第8話 帰る場所
領主の屋敷を出たとき、エリオは少しだけ残念に思った。
――文字、覚え始めたところだったのに。
図書室もあった。
ご飯も毎日食べられた。
仕事は大変だったけれど、嫌ではなかった。
だから追い出されたのは残念だった。
エリオは村への道を歩く。
荷物は、ない。
あると言えば身につけているメイド服である。
屋敷にくる前に着ていた服は、汚いので捨てられてしまった。
その服に比べればメイド服は綺麗だ。
――この服見たら、おどろくかな。
そんなことを考えながら家へ向かう。
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夕方。
やがて見慣れた家が見えた。
父と母が家の前にいた。
畑仕事から戻ったところらしい。
エリオは小走りで近づいた。
「ただいま帰りました」
両親が振り向く。
しかし、二人とも不思議そうな顔をした。
「どちら様で?」
母が首を傾げた。
エリオも首を傾げる。
「ボクです、エリオです」
二人の目が見開かれた。
「はあ!?」
「エリオ!?」
父が声を上げた。
母も驚いている。
どうやら本当に気づかなかったらしい。
――きれいになったから、かな?
少しだけ嬉しくなる。
しかし、次の瞬間。
母が顔をしかめた。
「気持ち悪いねぇ、男が女の格好をして」
エリオは瞬きをした。
――思ってたのと、違う。
「でも、領主様の命令です」
「領主様の?」
「はい。メイドとして働くようにと言われました」
すると母はあっさり頷いた。
「それなら仕方ないね」
エリオも頷く。
――領主様の言うことは、あっているんだから。
父が腕を組んだ。
「それで、なんで帰ってきた」
エリオは答える。
「追い出されたので」
「何?」
父の顔が険しくなった。
「逃げてきたんじゃないだろうな」
「違います」
「本当か?」
「本当です」
エリオは慌てて首を振った。
屋敷の仕事は嫌ではなかった。
逃げる理由もない。
だが父は信じていない様子だった。
「説明しろ」
「はい」
エリオは順番に話した。
領主の息子が魔法の検査を受けたこと。
水晶が落ちたこと。
それを拾ったこと。
水晶が光ったこと。
領主様が怒ったこと。
そして追い出されたこと。
話し終えると沈黙が落ちた。
父も母も何も言わない。
ただ顔色だけが悪くなっていた。
「どうしたのですか?」
エリオが聞く。
母が震えた声で言った。
「領主様を怒らせたんじゃないのかい」
「たぶん」
「たぶんじゃないよ!」
母が叫んだ。
エリオは驚いた。
母がこんな大声を出すのは珍しい。
父も青ざめていた。
「何をやった」
「わかりません」
「わからないだと!?」
「本当に、わからないんです」
父は頭を抱えた。
「まずいぞ……」
「どうしよう……」
母も怯えている。
――なんで、そんな顔するの?
追い出されたのは自分だ。
父は小声で言った。
「貴族様への不敬だったらどうする」
「うちまで罰を受けるかもしれないよ」
「仕事を失ったら終わりだ」
二人は顔を見合わせる。
恐怖が伝わってきた。
けれどエリオには実感がない。
――ばつ? いったいなんの話なの?
領主様を怒らせた。
それは事実かもしれない。
だが、それが家族まで困る話だとは知らなかった。
「ごめんなさい」
しかし父の表情は変わらない。
むしろさらに険しくなった。
「謝ってすむ話か!」
怒鳴り声が響いた。
エリオの肩が震える。
「貴族様に目をつけられたらどうなると思っている!」
「ボクは……」
「わかってない!」
父は激しく首を振った。
母も怯えた顔のまま言う。
「なんで帰ってきたんだい……」
その言葉にエリオは戸惑った。
――帰ってきたら、だめだったの?
ここは自分の家なのに。
ふと思い出す。
屋敷で稼いだ給金は全部両親へ渡されていた。
だから屋敷を追い出されたら困るのかもしれない。
そう考えると納得できた。
言いつけを守らなかった。
――だから怒ってるんだ……。
当然だ。
そう思った。
思ったのだが――。
「出ていけ!」
父の怒鳴り声に、胸の奥が少しだけ痛んだ。
エリオは瞬きをした。
――聞き間違い、かな。
「父さん?」
「今すぐ出ていけ!」
「でも……」
「うちを巻き込む気か!」
父が怒鳴る。
母も顔を背けた。
「そうだよ。早くどこかへ行きな」
エリオは理解しようとした。
自分は領主様を怒らせた。
そのせいで両親も困っている。
だから追い出したい。
理屈はわかる。
たぶん正しい。
けれど。
「どこへ行けばいいのですか?」
「知らん!」
怒鳴るだけだった。
エリオは黙る。
父も母も顔が青かった。
怒っているというより、何かに怯えているようだった。
領主様は偉い。
平民は逆らえない。
自分だって逆らえない。
だから両親も逆らえない。
――どうしたらいいんだろう。
両親が家へ入り、戸を閉める。
すると中からガタリと音がする。
かんぬきの音だとすぐに気づく。
「え?」
エリオは家の前に立ち尽くした。
領主の屋敷から追い出された。
自分の家からも追い出された。
行く場所が、ない。
少し考えたあと、家の壁にもたれた。
村人たちが通り過ぎる。
何人かがエリオを見た。
だが誰も話しかけない。
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夜になった。
家のなかから明かりが漏れている。
食事の匂いもした。
エリオの腹が鳴る。
――お腹、すいた。
今日はまだ何も食べていない。
けれど戸を叩く気にはなれなかった。
迷惑をかけているのは自分だ。
父も母も困っている。
なら我慢しよう。
そう思った。
空を見上げる。
星が出ていた。
領主の屋敷から見た星と同じ。
少しだけ安心した。
しかし胸の奥に残る重さは消えない。
自分が悪い。
そう考えると納得できる。
なのに苦しかった。
悲しいのだろうか。
寂しいのだろうか。
怒っているのだろうか。
エリオにはわからない。
ただ胸が重かった。
そのまま夜を過ごした――
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翌朝。
エリオは家の前に座っていた。
少し眠ったが、あまり眠れなかった。
――これからどうしよう。
考えても答えは出ない。
そんな時だった。
「エリオ?」
聞き覚えのある声がした。
顔を上げる。
そこにいたのはクラリスだった。
馬車から降りた彼女は、目を丸くしている。
「なぜそんなところにいるの?」
「クラリス先生……」
クラリスは周囲を見回す。
家の前。
膝を抱えたエリオ。
それだけで何かを察したらしい。
表情が厳しくなった。
「まさか、ずっとここに?」
「はい」
「家には入らなかったの?」
「追い出されました」
クラリスが黙る。
表情がさらに厳しくなった。
エリオは事情を説明した。
両親に話したこと。
領主様を怒らせたかもしれないと伝えたこと。
そして家から追い出されたこと。
クラリスは最後まで聞いた。
途中で一度も口を挟まなかった。
ただ表情だけが少しずつ険しくなっていく。
「そう」
しばらく沈黙がつづく。
やがてクラリスが尋ねた。
「家へ戻る気はある?」
「ボクが悪いので、帰れません」
エリオは即答した。
クラリスはため息をついた。
だが何も否定しない。
代わりに静かな声で言った。
「行く場所は?」
「ありません」
「頼れる人は?」
「いません」
「そう……」
クラリスは少し考えた。
それから決めたように頷く。
「なら私の家へ来なさい」
エリオは固まった。
「先生の家へ?」
「そうよ」
「どうしてですか?」
意味がわからなかった。
迷惑をかけるだけだ。
追い出された子供だ。
そんな自分を助ける理由がわからない。
クラリスは不思議そうな顔をした。
「どうして?」
「はい」
「あなたには夢があるでしょう」
――夢。
その言葉にエリオは目を瞬かせた。
忘れていたわけではない。
ただ考える余裕がなかった。
「立派なものを作るんでしょう?」
エリオは思わず顔を上げた。
――覚えていてくれたんだ。ボクの夢を。
「……はい」
「なら勉強をつづけなさい」
クラリスは当然のように言った。
「夢を叶えるには知識が必要よ」
そうだ。
まだ何も終わっていない。
領主の屋敷は失った。
家も失った。
けれど夢まで失ったわけではない。
「いいのですか?」
「いいわ」
「本当に?」
「本当よ」
クラリスは微笑んだ。
「その代わり勉強は厳しくするわよ」
エリオは深く頭を下げる。
「お願いします」
クラリスは満足そうに頷いた。
「よろしい」
二人は馬車へ向かう。
エリオは一瞬だけ振り返った。
生まれ育った家。
戸は閉じたまま。
誰も出てこない。
胸の奥が少しだけ痛んだ。
けれど足は止めない。
馬車へ乗り込む。
車輪が動き始めた。
村が少しずつ遠ざかる。
窓の外を見ながら、エリオは小さく拳を握った。
――もっと勉強しよう。そうすればいつか。夢がかなう。




