番外編 Wedding Photo
「その後のふたり 6 for my sweet」プロポーズシーンの、数日後のお話です。
「結婚式? ……しなきゃダメですか?」
璃玖が渋るのは、想定の範囲内だった。
七月も半ば、土曜日の夜。
その日も出勤だった璃玖が、俺の作った夕食――カレーは作れるようになった――を食べ終え、入浴も済ませてやっとくつろいでいた時のことだ。
「嫌なのか?」
「私がそういうの苦手なの、鷹さん知ってるでしょ」
璃玖が缶ビールのプルトップを引き開けながら、上目遣いでにらんでくる。
確かに、知っている――クールな言動に似合わず、璃玖はかなりの照れ屋だ。結婚式は二人のイベントとはいえ、一番目立つのは結局は花嫁。自分が最も注目を浴びてしまうことなど、やりたくないのだろう。
しかし、彼女は言わないが、もう一つ理由があるはずだ。
「俺が親戚を一人も呼ばないとなると、璃玖も説明が面倒だろうしな」
自分から話を振ると、璃玖は何も言わずに俺の方に頭をもたせかけた。それが彼女の、優しく、柔らかく、温かな言葉。
親の離婚で放り出され、親戚中をたらい回しにされてお荷物扱いで育ってきた俺には、結婚式にご招待したいようなご立派な親戚はいない。璃玖の親戚だけ招待したところで、新郎側の親戚がいないのでは、誰もが気づまりな気分になるのは想像がつく。
そんな状況を、璃玖に悪いなと思いこそすれ、俺自身はもはや辛いなどと感じない。しかし、璃玖はこうして気遣ってくれる。
いや、俺が璃玖に悪いなと思っている、そのことに対する気遣いだろうか。こんな時に俺は、彼女に「守られている」と感じるのだ。
俺は璃玖の肩を抱き、彼女の髪を指で梳く。
「お前の親族とは、顔合わせておきたいけどな。あいさつまわりでも何でもするぞ」
言うと、璃玖は笑ってカレンダーに目をやった。
「毎年、お盆に親戚が集まりますから、顔出ししましょうか。もう来月ですし」
「ああ、うん。そうしよう。……でもそういう時に、結婚式はいつだとか突っ込まれそうだな」
「そうですねぇ……」
考え込む彼女に、俺はさらりと提案した。
「写真だけ撮っといて、その時に見せればいいか」
「え?」
「結婚写真。それならいいだろ? 記念に撮っておいても」
「うん……写真だけなら」
よし、言質取った。俺は心の中で拳を握った。
本当に恥ずかしいだけかもしれないが、璃玖が俺のことを考えて結婚式をしないと言っているなら、ドレスくらいは着せてやりたい。宮代のご両親だって娘のドレス姿は見たいだろうし、何より俺が見たいしな。
「鷹さんだけ、ってことですよね?」
色々と考えていると、璃玖が真面目な顔で尋ねて来た。
「何が?」
と聞き返すと、
「そんな格好、見せるの……」
と口ごもる璃玖。
こいつは……っ。
俺はやや強引に彼女の腰を引き寄せ、膝に乗せて額を触れ合せた。
「まあ、カメラマンとかメイク担当の人とかはもちろん見るだろうけどな。そういう人には璃玖も慣れてるだろ?」
仕事で、というと、璃玖はぎょっとして身体を起こした。
「知り合いのカメラマンさんは嫌ですよ!」
「わかってるよ」
俺は笑って彼女にキスをした。
「今、俺は時間取れる時期だから、撮影の予約とかは調べてやっとく。急がないとお盆までに現像できないしな。お前は今やってる仕事をできるだけ進めておくこと。撮影当日に仕事に気を取られて上の空にならないように。いいな」
「うわ、『くらッシュ』だ。了解しました」
璃玖はおどけて敬礼した。
――うまく誤魔化せたかな。
◇ ◇ ◇
撮影当日は、幸い好天に恵まれた。
お台場にあるスタジオは、適度にクーラーがきいている。天井から下がる白いスクリーン、ストロボを取りつけたアンブレラ。
先に支度の済んだ俺が、それらを眺めながら手持ち無沙汰に待っていると、一時間かけて支度を済ませた璃玖が控室から出てきた。
俺は、頬が勝手にほころぶのを抑えられなかった。
ウェディングドレスは、オフショルダーというのか、両肩の出るデザイン。生花を挿した髪をアップにしていて、綺麗な白い肩とうなじを繊細なレースがふちどっている。スカートの後ろはふんわりとボリュームを持たせてあるが、前から見るとすっきりしたクラシックな感じで、璃玖にとても良く似合った。
俺はというと、ごくシンプルな黒のロングタキシードにシルバーのベスト。試着の時はもう少し華やかなデザインのものも着てみたのだが、璃玖に
「……迫力がありすぎる……」
とつぶやかれてしまったのだ。わかってるよ、顔が顔だからな。
天然のウェーブヘアを生かして、一房の髪を首から白い肩に垂らしてある。その髪に触れる振りをして、そっと素肌をなでると、璃玖はくすぐったそうに笑った。
「何だかテンション上がってきちゃった。こんな、肌にキラキラのパウダーなんてつけるの初めて。似合いますか?」
スクリーンの前に立ちながら、璃玖が両手でブーケを持つ。
「すごく綺麗だ。他の人に見せたくなくなってきたな……」
「写真だけしか見せないでしょ」
深い意味はないのだろう、璃玖はそう言ったが、企みのある俺は少し焦る。
「し、写真もってことだよ」
「もう。親戚に見せるために撮るんじゃないですか」
はい、もっとくっついて立って下さい、とカメラマンから指示が出て、俺たちは立ち位置を調整しながら言葉を交わす。
「そうだけど。あと……いつか、俺たちの子どもにも見せられるといいな」
「うん……そうですね」
少し照れたように、璃玖が微笑んで目を伏せると、すかさずフラッシュが光った。
「女の子でも産まれたら、母親のこんなに綺麗な姿見たら憧れるだろうな」
「鷹さんもすごく似合ってるから、パパもかっこいい、って言ってくれますよ」
「パパこわーい、だろ、どうせ」
顔を見合わせて笑う。また、フラッシュが光った。
一人で撮ったり二人で撮ったり、何やら持ったりしながら何ポーズか撮って、少し座って休憩。
やがて、満面の笑みのカメラマンが俺に声をかけた。
「それじゃ……そろそろ」
俺は立ち上がった。
「よし、璃玖。行くぞ」
「へ? 行くって?」
手袋をした手を引くと立ち上がりはしたものの、数歩歩いて足を止める。
「鷹さん? ……ねえ、ちょっと……」
「それっ」
「!」
膝裏と脇に手を入れて、一気に抱き上げる。
うっ……ドレスの分の重量が……いやイケる!
スタッフがすかさずスタジオのドアを開ける。俺は璃玖を抱いたまま、スタスタと外へ出た。受付にいたカップル客が目を丸くし、顔を見合わせて破顔する。
「えっ、まさか、やだちょっとストップ!」
俺の胸を押してくる璃玖には耳を貸さず、まっすぐ、建物の外へ。
東京湾の景色が広がった。青く晴れ渡った空に白い雲がくっきりと輪郭を見せ、レインボーブリッジを雄大に見せている。夏らしい熱い風が、璃玖のショートベールをゆっくりとはためかせた。
もはや言葉もない璃玖を抱いたまま、ウッドデッキの手すりの所まで出る。このままでこれ以上あちらこちら歩くのは、さすがに俺も恥ずかしい。
しかしそれだけでも、通りすがりの観光客が足を止め、
「わあ、結婚式?」
「花嫁さんだ、きれーい」
「花婿さんコワモテー」
「ほら見てごらん、綺麗だねぇ」
「おめでとー」
などと歓声を上げた。カメラマンがシャッターを切る音に混じって余計な台詞も聞こえたが。
港を臨む場所で璃玖を下ろし、腰を抱いたまま顔を覗き込むと――はは、睨んでる睨んでる。それに顔から首筋まで真っ赤だ。
俺は璃玖の腰を抱いて軽く持ち上げるようにすると、その場でぐるりと身体を回した。璃玖があわててブーケを持った手で俺の腕にしがみつく。ベールがさらりと流れ、ドレスがはためき、見物人から歓声と拍手が上がる。
「親戚じゃなくても、大勢の人に祝福されるのって、いいよな」
とん、と彼女を下ろして言う。
「幸せになれよ、っていう気持ちをいくつもいくつも向けてもらう、それが、俺たちの力になる気がするよ」
璃玖がハッとした顔で、俺を見上げた。
「鷹さん……これ、私たちの結婚式なのね」
俺はうなずいた。
「それに、ほら。海だ」
「あ」
璃玖が遠くに視線を投げた。ここからだと湾の中しか見えないが、この海はあの世界につながっている。
「愛海先生が、見てるかもしれない……」
「ああ」
俺たちは手をつないで、同じ方向を見つめた。
璃玖がもう一度、俺を見上げた。
「鷹さん、結婚式、ありがとう。……もうどこにも行かない、生涯あなたのそばにいることを誓います」
その笑顔を見て、俺は息を呑む。今まで俺が見ていた璃玖は、つぼみでしかなかったんだ、とその時気づいた。
俺たちらしい結婚式をするならどんな式だろう、と考えた結果が今日のサプライズだった。やってみて本当に良かった。
「俺も、ずっとお前のそばにいると誓うよ」
引き寄せられるように唇を近づける。
「おっと。人前では嫌です」
ぐい、と口元を片手で押し返された。おいおい、何だか周りから笑い声が聞こえるぞ。
カメラマンの声かけで、レインボーブリッジを背景にきちんとポーズを取る。
アシスタントスタッフにドレスの裾を整えてもらいながら、璃玖がクスクスと笑った。
「鷹さんが考えた結婚式の方が、ずっと素敵だったな」
「え? お前も何かやろうとしてたのか」
驚いて尋ねると、璃玖はちょっと後ろめたそうに視線をそらした。
「ちょっと考えてみただけです。いや、ほら、ラグーン城で結婚式したら面白いな、とか。タイやヒラメの舞い踊りつきで……」
「おい!」
こうして無事に、フォト・ウェディング――俺たちの結婚式は終わった。
実はこの日、俺が招待しておいた璃玖のご両親が、見物客の中にこっそり紛れていたのを璃玖が知るのは、数日後のことになる。
【Wedding Photo おしまい】