45話 エンカウント Vol.1
――俺は、家が嫌いだった。
嫌いだったから、できる限り家にはいたくなかった。
学校が終われば友達と遊び、門限ぎりぎりまで外で過ごす。家に帰る時間が少しでも遅くなるように、毎日時間を潰していた。
だからこそ――今が最高に楽しい。
◇
「俊音!」
家中に響く怒鳴り声。
少年――俊音は肩を震わせながら振り返った。
「はい……。」
「あんた、ご飯の用意しとけって言ったやんか!」
「ご、ごめんなさい……。」
「あんたマジで家から追い出すよ!」
「ごめんなさい……。」
ただ頭を下げるしかなかった。
俊音の親は結婚と離婚を何度も繰り返していた。
俊音は二番目の家庭で生まれた長男。
姉は部屋に引きこもり、弟は親の顔色を窺いながら生活している。
誰も心から笑っていなかった。
家という場所は、俊音にとって安らげる場所ではなかった。
◇
「……そんな日もあったな。」
現在。
俊音はソファに腰を下ろし、ぼんやりと天井を見上げた。
静かな部屋の中で、昔の記憶が蘇る。
「俺が剣を振り始めた理由は……。」
小さく呟く。
「死ぬ理由を簡単に導き出せたから。」
その言葉の後、少しだけ表情が柔らかくなった。
「それと――。」
脳裏に、一人の男の姿が浮かぶ。
◇
――あの日。
学校からの帰り道。
「下校時間かぁ……。」
俊音は両手を頭の後ろで組みながら歩いていた。
「門限まで、今日は何しようかな。」
どうせ家に帰りたくない。
だから適当に時間を潰そうと思っていた。
その時だった。
「おい、どけよ。殺すぞ。」
「ひぃっ……!勘弁してください……!」
路地裏から聞こえてきた怒鳴り声。
俊音は足を止めた。
恐る恐る覗き込む。
そこでは豪華な服を着た男が、一人の市民を脅していた。
「あっ!」
俊音は思わず声を上げた。
「国の偉い人だ……!」
学校で先生から言われていた。
もし国の上層部の人間が絡む危険な現場を見たら、絶対に逃げろと。
「よし、逃げよう。」
俊音は即座に背を向けた。
しかし――。
「誰だお前!」
「ど、どうかお助けを……!」
そんな声が聞こえた。
「え?」
俊音は振り返る。
そこには、一人の男が立っていた。
国の権力者に臆することなく向かい合っている。
次の瞬間。
男の剣が閃いた。
敵は何が起きたかも理解できないまま倒れる。
一瞬だった。
「た、助かりました……!」
「ありがとうございます!」
救われた市民が何度も頭を下げる。
男は困ったように笑った。
「いいえ。」
穏やかな声だった。
「本来、偉い人というのは民を導く立場なんですけどね。」
男は倒れた相手を見下ろす。
「どうしてか、こういう人もいる。」
その姿が――。
俊音にはとてつもなく格好良く見えた。
「あの!」
気づけば駆け寄っていた。
男が振り返る。
「ん?」
「俺、こういうの見たら逃げろってずっと言われてきました!」
「うん。」
「だから逃げようとしました!」
「うん。」
「でも……!」
俊音は拳を握る。
「俺も、そんなふうに国の奴らを倒せるようになりますか!?」
男は少し驚いた顔をした。
そして苦笑する。
「別に格好いいことじゃないさ。」
「でも!」
俊音は真っ直ぐ見上げた。
「少なくとも、俺には格好良く見えました!」
一瞬の沈黙。
やがて男は優しく笑った。
「そっか。」
その笑顔は、俊音が今まで見たどんな大人より温かかった。
「危険だけど……なれるよ。」
「本当ですか!?」
「ああ。本当だ。」
男はしゃがみ込み、俊音と目線を合わせた。
「君は何か、人より一番だって自信のあることはあるかい?」
俊音は考える。
何秒か黙った後、口を開いた。
「俺は誰より明るい自信があります。」
「それと?」
「人より……誰より一番。」
俊音は胸を張った。
「足が速い!」
男は思わず吹き出した。
「ははっ!」
そして満足そうに頷く。
「いいね。そういうのを待ってた。」
男は立ち上がった。
「なりたいなら、困っている人を助けること。」
「はい!」
「でも子供なんだから、命の危険があることは基本避ける。」
「はい!」
「その代わり、誰かが泣いていたり、落ち込んでいたりしたら声をかける。」
男は優しく微笑む。
「君にもできるかな?」
「できます!」
即答だった。
男は嬉しそうに頷く。
「うん。それが俺たちのやっていることだ。」
そして空を見上げる。
「俺がやっていることは、その延長線上にあるだけ。」
再び俊音を見る。
「君もなれるさ。」
「……!」
「頑張れよ、少年。」
「はい!!」
男は俊音の頭を軽くぽんぽんと叩いた。
それから背を向け、歩き出す。
遠ざかっていく後ろ姿。
けれど俊音の目には、その背中が誰よりも大きく映っていた。
「俺でも……なれる!」
胸の奥が熱かった。
初めて見つけた憧れだった。
俊音は満面の笑みを浮かべる。
そして――。
誰よりも速い足で駆け出した。
まるで未来へ向かうように。
男は振り返らないまま、小さく呟く。
「……名を聞くのを忘れたな。」
ふっと笑う。
「だが――。」
あの真っ直ぐな瞳を思い出す。
「彼が立派に成長したら。」
脳裏に、ある少年の姿が浮かんだ。
「あいつと、いいチームになれるかもしれんな。」
風が吹く。
次回 『実践!』




