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第8話 帰る場所

 領主の屋敷を出たとき、エリオは少しだけ残念に思った。


 ――文字、覚え始めたところだったのに。


 図書室もあった。


 ご飯も毎日食べられた。


 仕事は大変だったけれど、嫌ではなかった。


 だから追い出されたのは残念だった。






 エリオは村への道を歩く。


 荷物は、ない。


 あると言えば身につけているメイド服である。


 屋敷にくる前に着ていた服は、汚いので捨てられてしまった。


 その服に比べればメイド服は綺麗だ。


 ――この服見たら、おどろくかな。


 そんなことを考えながら家へ向かう。




△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼




 夕方。


 やがて見慣れた家が見えた。


 父と母が家の前にいた。


 畑仕事から戻ったところらしい。


 エリオは小走りで近づいた。


「ただいま帰りました」


 両親が振り向く。


 しかし、二人とも不思議そうな顔をした。


「どちら様で?」


 母が首を傾げた。


 エリオも首を傾げる。


「ボクです、エリオです」


 二人の目が見開かれた。


「はあ!?」


「エリオ!?」


 父が声を上げた。


 母も驚いている。


 どうやら本当に気づかなかったらしい。


 ――きれいになったから、かな?


 少しだけ嬉しくなる。


 しかし、次の瞬間。


 母が顔をしかめた。


「気持ち悪いねぇ、男が女の格好をして」


 エリオは瞬きをした。


 ――思ってたのと、違う。


「でも、領主様の命令です」


「領主様の?」


「はい。メイドとして働くようにと言われました」


 すると母はあっさり頷いた。


「それなら仕方ないね」


 エリオも頷く。


 ――領主様の言うことは、あっているんだから。


 父が腕を組んだ。


「それで、なんで帰ってきた」


 エリオは答える。


「追い出されたので」


「何?」


 父の顔が険しくなった。


「逃げてきたんじゃないだろうな」


「違います」


「本当か?」


「本当です」


 エリオは慌てて首を振った。


 屋敷の仕事は嫌ではなかった。


 逃げる理由もない。


 だが父は信じていない様子だった。


「説明しろ」


「はい」




 エリオは順番に話した。


 領主の息子が魔法の検査を受けたこと。


 水晶が落ちたこと。


 それを拾ったこと。


 水晶が光ったこと。


 領主様が怒ったこと。


 そして追い出されたこと。




 話し終えると沈黙が落ちた。


 父も母も何も言わない。


 ただ顔色だけが悪くなっていた。


「どうしたのですか?」


 エリオが聞く。


 母が震えた声で言った。


「領主様を怒らせたんじゃないのかい」


「たぶん」


「たぶんじゃないよ!」


 母が叫んだ。


 エリオは驚いた。


 母がこんな大声を出すのは珍しい。


 父も青ざめていた。


「何をやった」


「わかりません」


「わからないだと!?」


「本当に、わからないんです」


 父は頭を抱えた。


「まずいぞ……」


「どうしよう……」


 母も怯えている。


 ――なんで、そんな顔するの?


 追い出されたのは自分だ。




 父は小声で言った。


「貴族様への不敬だったらどうする」


「うちまで罰を受けるかもしれないよ」


「仕事を失ったら終わりだ」


 二人は顔を見合わせる。


 恐怖が伝わってきた。


 けれどエリオには実感がない。


 ――ばつ? いったいなんの話なの?


 領主様を怒らせた。


 それは事実かもしれない。


 だが、それが家族まで困る話だとは知らなかった。




「ごめんなさい」


 しかし父の表情は変わらない。


 むしろさらに険しくなった。


「謝ってすむ話か!」


 怒鳴り声が響いた。


 エリオの肩が震える。


「貴族様に目をつけられたらどうなると思っている!」


「ボクは……」


「わかってない!」


 父は激しく首を振った。


 母も怯えた顔のまま言う。


「なんで帰ってきたんだい……」


 その言葉にエリオは戸惑った。


 ――帰ってきたら、だめだったの?


 ここは自分の家なのに。




 ふと思い出す。


 屋敷で稼いだ給金は全部両親へ渡されていた。


 だから屋敷を追い出されたら困るのかもしれない。


 そう考えると納得できた。


 言いつけを守らなかった。


 ――だから怒ってるんだ……。


 当然だ。


 そう思った。


 思ったのだが――。


「出ていけ!」


 父の怒鳴り声に、胸の奥が少しだけ痛んだ。


 エリオは瞬きをした。


 ――聞き間違い、かな。


「父さん?」


「今すぐ出ていけ!」


「でも……」


「うちを巻き込む気か!」


 父が怒鳴る。


 母も顔を背けた。


「そうだよ。早くどこかへ行きな」


 エリオは理解しようとした。


 自分は領主様を怒らせた。


 そのせいで両親も困っている。


 だから追い出したい。


 理屈はわかる。


 たぶん正しい。


 けれど。


「どこへ行けばいいのですか?」


「知らん!」


 怒鳴るだけだった。




 エリオは黙る。


 父も母も顔が青かった。


 怒っているというより、何かに怯えているようだった。


 領主様は偉い。


 平民は逆らえない。


 自分だって逆らえない。


 だから両親も逆らえない。


 ――どうしたらいいんだろう。




 両親が家へ入り、戸を閉める。


 すると中からガタリと音がする。


 かんぬきの音だとすぐに気づく。


「え?」


 エリオは家の前に立ち尽くした。




 領主の屋敷から追い出された。


 自分の家からも追い出された。


 行く場所が、ない。




 少し考えたあと、家の壁にもたれた。


 村人たちが通り過ぎる。


 何人かがエリオを見た。


 だが誰も話しかけない。




△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼




 夜になった。


 家のなかから明かりが漏れている。


 食事の匂いもした。


 エリオの腹が鳴る。


 ――お腹、すいた。


 今日はまだ何も食べていない。


 けれど戸を叩く気にはなれなかった。


 迷惑をかけているのは自分だ。


 父も母も困っている。


 なら我慢しよう。


 そう思った。




 空を見上げる。


 星が出ていた。


 領主の屋敷から見た星と同じ。


 少しだけ安心した。




 しかし胸の奥に残る重さは消えない。


 自分が悪い。


 そう考えると納得できる。


 なのに苦しかった。


 悲しいのだろうか。


 寂しいのだろうか。


 怒っているのだろうか。


 エリオにはわからない。


 ただ胸が重かった。


 そのまま夜を過ごした――




△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼




 翌朝。


 エリオは家の前に座っていた。


 少し眠ったが、あまり眠れなかった。


 ――これからどうしよう。


 考えても答えは出ない。


 そんな時だった。


「エリオ?」


 聞き覚えのある声がした。


 顔を上げる。


 そこにいたのはクラリスだった。


 馬車から降りた彼女は、目を丸くしている。


「なぜそんなところにいるの?」


「クラリス先生……」




 クラリスは周囲を見回す。


 家の前。


 膝を抱えたエリオ。


 それだけで何かを察したらしい。


 表情が厳しくなった。


「まさか、ずっとここに?」


「はい」


「家には入らなかったの?」


「追い出されました」


 クラリスが黙る。


 表情がさらに厳しくなった。




 エリオは事情を説明した。


 両親に話したこと。


 領主様を怒らせたかもしれないと伝えたこと。


 そして家から追い出されたこと。




 クラリスは最後まで聞いた。


 途中で一度も口を挟まなかった。


 ただ表情だけが少しずつ険しくなっていく。


「そう」


 しばらく沈黙がつづく。





 やがてクラリスが尋ねた。


「家へ戻る気はある?」


「ボクが悪いので、帰れません」


 エリオは即答した。


 クラリスはため息をついた。


 だが何も否定しない。


 代わりに静かな声で言った。


「行く場所は?」


「ありません」


「頼れる人は?」


「いません」


「そう……」


 クラリスは少し考えた。





 それから決めたように頷く。


「なら私の家へ来なさい」


 エリオは固まった。


「先生の家へ?」


「そうよ」


「どうしてですか?」


 意味がわからなかった。


 迷惑をかけるだけだ。


 追い出された子供だ。


 そんな自分を助ける理由がわからない。




 クラリスは不思議そうな顔をした。


「どうして?」


「はい」


「あなたには夢があるでしょう」


 ――夢。


 その言葉にエリオは目を瞬かせた。


 忘れていたわけではない。


 ただ考える余裕がなかった。


「立派なものを作るんでしょう?」


 エリオは思わず顔を上げた。


 ――覚えていてくれたんだ。ボクの夢を。


「……はい」


「なら勉強をつづけなさい」


 クラリスは当然のように言った。


「夢を叶えるには知識が必要よ」


 そうだ。


 まだ何も終わっていない。


 領主の屋敷は失った。


 家も失った。


 けれど夢まで失ったわけではない。




「いいのですか?」


「いいわ」


「本当に?」


「本当よ」


 クラリスは微笑んだ。


「その代わり勉強は厳しくするわよ」


 エリオは深く頭を下げる。


「お願いします」


 クラリスは満足そうに頷いた。


「よろしい」




 二人は馬車へ向かう。


 エリオは一瞬だけ振り返った。


 生まれ育った家。


 戸は閉じたまま。


 誰も出てこない。


 胸の奥が少しだけ痛んだ。


 けれど足は止めない。




 馬車へ乗り込む。


 車輪が動き始めた。


 村が少しずつ遠ざかる。


 窓の外を見ながら、エリオは小さく拳を握った。


 ――もっと勉強しよう。そうすればいつか。夢がかなう。


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