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わたしたちの庭  作者: 群乃青


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イアン・ポルザとして

「母はイアンが生まれた時から、ポルザ男爵位の継承を準備していたらしいの」


 誕生会も晩餐会も無事に終え、客人の全てを送り出し、幼子たちが寝静まった夜に大人たちは集まった。

 もちろん、当主であるアルフレッドも臨席している。


「ポルザ家は文字通りポルザ山の中腹にあった小さな集落の民で、ブルーノの二代目当主とポルザの娘が結婚することになって、その当時どさくさに紛れて男爵位を授爵したようよ」


 レイチェルの指示で執事が古い記録をテーブルに広げた。

 この国では平民と貴族の結婚は許されないが、養子縁組か授爵という抜け道があり、当時は後者を選んだのだと彼女は説明した。


「なぜ今はポルザ家が存在しないかと言うと、もともと土地に縛られない民たちだったから、二代目の家庭が落ち着いた頃合いにブルーノ家へ爵位を渡し、それぞれどこかへ渡っていったようね」


 山を越えて隣国へ行った者もいれば、または麓の集落に溶け込んだ者もいる。

 なんにせよ、長い年月を経てポルザ山で暮らす人はいつの間にかいなくなった。

 そして、爵位だけがブルーノ家に残った。


「大奥様は、イアンの未来を考えて私を後見人として男爵位を受けないかと提案してくださったのですが、荷が重すぎると思いました。当時はキャメロン様もご存命でしたし……」


 ジェスがおずおずと口を開く。


 イアンの父親を殺した男がいつまたよからぬことを考えるかわからない。

 それに、見た目が始祖に似ているイアンを当主へ担ぎ上げてブルーノ家を乗っ取る可能性も無きにしも非ずという状況でもあった。

 ジェスとグィネス、そして腹心の者たちで話し合い、イアンが十五歳になった頃に再考すると決めた。


「十五歳……。アルフレッドがお義母様の養子になった年ですね」


 ハロルドが生まれた翌年。

 アーロンとケイティの仲か公然となった頃だ。


「ええ。この時にイアンの授爵の話が再び上がって、本人にも打診したのだけど、断られたの」


 隣に立つイアンを見上げると、彼は困ったような表情で首を傾けた。


「私には分不相応だと思いました。庭師として生まれ育ちましたから」


「そこで母が提案したのよ。選択肢は多い方が将来役に立つから、とりあえず学んでおきなさいって」


 当時からこの件に加わっていたレイチェルが話を引き継ぐ。


「密かにイアンに教師をつけたわ。マナーはもちろんベルン先生ね」


「……私ときたら……全く気が付かないなんて、鈍感にもほどがあるわ」


 恥ずかしさにフィリスは両手を口に当てた。


 今までの七年間、いったい何を見てきたのだろう。

 庭師でありながら、貴族としての教養や所作を身に着けていたなら、本来は勘づくものではないだろうか。


「いいえ、違います。私が、庭師としてフィリス様の御傍にいたかったのです。このまま変わらず庭づくりのお手伝いをしていたかったので──」


「ごめんなさいね。アーロンたちに気付かれたら、何が起きるかわからなかったから内密に事を進めていたの」


 アーロンは我が子に当主の座を奪われるのではないかと危惧したようにイアンに疑いの目を向けただろうし、ケイティたちもイアンを害する計画を立てただろう。


「そのあとからこれまで、我が家では色々あったでしょう。私たちはイアン本人の意思を第一にするようにと母から頼まれてたから、見守るしかなくてね」


「でも」


 小刻みに首を振るフィリスの背中に、アルフレッドがそっと手を添えた。


「フィー……。いえ、叔母様。どうかイアンの言い分を聞いてあげてはくれませんか」


「アルフレッド」


 あの日も。

 アルフレッドは戸惑うフィリスの背中を押してくれた。

 両手を腹の前におろし、一息つく。

 すると、イアンはいきなりフィリスの前に両膝をついた。


「イアン!」


「奥方様。申し訳ありません。私はずっと奥方様を偽っておりました」


「え……?」


「初めてお会いした時に貴方様は私が生まれた時を良い季節だと言ってくださいました」


「───」


「色々な花がたくさん咲いて、実になって。心もお腹も満たしてくれる季節の到来だと。日照りになる可能性は置いといて、草木が生えるから何か口にすることができて、飢えずにすむ……かもしれないと」


「イアン、貴方」


「奥方様が私にくださった言葉の一つ一つ。すべて覚えています。私の宝物ですから」


 見上げたその顔が端正なのは、あの時から知っている。

 だけど、幼い彼の顔に散っていたオレンジ色のそばかすは消えてしまった。


「春の日差しとこの庭全体に祝福されていると言われた時から、私は生きる価値を貰ったのです。だから、奥方様が大切になさっている庭を守ることで、そばにいられると思いました」


 イアンの告白に、誰も口を挟むことはなく、むしろ義姉の夫たちは感慨深げに頷いている。

 義兄たちもグィネスも義姉たちも、アルフレッドも。

 皆、イアンを愛しみ、見守っていた。


「アーロン様とハロルド様と。幸せな毎日を送ってくださるのなら、私は庭師として生きていくつもりでした。ですが──」


 イアンの瞳に暗い影が差す。


「私は。私のような者が分不相応にも、一度だけ……」


 言葉を切り片手でくしゃりと髪を乱すイアンに、ジェスが心配げに身体を揺らし、様子を伺っているのが見えた。


「ブルーノ家のみなさまが、このような場を私の為に準備をして、設けてくださいました」


 庭師のイアンではできないこと。

 イアン・ポルザ男爵ならできること。


「奥方様。──ふ、フィリス様」


 イアンは顔から指の先まで真っ赤に染まっていた。


 ああだめだ。

 大勢の大人たちの中で、いつまでも彼だけを床に座らせていてはいけない。


 フィリスはすとんと床に座った。


「え? ふ、フィリス様?」


「ええ。イアン」


 知らず、笑いが込み上げてきた。

 これが家族の総意なら。

 亡き、グィネスの願いなら。

 そして、アルフレッドが背中を押すならば。

 最良なのだろうと思う。


「貴方のお話したいとことはなあに?」


 ここはブルーノ家の応接室だけど。

 わたしたちの庭と変わらない。


「あの──。その……」


 なぜだろう。

 かつてなく、心が躍る。

 全身を固めていた鎧のようなものが剝がれていくような気分になって、身体も心も軽い。


「イアン」


 目と目が合った瞬間、イアンの中にかちりと何かが嵌る。

 急に紳士然とした顔つきになり、すっと片膝を立て、彼は大きな手をフィリスに差し出した。


「イアン・ポルザが申し上げます。私と結婚してくださいませんか。フィリス様」


「はい」


 迷うことなく。

 フィリスはイアンへ手を伸ばした。


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