第12話 設計図が先
クラリスが手のひらに乗せたのは、黒い石だった。
親指ほどの大きさ。
表面はざらついている。
特別なものには見えない。
「魔法の先生から預かってきたわ」
クラリスが言った。
「魔力を貯める練習に使うの」
「これで?」
「そう。握って、意識を向ける。それだけでいいって」
エリオは石を受け取った。
ずしりとした重さがあった。
「魔力が貯まるほど、色が抜けていくそうよ」
「黒いのに?」
「ええ」
エリオは石を見た。
真っ黒だった。
どんな色になるのか想像もできない。
「やってみます」
「急がなくていいわよ」
クラリスは立ち上がった。
「夕飯まで時間があるわ。少しつきあいなさい」
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テーブルのうえに紙が広げられた。
クラリスが羽根ペンを置く。
「ねえ、エリオ。おちんちんを作るには、何が必要だと思う?」
エリオは少し考えた。
形。
それはわかる。
何十本も削ってきた。
「形は、たぶんわかります」
「たぶん?」
「夢で見た形は覚えています。でも、本当に合ってるかはわかりません」
クラリスは頷いて、紙に書いた。
【形】と。
「他には?」
エリオはつづけようとした。
詰まった。
大きさ。
それも夢の記憶がある。
「大きさも、たぶん」
「たぶん、ね」
クラリスはまた書く。
【大きさ】
「他には?」
今度はすぐに言葉が出なかった。
木を削るとき、素材のことは考えていた。
柔らかい木、硬い木、節のある木。
けれど木でないとしたら何なのか。
「素材が……わかりません」
「そう」
「なんで作ればいいのか」
「書いておくわ」
【素材】
クエスチョンマークが添えられる。
「硬さは?」
エリオは口を開きかけた。
閉じた。
硬い。
そうは思う。
でも、どのくらい硬いのか。
木と比べて?
石と比べて?
基準がない。
「……わかりません」
「柔らかさは?」
「え?」
「硬いのと、柔らかいのと、両方あるのよ」
エリオは首を傾げた。
硬くて、柔らかい。
どういうことなのか、うまく想像できない。
「両方、わかりません」
クラリスは何も言わずに書いた。
【硬さ】
【柔軟性】
「体温は?」
「たいおん?」
声が裏返る。
「温かいか冷たいか」
エリオは考えた。
夢の記憶を辿る。
温かかった気がする。
でも、どのくらいの温度なのか。
「温かかった、と思います。でも、どのくらいかは……」
「わからない、ね」
「はい」
【体温】
「動きは?」
「動く?!」
声が少し大きくなる。
「変化するということ」
エリオはまた黙った。
変化。
それも夢のなかにあった気がする。
でも、どう変化するのか。
何がきっかけで変化するのか。
「これも、わかりません」
クラリスは羽根ペンを置き、紙を見る。
エリオも見た。
わからない、ばかりだった。
「夢で見たのに」
思わず声が漏れた。
「全然わからない」
クラリスは静かに言った。
「見たことと、知っていることは違うの」
エリオは紙を見たまま黙った。
たしかにそうだった。
夢のなかで感じた。
でも観察したわけじゃない。
記録したわけでもない。
ただそこにあっただけだ。
「ひとつだけ、いますぐ解決できることがあるわ」
クラリスが立ち上がった。
「少し待ちなさい」
廊下へ出ていく。
エリオは紙を見ていた。
わからない、わからない、わからない。
何十本も削ってきた。
森で何時間も過ごした。
それなのに、こんなに何も知らなかった。
廊下でクラリスの声がした。
ロイドの返事がつづく。
しばらく会話がつづく。
そして静かになった。
戻ってきたのはクラリスひとりだった。
「……逃げました」
エリオは首を傾げた。
――逃げた? 何から?
クラリスは一度だけ息を吐いた。
そして目が据わった。
ふたたび廊下へ出ていく。
今度は声が聞こえない。
代わりに、しばらくして鈍い音がひとつした。
なんの音かわからない。
やがて扉が開いた。
二人で戻ってきた。
ロイドの顔が赤かった。
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エリオは羽根ペンをもった。
紙は手元に引き寄せてある。
クラリスがロイドの隣に立つ。
「わからないことは聞きなさい」
「はい」
ロイドは天井を見ていた。
パンツは履いていない。
ただ、ロイドの顔がどんどん赤くなっているのはわかった。
「形から確認しましょう」
クラリスが言った。
エリオは紙に書いた。
夢で見た形と、大きく違わない。
これはわかる。
「大きさは?」
エリオは木の模型を思い出した。
作ってきたなかで一番良くできたもの。
「模型と、だいたい同じくらいです」
「そう。じゃあ次」
硬さ。
エリオは少し考えてから、指先で確かめた。
――硬い。
でも石とは違う。
「石より……柔らかいです」
「木と比べたら?」
「木よりも、少し硬いかもしれません」
書く。
石より柔らかく、木より硬い。
ではどうやってその硬さを作るのか。
書きながら、新しいわからないが増えた。
「柔軟性は?」
クラリスがつづける。
エリオは触れた。
――曲がる?!
硬いのに、曲がる。
戻る。
また曲がる。
「曲がります」
「どのくらい?」
「かなり……」
思っていたより、ずっと曲がった。
硬いのに柔らかい。
さっきクラリスが言っていた意味が、ようやくわかった。
硬さと柔らかさが、同時にある。
それをどうやって作るのか。
まったく想像できなかった。
書く手が少し遅くなった。
「体温は?」
エリオは手のひらで確かめた。
――温かい。
思っていたより、ずっと温かい。
「人の手と、同じくらいですか?」
「そうね」
手のひらと比べる。
たしかに同じくらいだった。
ちょっとだけ熱い気もする。
でも、ずっとこの温度を保つものを、どうやって作るのか。
わからない。
「脈は?」
クラリスが言った。
「みゃく?」
「触れてみなさい」
エリオは言われた通りにした。
次の瞬間、指先に何かを感じた。
とくん、とくん。
規則正しく動いている。
「これは……」
「心臓の音が伝わってくるの」
エリオは指を離さなかった。
とくん、とくん、とくん。
――動いてる。
ずっとつづいている。
木の模型には、これがない。
当たり前だ。
でも今まで考えたこともなかった。
これも、再現しなければならないのか。
指先が少し震えた。
「伸縮性については……」
クラリスが淡々とつづけた。
「状況によって大きさが変化するわ。くわしくは、もう少しエリオが大きくなってから説明するわね」
「はい」
それだけ聞いて、エリオは書いた。
大きさが変化する、と。
何がきっかけで変化するのかは、いまはわからない。
それでいいと思った。
今すでに、十分すぎるほどわからないことがある。
クラリスがロイドに目配せした。
ロイドは服をなおしながら、少しだけ息を吐いた。
エリオは紙を見ていた。
形。
大きさ。
素材。
硬さ。
柔軟性。
体温。
脈動。
伸縮性。
書いた項目の横に、全部クエスチョンマークが並んでいる。
どうやって硬さを出すのか。
どうやって柔らかさと両立するのか。
どうやって体温を保つのか。
どうやって脈を再現するのか。
ひとつも答えがない。
「これを……全部、作るんですか」
声が思ったより小さくなった。
クラリスは答えなかった。
しばらく間があった。
「時間がかかるわよ」
静かな声だった。
「どのくらいですか」
「あなたが大人になっても、まだ終わっていないかもしれない」
エリオは紙を見たまま動かなかった。
――大人になっても。
それがどのくらい先なのか、うまく想像できない。
ただ、とても長いのはわかった。
クラリスがつづけた。
「それでも、やる?」
エリオは顔を上げた。
クラリスがこちらを見ていた。
試しているわけではなさそうだった。
ただ、真剣に聞いていた。
エリオは一度だけ息を吸った。
「作ります。必ず」
クラリスが何か言おうとした気がした。
でも何も言わなかった。
ロイドが服の裾を整えながら、ぽつりと言った。
「建物だって、設計図が先だ」
ロイドは建築技師だと言っていた。
どんな仕事なのかは知らない。
エリオはその言葉を紙の端に書いた。
設計図が先。
紙のうえには“わからない”が並んでいた。
でもそれは、これから調べなければならないことのリストでもあった。
全部はわからない。
でも、何を調べればいいかはわかった。
「そうね、その設計図はエリオにとって宝の地図じゃないかしら」
クラリスがそう言いながら微笑んだ。
エリオは羽根ペンを置いた。
紙を胸に抱く。
――これは、ボクの、宝の地図だ。




