時折舞い降りる闇
時はゆっくりと、確実に過ぎていく。
秋になると周囲から説得されて、ハロルドの七歳の誕生会を屋敷で行った。
使用人たちや家臣が秋の庭で祝ってくれ、噂を聞いた民たちが成長を喜んで収穫物を贈り物として代官に預けてくる。
そして、延び延びになっていたハロルドの護衛騎士タオとエマの結婚式を行った。
二人はずいぶん前から想い合っていたにもかかわらず、忠義第一を貫いていた。
しかし、ジェイクたちの謀でエマが重症になり、タオはエマを救うためにイアンと共にポルザ山へポーラの実を採りに行った。
この時、下山途中に滑落事故が起きた。
有難いことに全員生還したが、最も大怪我を負ったのがタオだった。
結果的に二人ともヤング伯爵の元へ移送され、ハロルドと一緒に療養生活をすることとなった。
そんな彼らがようやく結ばれ、今は新たな命の誕生を待っている。
更に新年会はハロルドを伴って出席した。
義姉たちの家族に囲まれ可愛がられ、ハロルドは大はしゃぎだった。
宮殿に用意された子どもたちが過ごす部屋で、従兄姉たちがハロルドの手を引いて他の貴族の子弟たちに紹介してくれた。
幼いころから社交に長けている従兄たちのおかげですんなりと子どもの輪に溶け込んだハロルドは、誰とでも仲良く接することができたらしく、友だちが出来たと喜んでいた。
ブルーノ伯爵家の若き当主であるアルフレッドは王族の前でも臆することなく、立派に振舞い、後見役として傍に立つフィリスは誇らしく思う。
気が付けばアーロンを亡くして一年経ち、彼の墓の周囲に植えた植物が育って花をつけた。
グィネスの庭をハロルドとハチミツとマーブルが駆けまわり、従姉のアメリも一緒になって笑う。
義姉たちも入れ替わり立ち替わり訪れてはフィリスの仕事を手伝ってくれた。
全ては順調だ。
怖い程に。
***
「……フィリス様。何か、悩んでおられのではありませんか」
もうすぐ秋になる。
ハロルドの八歳の誕生会をタウンハウスで行う事となった。
昼のティーパーティーの予定で、庭の手入れするために都まで同行してくれたイアンが土を起こす手を止め、柔らかな声で尋ねてきた。
「あら。そう見えるかしら?」
イアンと出会って十二年過ぎた。
いつの間にか縦にも横にも大きくなり、まるで別人だ。
小さくて丸みを帯びていた顔が縦に伸び、鼻は高く丈夫そうな顎のいわゆる彫刻の男性のように堀の深い顔立ちになったが、神秘的で誠実な瞳は変わらない。
それにしても彼の身体の成長はいつ止まるのだろうか。
まるで強靭な騎士のような体格で、侍従に引き抜こうとしたケイティの審美眼と先見の明は確かだったのだなと、ついつい、話とは関係ないことを考えてしまう。
「はい。浮かない顔をされているので」
話しかける時は身を屈め、さりげなくフィリスに日陰を作ってくれてるようになったのは、いつからだろうか。
「……そう。イアンに隠し事はできないわね」
咲き終わった花がらを摘んで籠に入れながらフィリスはこぼした。
「幸せ過ぎて、怖い……なんて、贅沢過ぎる悩みよね」
「幸せですか、今」
「ええ。ハロルドもずいぶん元気になって、ちゃんと発育しているし、アルフレッドの学校で頑張っているし、親族との仲は円満。昨年の収穫高も問題なく、他の貴族たちと衝突することもなく、全て順調。だけど、平和であればあるほど怖くなるのは、私の中に問題があるのでしょうね」
母が突然病で亡くなるまでは幸せな子供時代だった。
葬儀の時に継母アリスがケイティを伴って現れ、やがて領地の片隅に追いやられて。
近隣の住民たちと仲良くなり、糧を育てる喜びを知り、生きる希望が湧いた矢先に継母たちがやってきて、全てをぶち壊しにした。
それからは収穫の頃を狙って現れては農作物を焼かれるか奪われることの繰り返し。
だから、実りの季節が近づくと憂鬱になる。
春の麦の収穫、夏の野菜といちご、秋の林檎と栗に畑の作物。
雪深い冬だけが唯一安心できる時間だった。
しかしそれも食べ物を貯蔵できていなければ生死にかかわる。
「秋は、冬に備えて支度した物をいつ奪いに来るか不安だった。最後の年なんて領民たちがみんな逃げ出して近くには誰もいなくて、廃屋群のどこかにあるに違いないって、ほとんどに火を放たれたわ」
実際、いくつかの廃屋に分散させて食料を隠していた。
半分以上を失って、呆然と立ち尽くすばかりだったのを今でも思い出す。
「それでは飢え死にしてしまうではありませんか」
「本当は殺してしまいたかったのでしょうね。春になって私とエマが生きているのを見つけたら、つまらなそうな顔をしていたわ」
「逃げ出すことは……できなかったのですね。その様子だと」
「ええ。エマの家族と近隣の人々が人質にしていて逃げ出したら生きたまま焼くと脅されて、無理だったわ」
「本当に……どうしたらそこまで酷いことができるのか」
「何故でしょうね。思い当たるのは、私が母によく似ていたからというくらいしか」
時々、平和な景色の中で錯覚してしまうことがある。
また、彼らが現れて全てを焼き払ってしまうのではないかと。
「だから、順調すぎると不安になってしまうのよ。もう、あの人たちはいないと。わかっているのに……」
ウエスト家は消滅した。
父方の親族が多少いるようだがケイティの凶行がとどめとなり、フィリスに近づこうとする者はいない。
継母の親族もおそらく同じだろう。
「──フィリス様。秋はハロルド様の季節ではありませんか」
「……あ」
フィリスはぽかんと口を開けた。
「そういえば、そうよね。私ったら……」
「それに、フィリス様は、私に良い季節に生まれたと言ってくださいました。色々な花がたくさん咲いて、実になって、心もお腹も満たしてくれる季節の到来だと」
「たしかに……そんなことを、言った……わね、私」
「ええ。その言葉のおかげで、私は母を失った季節だと思わずにいられるようになりました」
ざわざわと木々か枝を揺らし、風がフィリスの髪を撫でて通り過ぎた。
「どの季節にも。アルフレッド様、レイチェル様、アメリ様、メリッサ様……ブルーノの誰かの誕生日があります」
「──そうね」
「大切な方々の誕生を順番に祝って、過ごしていきましょう。そうすればきっと、怖いことなど忘れていきます」
フィリスの中で、何かが弾けた。
「そうね。……そうなのね」
ゆっくりと、イアンの言葉が降り積もっていく。
「ありがとう、イアン」
胸がいっぱいになった。




