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あの子。

 そんなジェイクに、アルフレッドは軽く首をかしげて尋ねる。


「ねえ、ジェイク。君の初恋はフィーだよね?」


「ああ?」


 わざとなのは解っていた。

 でも、大人げなく釣られてジェイクは不機嫌な声を上げた。

 『フィー』などと。

 アーロンですら呼んでいない、その愛称を簡単に口にする少年がジェイクは憎くてたまらない。


「僕もそうさ。フィーに出会った時はまだ三歳くらいで、『フィリス』がうまく言えない僕に『フィーと呼んで』と言ってくれたんだ。庭師の編んだ花の冠を頭の上に載せていて、妖精のお姫様が本の世界から飛び出たみたいで、とてもとても綺麗だったよ」


 ダークブロンドの短い髪が風にふわふわと浮いたその姿を、アルフレッドは今も鮮明に思い浮かべることができる。


「きっと、ブルーノの子どもたちは男女問わずみんなフィーが初恋だろう。身分の分け隔てなく優しくて、心も姿も綺麗な彼女を好きにならずにはいられない。みんなフィーに笑ってほしくて、褒められたくて、自分に出来ることを見つけて励んだ」


 農民は作物づくりを、商人は流通を、子どもは勉強を……。

 そして、この十年の間にブルーノ領の暮らしは向上し、活気に満ちている。


「だから、彼女がここを去るなんてありえないことなんだ」


 フィリスを失うことは、太陽を失うに等しい。

 領地経営の手腕が確かなのは間違いないが、それよりも彼女の存在そのものが自分たちには必要だった。

 それを理解できないまま亡くなったであろう叔父のアーロンに思う所はあるが、彼は死んだ。

 だからアルフレッドは、彼の事についてこれ以上深く追求しないことにしている。

 一緒に生きることができないことを、あの世で悔しがるが良いと思ってはいるが。


「────」


「どうして、君はフィーを追い詰める方向に行ってしまったのだろうね。一緒にいたいなら、早々に家族を捨てて『こちら側』へ来ればよかったのに」


「皆で仲良く、あの女を共有するのか? 女神様だの天使様だのとおだてて? 俺はごめんだね」


「そうか。では、居場所を失わせて、暴力で支配するのが君のお好みだったのかな」


「ああ、そうさ。貴族が鳥を飼う時、遠くへ飛べないように羽の端を切るだろう。それと変わらない。羽が生えそろったら鳥は逃げる。いっそ折ってしまえばそんな面倒なことにならないだろう?」


「それでは、嫌われてしまうじゃないか」


「生まれた時から嫌われているんだ。今更どうしろと?」


 あの母親から生まれ、あの姉がいて。

 最悪な名義上の父と、消えた実の父。

 ジェイクの道は一つしかなかった。


「なるほど。そういうことか……」


「なあ、お坊ちゃんよ。いつまでこの無駄話は続くんだ? 俺を始末するつもりでこんなことをしているんだろう? 後に大勢の騎士を従えて」


「……うん。まあ、そうだね。その前に少し話をしてみたかったんだ。どうしたらここまで破滅に向かって走れるのか。人生勉強の一つかな」


「──俺は、お坊ちゃんの役に立てたのかい?」


「そうだね。では、君がなぜここで縛られていたかの説明から行こう。この小屋はね。君の名義上の父が実の娘をキャメロン・ブルーノに献上すべく、潜伏していた場所だ」


「──は?」


「因果なもんだね。叔父アーロンは全てから逃げて父が幽閉されていた高級娼館に自ら閉じこもり、君はフィリス・ブルーノを襲わせた父が最後に過ごした場所で、彼女をさらおうと様々な道具を持ち込んでいた」


「……はっ。そんな馬鹿な……」


 ジェイクは鼻で笑ったが、背後の男たちの視線に、息を止める。


「そんなまさか……。あんたたち、ウエストの野郎を……」


「彼は、慣れない土地で遭難しただけのこと。君も彼らと同じく、幸運なことに簡単にこの小屋までうまでたどり着けたようだけど、本当は周囲に野獣の通り道や巣が点在していたんだよ」


「まさか……まさか……」


「ジェイク・ウエスト。君の罪状は女性二人の殺害とブルーノ伯爵夫人誘拐未遂。秘密裏に処して良いと王族から極秘に許しを得ている」


「なぜそこで王族が出てくる!」


「それはね。『妖精のいたずら』は、ただのおとぎ話でなければならない。存在してはならないからだよ」


「存在、しては、ならない?」


「国に出回っている本に書いてあるレシピは材料のみ。それらは日常生活で馴染みもあり、一つ一つは害にならないものばかりだ。そんなものをうまく合わせたら人を秘密裏に殺せるなどと、世間に気付かれては困る」


 とある貴婦人が出来心から調合し、偶然見つけてしまった『正解』。

 これをまたおとぎ話の世界へ国は戻そうとしている。

 つまりは、ティルダ・ウエストと彼女の使用人たちは噂通りに原因不明の病で亡くなったことして、真実を闇に葬り去ると国は決めた。


「ところで君は、フィーがあの薬に耐性があると予想したから使ったのだろう? ティルダ夫人が亡くなった時、彼女は全く何ともなかったという話を誰かから聞いて」


「……お見通しってわけか。恐れ入るね」


「本当に君は愚かだな。フィーは危うく死にかけたと言うのに」


「え? なぜ……そんなはずは」


「専属侍女と同じくらい、フィーはハロルドの傍にいた。耐性なんて、全くなかったよ」


「────! なら、なぜ」


「生きているかって? 前の時の生存者が傍にいたからさ」


 アルフレッドの言葉に、ジェイクは一人の侍女を思い出した。


「……エラか?」


「そう。エラ。彼女のおかげで、生存条件と特効薬が見つかった。その材料の確保事態はとても難しかったけれど……なんとかやりおおせたよ」


「そう……だったのか……」


 あの薬のせいでフィリスが死ななかったことに安堵しつつ、ジェイクの頭の中に疑問がよぎる。

 『君の罪状は女性二人の殺害とブルーノ伯爵夫人誘拐未遂』。

 では、ブルーノの使用人たちと『あのガキ』の件は?


「フィーは、なんとか回復した。しかしあの薬のせいで心臓を悪くしたお祖母様が結局亡くなった。それに今も後遺症で元の通りの生活が出来ない人がいる。それらの罪を公に出来ない我々の悔しさは……きっと君にはわからないだろうね」


 話しかけられて、思考が途切れてしまった。

 腹立ちまぎれにジェイクは言い返す。


「わからない。どうせこれから処刑されるんだ。反省したところで何も変わらないだろう?」


「そうだね。でも君がいなくなれば、ようやくハロルドはフィーの元へ戻って、一緒に暮らすことができる」


「……は? あのガキは死んだと」


「死んでない。生きている。ぎりぎりのところで救い上げて、時間をかけて治療して。今は走ることだってできる」


 ジェイクの耳の中でキンと高音が走る。


「なんだと……」


「君たちがハロルドの命を狙っているのに、助かりましたなんて公表するわけないだろう?」


「アーロンも知っていたのか」


「……知らずに亡くなったよ」


「くっ……」


 うつむいて肩をぴくりとさせた後、ジェイクは籍を切ったように笑いだした。


「あはははは、あはははは……こいつは、やられた……あははははっ」


 アーロンが憎かった。

 フィリスを妻に出来る幸運に気付かず、不貞腐れて逃げて、あまりの愚かさに反吐が出る。

 何度いたぶって殺そうかと思ったか知れない。

 できない代わりに、策を練って、親しいふりをして、破滅へ導いた。


 フィリスがあの男の子供を産んだだけでも許しがたいと言うのに、愛されて幸せに育っているなど、考えただけでも気が狂いそうだった。


 あの男とガキを葬って。

 フィリスを攫う。

 そして、どこか遠くで二人きりで暮らす。

 誰にも関わることのない、地の果てで。


 そんな夢を見て、今まで生きてきた。

 這いつくばって、媚びを売って、なだめすかして。

 やりたくないことを沢山やって、あと一歩。

 あの光をつかまえられると思ったのに。



「あはははは、あははは、あは、あはは……。あーあ」


 笑って、笑って、全てを笑い飛ばして。

 ジェイクはふうとため息をついた。


「わかったよ。俺の負けだ。さっさと殺せ」


 周囲を見渡し、ねめつけた。


「それとも、生きたまま獣の巣にでも放り込むか? 俺は構わないぞ」


 夏草色の瞳に、ミルク入りの紅茶のようなの柔らかなまき毛。

 しなやかな身体で、大地を裸足で走って。

 『ジェイク』

 名前を呼ばれて、嬉しかった。

 本当は、手をつなぎたかった。

 一緒に走りたかった。


「これで、終わりだ」

 

 あの子が、手に入らないのだから。




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