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第17話 好きの種類

 廊下に誰もいない。


 ルーカスの言葉が、まだ空気のなかに残っている気がした。


『好きだ』


 エリオは少し考えた。


 考えてから、答えた。


「ボクもルーカス先輩のこと、好きですよ」


 ルーカスが固まった。


 顔が、じわじわと赤くなっていく。


「……そういう意味じゃない」


「え?」


「そういう好きじゃない」


 エリオは首を傾げた。


 好きじゃない。


 今、好きだと言った。


 それなのに好きじゃない。


「好きに違いがあるんですか」


 ルーカスが口を開いた。


 閉じた。


 また開いた。


「……ある」


「知りませんでした」


 ルーカスは天井を見た。


 何かを探しているような目だった。


 やがて視線を戻す。


「友達として好きなのと、それ以上ってのがある」


「それ以上」


「ああ」


「それ以上というのは」


「……いっしょにいたいとか」


「友達でもいっしょにいたいですよ」


「違う」


「どう違うんですか」


 ルーカスが額を押さえた。


 エリオは待った。


 責めているわけではない。


 本当にわからなかった。


「特別なひとりでいてほしい、ってことだ」


 特別なひとり。


 エリオはその言葉を頭のなかで繰り返した。


 レイモンドのことを思い出した。


 屋敷で「ずっといっしょがいい」と言っていた。


 あのときは、女装していた。


 だから勘違いされたのだと思った。


 見た目が女の子だから、そう思われたのだと。


 でも今は違う。


 制服を着ている。


 なのに。


 なぜ。




 エリオはルーカスを見た。


 日に焼けて、黒い肌。


 太くて短い首。


 厚い胸板。


 太い腕。




 それから自分を見た。


 白くて、滑らかな肌。


 細くて長い腕。


 細い腰。


 並べてみると、同じ制服を着ているのが不思議なくらいだった。


 ――もしかして、かん違いしてるのかな?


「ボク、男ですよ?」


「知ってる」


 ますます意味がわからない。




 考えても答えが出ない。


 でも、ルーカスを待たせている。


 真剣な目。


 ここは正直に返事をしたほうが良いと思えた。


「ボクには、そういう好きは返せないと思います」


 言ってから、もう一度考えた。


 思います、ではない。


「返せません。ごめんなさい」


 ルーカスは黙っていた。




 表情が読めない。


 怒っているのか。


 悲しんでいるのか。


 それとも別の何かなのか。


 エリオには判断できなかった。


「でも」


 つづけた。


「友達としては、好きです」


 またしばらく黙った。


 長かった。




 廊下のどこかで扉が開く音がした。


 それでもルーカスは動かなかった。


 やがて。


「……わかった」


 短かった。


 それだけだった。


 ルーカスが歩き出す。


 エリオは見送った。


 背中が廊下の角を曲がって、見えなくなった。




 ひとりになった。


 壁に背中を預ける。


 胸の奥に何かが残っている。


 痛みではない。


 重さでもない。


 うまく名前がつけられなかった。


 レイモンドのときは、勘違いさせた自分が悪いと思った。


 女装していたから、女の子だと思われた。


 だから申し訳なかった。




 今回は違う。


 何も隠していない。


 なのに同じことが起きた。




 ということは。


 棒なしだから、こういうことが起きるのだ。


 エリオはそう結論づけた。


 男らしくないから、同性に勘違いされる。


 だとしたら。


 同性の友人を作るのは、気をつけなければならない。


 また同じことになるかもしれない。


 勘違いさせるのは、自分が悪い。


 それだけは確かだった。


 エリオは壁から離れた。


 図書室へ行こう。


 今日の調べ物が、まだ終わっていない。


 足を踏み出した。


 廊下は静かだった。




△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼




 図書室はいつも通り静かだった。


 エリオはいつもの席へ向かう。


 荷物を置く。


 メモを広げる。


 昨日のつづきだ。


 ページをめくる。




 しばらくして、手が止まった。


 【エンバースネーク】


 火山地帯に生息する大型の蛇だと書いてある。


 特徴の欄を読む。


 生きているあいだ、体表面はつねに人肌に近い温度を保つ。脱け殻になった後も、数日間はその温度が持続するとある。


 思わず声が漏れそうになった。


 脱け殻でも温かい。


 設計図の「体温」の欄に書き込む。


 その手が少し速い。


 ただ、どうやって手に入れるのかはわからない。


 火山地帯は遠そうだ。


 それはあとで考えることにした。




 次のページをめくろうとした時だった。


「なあなあ、エリオ」


 隣の椅子が引かれる音がした。


 顔を上げる。


 ミーナだ。


 同じクラスの女の子だけど、話したことはない。


「この本、どこにあるか知らへん?」


 紙を差し出してきた。


 書名が書いてある。


 エリオは少し考えた。


「三つ奥の棚の、右から四番目です。上から二段目」


「……即答やん」


「よく来るので、だいたい覚えてしまいました」


 ミーナは立ち上がった。





 すぐに戻ってきた。


 手に本をもっている。


「ほんまにあった。すごいな」


「場所を覚えるのは得意なんです。本の中身よりも簡単で」


 ミーナがぷっと吹き出した。


「なんやそれ」


 エリオは少し首を傾げた。


 変なことを言っただろうか。


 でもミーナは楽しそうだった。


「ずっと図書室におるん?」


「授業が終わったらだいたいここにいます。閉館まで」


「毎日?」


「はい」


「そら試験で一位取れるわ」


 エリオは少し考えた。


「試験の一位と図書室は、あまり関係ないと思いますけど」


「関係あるやろ!」


 またミーナが吹き出す。


 今度は声が少し大きかった。


 近くの生徒が顔を上げる。


 ミーナは口を押さえた。


 肩が揺れている。


「あのな」


 笑いを収めてから、ミーナが少し真面目な顔になった。


「うち、勉強教えてほしいんやけど」


「構いませんよ。何がむずかしいですか」


「全部」


「……それは正直ですね」


「そやろ」


 ミーナが胸を張った。


 エリオは少し口の端が上がった。




「なあ」


 ミーナがテーブルに肘をつく。


「噂のこと、気になってへんの?」


 エリオは手を止めた。


 噂。


 女装癖の変態、という話だろう。


「気になるというより」


 少し考えてからつづけた。


「本当のことなので、否定しにくいんです」


 ミーナが目を丸くした。


「ほんまなん?」


「はい。領主様の屋敷でメイドとして働いていました。領主様の命令で」


「……それ、嫌やったやろ」


「嫌じゃなかったです。綺麗と言われたのは、素直に嬉しかったので」


 ミーナが固まった。


 数秒。




 それから盛大に吹き出した。


 図書室中に響くような声だった。


 司書がこちらを見た。


 ミーナが慌てて口を押さえる。


 それでも肩が止まらない。


「なんやそれ! おもしろすぎるやろ!」


「そんなにおかしいですか」


「おかしいわ! 普通そこで嫌やったって言うやろ!」


「でも本当のことですから」


 ミーナはひとしきり笑ってから、ようやく落ち着いた。




 目の端に涙が浮かんでいる。


「一個だけ正直に言っとくわ」


 今度は声のトーンが変わった。


「うちな、その噂聞いてから、ずっと話しかけられへんかってん」


「知っています。みんなそうです」


「……知っててんや」


「なんとなく」


 ミーナが少し黙った。


「でも勉強教えてほしいし、友達にもなりたい。恋愛はできへんけど、それでもええ?」


 胸の奥が、チクりとした。


 なぜかわからない。


 でも嫌ではなかった。


「……ありがとうございます」


「なんで感謝されんの」


「正直に言ってくれたので。嬉しかったです」


 ミーナがまた少し目を丸くした。


 それからにっと笑う。


「よっしゃ。じゃあ友達な」


 あっけらかんとしていた。


 エリオも笑った。


 今度は堪えなかった。




△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼




 図書室を出たのは夕方だった。


 廊下に西日が差し込んでいる。


 今日のことを思い返した。


 好きにも種類がある。


 ルーカスが教えてくれた。


 言葉を探しながら、それでも諦めずに説明しようとしていた。


 だから断ったとき、胸が少し痛かった。


 ミーナは最初に全部言った。


 噂を聞いて怖かった。でも話しかけた。恋愛感情はない。それでも友達になりたい。


 全部、正直だった。


 胸がチクりとした理由は、まだわからない。


 でも嫌じゃなかった。


 それだけは確かだった。


 寮の扉が見えてきた。


 メモのつづきを書かなければならない。


 今日調べたことが、まだ頭のなかに残っている。


 足を少しだけ速めた。


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