第5話 R女神の入浴事情(前編)
異世界5日目の夕方。
私は宿の部屋で、人生最大の危機に直面していた。
魔王でもスライムでもない。お風呂だ。
昨日、帰り道でリルアに「一緒にお風呂入ろうね」と言われて、なぜか「うん」と返事をしてしまった。なぜかじゃない。リルアの笑顔に負けたからだ。
冷静に考えてほしい。
R女神のリルアと一緒にお風呂に入る。つまり、銀色の長い髪と青い瞳と整った顔立ちと透き通る肌の美少女と、裸で、同じ湯船に、浸かる。
無理じゃない?
「ひなたちゃん! お風呂沸いたって!」
リルアが廊下から駆け込んできた。後光がぽわぽわ弾んでる。楽しみなんだ。すごく楽しみな顔してる。
宿のおかみさんが気を利かせて、貸し切りのお風呂を用意してくれた。冒険者向けの広いやつ。「女神さまと一緒なんて素敵ねぇ」って言ってた。素敵の方向性が違う気がする。
「ひなたちゃん、早く早く!」
「う、うん……」
逃げ道がない。
『これは風呂回(確定演出)』
『テンプレの入浴イベントだ(期待)』
『R女神の入浴、排出率何%?』
コメント欄がざわついてる。うるさい。
◇
脱衣所に入った。
木製のロッカーが並んでて、竹で編んだカゴに荷物を入れる仕組み。見た目は和風旅館っぽい。異世界にも入浴文化があるんだなぁ。
さて。着替えだ。
「……ねえ、リルア」
「ん?」
「あっち向いてて」
「え、なんで?」
「なんでって……脱ぐから」
「私も脱ぐよ?」
「だからさ……」
リルアがきょとんとしてる。後光がぽやぽやしてて、なんの疑問もない顔。
女同士なんだから気にしなくていいでしょ、って理屈はわかる。わかるけど。
私は普段、人前で着替えたことがほぼない。体育の着替えも、人より早く更衣室に行って、人より早く終わらせてた。別に体にコンプレックスがあるわけじゃなくて——いや、あるかもしれないけど——とにかく人に体を見られるのが苦手なのだ。
……あと、コメント欄がある。
『待ってました(正座)』
『プライバシーフィルター仕事しろ。いや仕事するな。どっちだ』
こいつらの視線も問題だ。
「見るな」と全力で念じた。
コメント欄の映像が遮断される。
『真っ白に——』
『またかよ!』
『毎回このタイミングで仕事するプライバシーフィルター、有能すぎて腹立つ』
よし。
リルアに背を向けて服を脱いだ。素早く。異世界仕様の簡素な服は脱ぎやすくて助かる。タオルを巻いて振り返ると——
リルアがもう全裸だった。タオルすら巻いてない。
「リルア!? タオル! タオル巻いて!?」
「え? お風呂で巻くの?」
「巻くの! 入る前は巻くの!」
「そうなんだ。ひなたちゃんの世界のルールは難しいね」
私の世界のルールっていうか……いや異世界にもマナーはあると思うけど。
リルアの体が、目に入ってしまった。
白い。びっくりするくらい白い。銀色の髪が背中を流れてて、後光がぼんやりと裸体を照らしてて、ちょっと神話の絵画みたいだった。
腰が細い。鎖骨がきれい。お腹が平らで——
「ひなたちゃん、見てる?」
「見てない!」
見てた。
タオルをリルアに渡して、ぐるぐる巻きにしてあげた。リルアが「きつい~」と文句を言ってる。きつくしないと意味ないの。
◇
浴室に入った。
石造りの広い空間に、湯気がもうもうと立ち込めてる。奥に大きな浴槽。手前に洗い場。照明は壁に埋め込まれた魔法の明かりで、やわらかいオレンジ色。
夜遅い時間帯なので、他のお客さんはいない。貸切状態。
ここでもう一つの問題が発生した。
プライバシーフィルター。
着替えの時に全力で「見るな」と念じたやつ。あれの効果時間が——
『映像復旧!!!!!!!!!!!!!!!』
『はい優勝』
——10分だった。
「えっ!? ちょっ——!」
慌てて念じ直す。「見るな見るな見るな——」
が。
10分前に発動した時ほど集中できない。湯気と湿気で頭がぼんやりしてるし、リルアが隣にいるし、裸にタオル一枚だし。
念じる。念じる。念じる——
ぶつっ、と。
映像が遮断された。でもさっきと感覚が違う。
『あれ? 見えないけど……なんか違う』
『フィルターの種類が変わってない?』
『さっきは完全真っ白だったのに、今回は音声が聞こえる』
音声は聞こえるらしい。しかも——
『ん? 輪郭だけぼんやり見えるぞ?』
『湯気フィルターだ。大事なところは見えないけど、シルエットは見える』
どうやらプライバシーフィルターには2段階あるらしい。1段階目は手動で「見るな」と念じて発動する完全遮断。効果時間10分。
2段階目は自動発動のオートフィルター。こっちは完全遮断じゃなくて、「大事なところだけ隠す」仕様。顔や手足は見えるけど、胸やお腹や太ももは白い光や湯気で覆われて見えない。
アニメで言うところの「謎の光」的な規制。
『顔は見える! 鎖骨も見える! 足の先も見える!』
『でも肝心なところは湯気が厚い。自然の規制』
『このフィルター設計した神、わかってる。わかってるけど悔しい』
手動フィルターは10分間しか使えない。つまり、10分後はこのオートフィルター状態。
……つまり、リルアの顔とか、肩とか、足の先とか——
「ひなたちゃん、お湯あったかいね~!」
リルアが浴槽の縁に腰掛けて、足をぱしゃぱしゃさせてる。湯気越しに見える笑顔がやわらかい。濡れた銀色の髪が肩に張り付いてて——
きれい、だな。
「ひなたちゃん? 顔赤いよ?」
「お湯が熱いからだよ! まだ入ってないけど!」
「入ってないのに赤いの?」
「いいから! 先に体洗うよ!」
◇
洗い場に並んで座った。
石の椅子が冷たい。魔法の蛇口からお湯が出る。シャンプーに相当する薬草の液体と、石鹸に相当する白い塊がある。
「ひなたちゃん」
「ん?」
「髪、洗ってあげる」
「え?」
リルアがにこにこしながら私の後ろに回った。
「リルア、別に自分で——」
「いいの。やりたいの」
断る間もなく、リルアの指が私の髪に触れた。
「……っ」
びくっとした。
薬草の液体を泡立てながら、リルアの細い指が頭皮をゆっくりなぞる。
くしゅ、くしゅ、と。丁寧に。
「ひなたちゃんの髪、さらさらだね」
「そ、そう?」
「うん。きれい。触ってると気持ちいい」
それはこっちの台詞。
頭に触れるリルアの指が、やさしい。力加減が絶妙で、気持ちよくて——ちょっと、眠くなる。
「……リルア、上手だね」
「えへへ。女神の研修でね、先輩が後輩の髪を洗う係があったの」
「なにそれ。女神の研修って独特だね」
「セラフィーナちゃんの髪も洗ったことあるよ。すっごくサラサラで、水色がきらきらしてて——」
「……そう」
なんだろう。セラフィーナちゃんの髪を洗った話を聞いて、ちょっとだけ胸がちくっとした。
嫉妬じゃない。嫉妬じゃないよ。
「——でもね」
リルアが言った。
「ひなたちゃんの髪を洗うほうが、ずっと楽しい」
「……なんで」
「わかんない。でも、心臓がぽかぽかするの」
リルアの指が、こめかみのあたりをくるくるする。
「……」
気持ちいい。
返事をする代わりに、目を閉じた。湯気の匂い。薬草の香り。リルアの手のひらの体温。
しばらくそうしていたら、リルアが言った。
「はい、おしまい。流すよー」
ざばっ、とお湯をかけられた。
「わぷっ」
「えへへ。きれいになった」
目を開けると、リルアが満足そうに笑ってた。濡れた銀色の前髪から雫が垂れてて、後光がぽわぽわ明滅してる。
……かわいい。
「じゃあ次、私がリルアの髪洗うね」
「え!? いいの!?」
「いいよ。座って」
リルアがそそくさと前に向き直った。後光が全力でぽわぽわしてる。嬉しい時の明滅。
銀色の髪に手を入れた。
さらさら。指が吸い込まれるみたいに通る。しかも長い。腰くらいまであって、量もたっぷりで、泡立てるのに両手を目いっぱい使わないと追いつかない。
「ひなたちゃんの手、あったかい……」
リルアが小さく呟いた。
「力加減、大丈夫?」
「うん……気持ちいい……」
とろけた声。
湯気の中で銀色の髪がふわふわ泡に包まれて、リルアの白い肩が見えて——
『肩!!!』
『フィルター開発者、ここの判定甘いぞ(感謝)』
オートフィルター、肩は隠さないんだ。
『鎖骨から肩のラインが芸術的(語彙力消滅)』
うるさい。でも私もちょっと同意する。芸術的。
「ひなたちゃぁん……もうちょっと、ここ……」
「ここ? 耳の後ろ?」
「んん……そこ、気持ちいい……」
声が甘い。甘すぎる。
顔が熱い。お湯のせい。お湯のせいだから。
このままお風呂に浸かったら、もう絶対に頭がおかしくなる。そんな予感がしてる。何かの感情を超えて、その先に行ってしまう予感がして——でも、もう止められない気がする。




