第15話 図書室
寮の部屋は個室だった。
扉を開けた瞬間、エリオは少しだけ立ち止まった。
ベッドがひとつ。
机がひとつ。
窓がひとつ。
その全部が自分のもの。
クラリスの家では部屋をもらった。
でもあれは間借りだった。
ここは違う。
自分のために用意された部屋だ。
エリオは荷物を置いた。
それから制服に手を伸ばした。
制服は思ったより重かった。
布が厚い。
メイド服とも、クラリスの家で着ていた服とも違う。
袖を通してみる。
しっかりと体を包む感触。
スラックスの裾を確かめる。
部屋の隅に鏡があった。
映っているのは、どこからどう見ても男の子だった。
当たり前だ。
男なのだから。
それでも少し不思議な気分だった。
領主の屋敷では毎日スカートを履いていた。
クラリスの家ではトーマのお下がりを着ていた。
こんなふうに、きちんとした服を自分のために用意してもらったのは初めてかもしれない。
悪くない。
むしろ動きやすそうだった。
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入学式の会場は広かった。
石造りの高い天井。
整然と並んだ椅子。
生徒たちはすでに半分ほど席についている。
エリオが扉を入った瞬間、いくつかの視線がこちらへ向いた。
女子生徒が頬を染めて目を逸らした。
男子生徒が二度見した。
別の男子生徒が隣の友人の腕を引っ張って、こちらを指差しそうになって、やめた。
なんの視線かわからない。
ただ、多かった。
指定された席へ座る。
隣の生徒がちらりとこちらを見た。
エリオは軽く頭を下げた。
相手は少し驚いた顔をしてから、小さく頷いた。
――同じ制服を着てても、平民ってわかるのかな?
やがて式が始まった。
壇上に教師らしき人物が並ぶ。
長い挨拶がつづく。
エリオは半分だけ聞いていた。
残りの半分は図書室のことを考えていた。
クラリスの家の本棚より大きいのは確かだ。
――どのくらい、大きいんだろう。
壇上の話が変わった。
つづいて、入学試験の成績優秀者が紹介されるらしい。
「主席合格、エレオノーラ・グランフェルト」
「はい」
読み上げられた名前に、会場がざわめいた。
壇上に上がったのは少女だった。
背筋が真っすぐ伸びている。
鋭い視線は、正面だけを向いていた。
――あの子、怒ったらすごそう……。
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式が終わると、廊下に人が溢れた。
エリオは人の流れに沿って歩く。
図書室の場所を確かめておきたかった。
曲がり角に差し掛かった時だった。
「っ」
衝突した。
よろめく。
相手もよろめく。
顔を上げた。
そこにいたのは見覚えのある顔だった。
レイモンドだった。
領主の息子。
屋敷で働いていたころ、何度も呼ばれた。
好きだと言われた相手だった。
「お久しぶりです」
エリオは頭を下げた。
顔を上げると、レイモンドは固まっていた。
視線がエリオの顔からゆっくりと下へ動く。
スラックス。
制服の上衣。
また顔へ戻る。
また下へ行く。
何かを確かめているようだった。
やがて視線が止まった。
レイモンドの表情が変わる。
なんの表情なのかはわからない。
ただ、屋敷にいたころに向けられていた顔とは違った。
「……」
何も言わない。
しばらくそのままだった。
それからレイモンドは踵を返した。
人混みのなかへ消えていく。
エリオは見送った。
制服に、目を落とす。
スラックス。
硬い生地。
領主様の屋敷では、スカートだった。
かつらも着けた。
顔も、綺麗にしてもらった。
あれは、領主様が決めたことだ。
だから、悪い事だとは思っていない。
今は、違う。
クラリス先生が、メイド服はもう着なくていいと言った。
だから、もう着ない。
それで、終わったはずだった。
でも。
レイモンドには、何も言っていない。
男だよ、とも。
女の子だよ、とも。
黙ってた、だけ。
嘘を、ついたわけじゃない。
秘密を、守っただけ。
――領主様が、秘密にしろって言ったから。
いつまで、守ればいいんだろう。
ずっと、なのか。
わからない。
胸の奥に、何かが引っかかる。
名前のない、小さな棘みたいなもの。
悪い事は、してないはず。
それなのに。
レイモンドの顔を思い出す。
怒っていたのだろうか。
驚いていたのだろうか。
どちらにも見えた気がする。
どちらでもない気もした。
考えても答えは出なかった。
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数日が過ぎた。
エリオに向けられていた視線が変わっていた。
廊下ですれ違う生徒が、目を逸らす。
食堂で隣の席が埋まらない。
声をかけられることも減った。
理由はわからない。
ただ変わったのは確かだった。
ある日の昼過ぎ。
廊下を歩いていると、角の向こうから声が聞こえた。
「女装してたんだって」
「変態じゃん」
二人分の笑い声がつづいた。
エリオは足を止めた。
――ボクのことかな。
『女装』
その言葉は、綺麗と言われた日のことを思い出させた。
領主の屋敷で、トビアスに髪を整えてもらった日だ。
鏡のなかの自分を見て、驚いた。
とても綺麗だった。
領主様が褒めてくれた。
悪い記憶ではなかった。
『気持ち悪いねぇ、男が女の格好をして』
違う言葉も思い出した。
母の声。
家の前で、そう言われた日のことが浮かぶ。
『変態』
言葉の意味はわからない。
たぶん、母と同じだ。
胸の奥に何かが引っかかった。
怒りではない気がする。
悲しみとも少し違う。
何なのかわからない。
けれど、悪いことだとは思えない。
同級生よりも、領主様のほうが正しい。
そう思えたから。
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図書室の扉を開いた瞬間、エリオは立ち止まった。
「……すごい」
思わず声が漏れた。
天井まで届く本棚が、壁という壁を埋めている。
棚と棚のあいだにも通路があり、その奥にまた棚がつづいていた。
どこまであるのかわからない。
クラリスの家の本棚とは比べ物にならない。
領主の屋敷の図書室とも違う。
エリオは棚の間へ入った。
背表紙をひとつずつ確かめながら歩く。
目的は決まっていた。
魔物の資料だ。
人工陰茎の素材として使えるものがあるかもしれない。
魔物の体には、人間の体にない性質をもつものがある。
そう考えたのはずいぶん前からだった。
設計図には、まだ空白が多い。
しかし今まで調べる手段がなかった。
棚の奥に、探していた資料が並んでいた。
――魔物の本だ。
分厚い本を引き抜く。
「重い……」
表紙には魔物図鑑と書いてある。
机へもっていく。
開く。
読む。
次のページへ進む。
気づくと手元に三冊積まれていた。
メモを取る。
また読む。
また書く。
廊下の声のことは、もう頭になかった。
胸の引っかかりも、いつのまにか薄くなっていた。
消えたわけではない気がする。
ただ今は、ページをめくる方が先だった。
声をかけられたのは、それからどのくらい経ったころだろう。
「閉館の時間です」
顔を上げると、司書らしき女性が立っていた。
窓の外を見る。
暗かった。
「すみません」
慌てて立ち上がる。
手元のメモを確かめた。
両面びっしりと書いてある。
それでもまだ足りない。
気になる記述がいくつも残っていた。
エリオは本を棚へ戻した。
司書らしき女性も手伝ってくれる。
場所は覚えた。
明日また来ればいい。
図書室を出る。
廊下は薄暗かった。
夕食にはもう遅いかもしれない。
それでも足取りは軽かった。
寮へ戻る道を歩きながら、今日調べたことを頭のなかで繰り返した。
――まだ足りない。
でも昨日より少しだけ多くなった。
増えたぶんだけ、心が満たされる。
そんな感じだ。




