第7話 光る石
その日は朝から屋敷の空気が少し違っていた。
使用人たちの動きがふだんより慌ただしい。
磨かれた廊下。
整えられた応接室。
ふだんは閉じられている客間まで掃除されていた。
――何か、あるのかな?
エリオは言われた仕事をこなしながら、その様子を横目で見ていた。
やがて昼前。
一台の馬車が屋敷へ到着した。
御者が扉を開く。
中から降りてきたのは白髪の老人だった。
上質な衣服。
磨き上げられた杖。
年老いているのに背筋は真っすぐ伸びている。
ただ立っているだけなのに周囲の空気が引き締まるようだった。
使用人たちがいっせいに頭を下げる。
エリオも慌ててそれに倣った。
「荷物を運びなさい」
トビアスに命じられ、エリオは老人の荷物を受け取った。
革の鞄は思ったより重かった。
慎重にもち上げる。
――落としたら大変だ。
老人の後ろを歩きながら屋敷の奥へ向かう。
やがて案内されたのはふだん入ることのない部屋だった。
中には領主とレイモンドがいる。
レイモンドは背筋を伸ばして座っていた。
いつもとは少し様子が違う。
緊張しているようにも見える。
「ドラグニル殿。お待ちしておりました」
領主が席を立った。
「お招きいただき感謝いたします」
老人――ドラグニルも静かに一礼する。
そのやり取りを見て、エリオは改めて相手の立場を理解した。
――領主様が頭を下げた。すごい人なんだ。
荷物を落とさなくてよかった、と今さらながら胸を撫で下ろす。
指示された場所へ鞄を置く。
本来ならここで退室するはずだった。
しかしトビアスに小声で言われた。
「終わるまで待機」
「はい」
短く返事をする。
――何か、たのまれるかもしれない。
エリオは部屋の隅へ下がった。
存在を消すように立つ。
使用人として教わった通りに。
ドラグニルは椅子へ腰掛けると鞄を開いた。
中から取り出されたものを見て、エリオは少し驚いた。
透明な丸い石だった。
拳ほどの大きさがある。
窓から差し込む光を受けてきらきら輝いていた。
――きれい。
ドラグニルはそれを机の中央へ置く。
「では、始めるとしよう」
静かな声だった。
レイモンドが小さく頷く。
「よろしくお願いします」
いつもよりずっと丁寧な口調だった。
「まずは適性の確認からじゃな」
「はい」
――てきせい?
なんの話なのかはわからない。
だが部屋の全員が真剣だった。
自然とエリオも耳を傾けた。
「レイモンド様は五歳になられた」
ドラグニルが言う。
「そろそろ魔法の教育を始める時期じゃ」
エリオは瞬きをした。
――まほう?
聞いたことのない言葉だった。
勉強の一種だろうか。
剣術のようなものだろうか。
しかし机のうえには透明な石しか置かれていない。
「では、この水晶へ触れてみよ」
レイモンドが息を呑む。
少しだけ緊張した顔になった。
ドラグニルの前に置かれた透明な石。
――すいしょう?
どう見てもただの石だ。
――触るだけで、何がわかるの?
エリオにはさっぱり見当がつかなかった。
部屋の空気が静まる。
誰も喋らない。
エリオも無意識に息を止めていた。
レイモンドがゆっくりと手を伸ばす。
指先が水晶へ近づく。
そして、触れた。
次の瞬間。
水晶が淡く光った。
白い光。
透明だった水晶の内側から、ぼんやりと灯りがともる。
エリオは目を見開いた。
――光った。
火も使っていない。
蝋燭もない。
それなのに光っている。
何が起きたのか理解できない。
思わず前のめりになりそうになり、慌てて姿勢を正した。
使用人が勝手に動いてはいけない。
そう教わっている。
だが視線だけは水晶に釘付けだった。
やがて光は少しずつ弱まり、消えていく。
ふたたび透明な水晶へ戻った。
「ふむ」
ドラグニルが頷いた。
「十分な適性があるのう」
「本当ですか」
レイモンドの声に安堵が混じる。
「ええ。将来が楽しみじゃ」
ドラグニルの言葉に、領主も満足そうに頷いた。
部屋の空気が和らぐ。
――みんな、うれしそう。
エリオには何が良かったのかさっぱりわからない。
だが、光ったことに意味があるのだろう。
魔法とは何なのか。
なぜ水晶が光るのか。
聞きたいことは山ほどあった。
でも口には出さない。
動いてはいけないのだから。
だから黙って見ている。
その時だった。
結果に安心したのか、レイモンドが少し大きく身体を動かした。
肘が机に当たる。
かたん、と音がした。
水晶が揺れる。
机の端へ転がる。
「あ」
誰かが息を飲んだ。
次の瞬間、落下した。
エリオは反射的に走った。
考えるより先に身体が動いていた。
高価な品に見えた。
落として割れたら大変だ。
床へ届く直前。
両手で受け止める。
ほっとした。
――間に合った。
そう思った瞬間だった。
眩い光が爆発した。
「――っ!」
思わず目を閉じる。
白い。
何も見えない。
まるで真昼の太陽を目の前に押し付けられたようだった。
光が手のなかから溢れている。
いや。
手のなかの水晶からだ。
レイモンドのときとは比べ物にならない。
部屋全体が白く染まっていた。
――なにこれ。
やがて光が少しずつ弱まっていく。
閉じていた目を開く。
視界が戻る。
水晶は元の透明な姿へ戻っていた。
部屋は静まり返っている。
誰も喋らない。
妙だった。
先ほどまでとは空気が違う。
恐る恐る顔を上げる。
最初に見えたのはレイモンドだった。
呆然としている。
口が半開きになっていた。
次にドラグニルを見る。
老人も固まっていた。
信じられないものを見たような顔をしている。
そして最後に領主を見た。
そこでエリオは息を止めた。
領主がこちらを見ていた。
冷たい目。
今まで向けられたことのない視線だった。
――怒られる。
理由はわからない。
だが、それだけはわかった。
エリオは慌てて頭を下げる。
「申し訳ございません」
何にたいして謝っているのか、自分でもわからない。
それでも謝らずにはいられなかった。
沈黙がつづく。
重い沈黙だった。
やがて領主が口を開く。
「その水晶を置け」
「は、はい」
震える手で机の上へ戻す。
領主はしばらくエリオを見つめていた。
その視線が怖かった。
「お前は」
低い声だった。
「今日限りで屋敷を出ていけ」
エリオは意味を理解できなかった。
「……え?」
「聞こえなかったか」
冷え切った声が返ってくる。
「屋敷から出ていけ」
頭が真っ白になった。
――どうして? ボク、悪い事した?
水晶を拾っただけだ。
落としたわけでもない。
壊したわけでもない。
理由がわからない。
「でも――」
「出ていけ」
言葉を遮られた。
反論を許さない声だった。
エリオは口を閉じる。
レイモンドを見る。
助けてくれるかもしれないと思った。
だがレイモンドは視線を逸らした。
何も言わない。
ドラグニルも沈黙したままだった。
部屋のなかに味方はいない。
その事実だけがはっきりと伝わってきた。
「……かしこまりました」
絞り出すように答える。
頭を下げる。
そして部屋を出た。
扉が閉まる。
廊下へ出ても、まだ現実感がなかった。
――どうして?
まったくわからない。
それでも命令は命令だった。
平民のメイドに逆らう権利などない。
エリオは俯いたまま歩き出した。
せっかく手に入れた居場所だった。
温かい食事。
雨風をしのげる部屋。
文字を学ぶ機会。
――ぜんぶ、なくなっちゃった。
小さな拳を握り締めながら、エリオは静かに前を向いた。




