひなたちゃんは食べないとダメ! レベルアップで回復するのは体力だけ! お腹は空いたまま!」
「……正論すぎる」
『R女神の正論パンチ、クリティカル』
ほんのり甘い木の実の残りを食べた。リルアが満足そうに後光をぽわぽわさせてる。
14時。Lv.37。
「ひなたちゃん、すごい。すごいけど、目が怖い」
「ゾーンに入ってるだけ」
「ぞーん……」
18時。Lv.40。
『おい40って。始めて1週間の冒険者のレベルじゃないだろ』
『新規応援キャンペーンを悪用してる(悪用じゃない)』
帰り道、リルアの膝枕で回復。「おつかれさま」と頭を撫でてくれた。後光がぽわっとあったかい。
この回復だけは、レベルアップじゃ代わりにならない。
スライムだけじゃ経験値効率が落ちてきた。スライムの次は「東の草原・奥地」のゴブリン。経験値3倍。
ゴブリンはスライムと違って知能がある。武器を持ってる。こん棒とか、錆びたナイフとか。
「怖い?」
リルアが聞いた。
「……ちょっとだけ」
本当はけっこう怖い。スライムは核を壊せば終わりだけど、ゴブリンは血が出る。斬ったら赤い血が出る。
でもソシャゲーマーは効率を求める生き物だ。スライムを10体倒す時間で、ゴブリンを3体倒した方が経験値は上。
「リルア。後ろにいてね」
「うん。でも、無理しないでね」
「無理はしない」
嘘。たぶん無理する。でもリルアの心配そうな顔を見ると、ちょっとだけブレーキがかかる。
初ゴブリン戦。
虚無のポーションを投げて、動きが鈍ったところに短剣で——
斬った。
赤い。血が赤い。スライムの透明な液体とは全然違う。
手のひらに伝わる感触が、スライムの時とは比べ物にならないくらいリアルで——
「っ……」
「ひなたちゃん!?」
「大丈夫。大丈夫だから」
大丈夫じゃない。手が震えてる。最初にスライムを倒した時に抑え込んだはずの感情が、ちくりと胸を刺した。
——でも、レベルが上がる音がした。ぴろん。
体力が回復する。頭がクリアになる。効率がいい。
効率がいいから、続ける。
ちくりとした感情は、ぴろんの音で上書きされた。上書きされたことにした。
『……顔色悪くない?』
1行だけ、コメントが流れた。
昼もリルアに怒られ、夕方にLv.46。
帰り道、足がふらついた。レベルアップで体力は回復するけど、精神の疲労は回復しない。
リルアが無言で手を握ってきた。何も聞かないで、ただぎゅっと。
初めてスライムを倒した帰り道と同じだ。でもあの時と違うのは、今は握り返す力があること。
「……ありがと、リルア」
「ん。えへへ」
後光がぽわっとした。
◇
8日目の夜。ベッドに倒れ込んだら、リルアが隣に潜り込んできて、いつものように腕にくっつく。
「ひなたちゃん」
「ん……」
リルアの手が、私の頬に触れた。ひんやりしてて、やわらかい。
「朝から、ちょっとずつ暗くなってた。レベルが上がるたびに目はキラキラしてたけど……笑ってなかったよ」
……気づいてたんだ。
ゴブリンを斬った感触。赤い血。ぴろんの音で上書きしたつもりの、あの感情。
リルアは、全部見てた。
「……私、大丈夫だよ」
「うん。大丈夫じゃなくても、隣にいるから」
リルアの後光がロウソクくらいにぽわっと灯って、暗い部屋をやさしく照らした。
あったかい。
「……おやすみ、リルア」
「おやすみ、ひなたちゃん。明日も一緒だよ」
リルアの後光がぽわっと明るくなった。
◇
**〔9日目:経験値ボーナス最終日〕**
レベルが上がるほど、次のレベルまでの経験値が重くなる。昨日まではぴろんぴろん鳴りっぱなしだったのに、今朝はゴブリン4体でやっと——
ぴろん。
Lv.50。
大台。半世紀(レベルの話)。
『大台おめでとうございます』
◇
**【桜庭ひなた Lv.50】**
攻撃力:C+
防御力:C
素早さ:B
魔力:D+
◇
素早さがBに到達した。ステータス欄に初めて「B」の文字が並んでる。
「ひなたちゃん! Bだよ! Bが出たよ!」
「すごいよ。レクトちゃんのAの一個下」
「じゃあすごい!」
『素早さだけならB級冒険者相当』
レクトちゃんとのレベル差はまだ約50。でも3日前はLv.1だった。確実に前進してる。
◇
ギルドに帰ってエルナさんにレベルを報告したら、帳簿に目を落としながら、ぽつりと言った。
「……前世で、こういうレベリングの効率記事を書くのが好きでした」
「え?」
「い、今のは忘れてください!」
エルナさんが真っ赤になって帳簿で顔を隠した。帳簿の端がぶるぶる震えてる。
「……エルナさん、今度ゆっくり話しませんか。前世の話」
「っ——!」
帳簿が、ぱた、と閉じられた。
「……考えておきます」
帳簿の向こうで、声だけが聞こえた。隠しきれてない赤が、耳の先まで届いてる。
……いつか、ちゃんとこの人の前世の話を聞きたいな。
◇
事件は帰り道に起きた。
草原の奥地から街に帰ろうとしていた時。背後の茂みが、ばきっ、と鳴った。
木が折れる音。地面が振動する。
振り返ると——茶色い毛皮の壁が、目の前にあった。
大きい。立ち上がったら3メートルはある。丸太みたいな前足に、ナイフみたいな爪。額に、赤い星のマークが光ってる。
「っ——ミラクルベア!?」
注意エリアにいるはずの敵。こんな手前に出てくるなんて聞いてない。……なぜ、ここに。考える余裕はなかった。
『出た』
『出ちゃった』
ミラクルベアがこちらを見た。小さな目がぎろりと光る。額の星マークが赤く脈動してる。
「ひなたちゃん……!」
リルアが私の背中にしがみついた。後光が恐怖で明滅してる。ぱちぱちぱちぱち。
背中を見せたらリルアを守れない。逃げられない。
「……戦う」
短剣を抜いた。手が震えてる。スライムの時の震えとは違う。これは本物の恐怖。
『Cランク以上推奨だぞ。クリティカルされたら一撃で終わる』
わかってる。でもリルアが後ろにいる。
ポケットの粘る縄が1本だけ。
粘る縄を熊の足元に投げた。前足に絡みつく——けど、丸太みたいな脚力でぶちっと千切れた。
短剣で切りかかった。浅い。全然浅い。C+の攻撃力じゃ毛皮を貫けない。
ミラクルベアが前足を振り上げた。額の星マークが赤く脈動——
「——っ!!」
本能で横に跳んだ。素早さBの反射神経がなかったら終わってた。
ばごん、と。私がさっきまで立ってた場所の地面が、えぐれた。
クリティカルヒット。当たったら終わりだった。
「ひなたちゃん!!」
リルアの悲鳴。
もう一度振り上がる前足。額の星がまた脈動する。
避けた。ぎりぎり。頬を風が切る。
3回目。
避けた。でも体勢が崩れた。片膝をつく。
4回目——
避けられ——。体が崩れる——。
その瞬間、背後の空気が震えた。
経験値ボーナスの最終日。こんな時に、こんな敵が。スライムやゴブリンと比較にならない圧倒的な力の差。C+のステータスは確かに上がったけど、でも所詮はまだ初級者。リルアを守れるのか。ちゃんと守れるのか。




