妖精のいたずら
「ところでブルーノではウエスト伯の長女フィリスと異母妹弟が全く似ていないことに、ずいぶん前から不審に思って調査をしていたんだよ。これらはさすがに父たちの仕事で、僕が調査結果に目を通したのは君が逃亡してからだけどね」
アルフレッドは騎士から渡された書類を手に取り、数枚めくる。
「ベン・ブラウン。女性向けの小物を商う男──君の母親アリスの生家の近所に住んでいたね」
「覚えてないなあ。そんな平凡な名前」
「まあ、そう言うと思ったよ。なんせ、彼は君が幼い頃に事故死したから証拠は一切ないし、アリスの親族も既に他界。その上ウエスト準男爵も何年にもわたって行方知れずだしね」
知らず、ジェイクはゆるゆると息をついた。
「だけどもう一度徹底的に調べ直している最中に、あの事件が起きた」
バーンズ子爵子爵が一歩前へ踏み出し、懐から小瓶を取り出してジェイクの目の前にかざす。
「我々は『妖精のいたずら』と呼んでいる。この粉は一瞬吸い込んだ程度ではたいした害にならないが、長期的に少しずつ吸い込むうちに軽い風邪の症状をおこし、次第に……そうだな急激に悪化してやがて死に至る」
「へえ……。そんな恐ろしいものが世の中にあるとはね」
「そうだな。こればかり体験した者にしか恐ろしさは解らないだろう。だからお前は、気軽にぬいぐるみの中に仕込んで、子どもに贈ろうなんて思いついた」
「なんのことだか……」
「ぬいぐるみの発送元のポロン商会の店員メーガンと別邸の洗濯女ハンナ。この二人がブルーノの屋敷で『正体不明の感染症』が流行ったころに失踪し、そのままだったな」
「さて? そんな末端の女のことなど、俺には関わりのないことだ。知らないね」
「メーガンは人に厳しく、一方のハンナは内気過ぎて、どちらも親しい友人がいなかった。天涯孤独の女がふらりと一人消えたところで誰も気にしない……と、思っていたのだろうが、そうはいかない」
「───」
「地に足をつけて生きている人が誰にも関わらないなんて無理だし、意外と周囲は見ている。ジェイク、お前が彼女たちを誑し込んでいたことはすぐに分かったよ。彼女たちに何をさせていたのかも」
ポロン商会はハロルドへの贈物を買いによくアーロンと三人で通っていた店で、店員たちは次第にジェイクをブルーノ家の人間と認識していた。
ある日、ジェイクは親しくなった店員のメーガンに大きなぬいぐるみが欲しいと持ち掛けた。
他にはない上質な手触りの、子どもが夢中になる大きなぬぃぐるみ。
ただし、子どもも抱えられる軽さも必要で完全なオーダーメイドだった。
出来上がったぬいぐるみをいったんジェイクは受け取り、持ち帰った。
しかし数日後にまたメーガンの元へ持って来て、アーロンの書いたカードと共に丁寧に梱包して店から発送し直して欲しいと頼んだ。
それから間もなくまずハンナが消えた。
そしてブルーノ家の噂が広まり始めた頃にメーガンも。
「君は、ハンナにぬいぐるみの縫い目を解かせ、この粉を仕込んだらまた縫い合わせさせたのだろう。誤算だったのはハンナがすぐに発症したことかな」
アルフレッドが話を引き継ぐ。
一瞬なら、なんともない。
しかし、真面目なハンナは綺麗に仕上げるために懸命に縫い続けた。
今、別邸で同じ症状の者が存在していては『原因不明の病』にならない。
ジェイクはハンナを始末した。
「メーガンもぬいぐるみを梱包する時に粉を吸ったがほんの微量だった。だが彼女は過剰反応する体質で、品物を発送したのち、数日寝込んだ。だから、事を知って君に問いただしてしまった」
メーガンもハンナも、実は気にかけてくれる近所の住人がいた。
彼女たちに共通しているのは、『貴族の美しい若者』が目をかけてくれていると漏らしたこと。
その男の髪の色はピンクブロンド。
珍し過ぎる色だった。
「……はっ。それだけで俺だと?」
鼻で笑って見せるジェイクに、アルフレッドは首を振る。
「嬉しい事ってね、つい、誰かに言いたいんだよ。君は慎重に花束や菓子など消えてなくなる物をプレゼントしたつもりだっただろうけれど、彼女たちはリボン一本、包装紙一枚でも記念に取っていて、大切にしまっていたんだ」
その『宝物』を彼女たちはそれぞれ、優しい隣人に見せた。
平民と貴族。
本の気まぐれの親切で、片思いでしかないのはわかっている。
しかしその美しい思い出だけは自分のものなのだと。
大切に抱きしめた。
「なんだって……」
ジェイクは呆然と呟いた。
「彼女たちを始末した時、日記や手紙を処分したつもりだっただろう。確かに記録的な物は一切なかった。完璧すぎるほどにね。だけど、君がガラクタだと思い込んで見逃した物こそ証拠になったのだよ」
二人の『宝物』は同じだった。
ジェイクは同じ店で同じ物をいくつも買い、手駒になりそうな薄幸な女たちに配っていたのだから。
「くそっ……」
「奇遇なことにベン・ブラウンも似た手口で女性たちを誑し込んでいたようだね。彼の場合、相手は貴族の女性だったけれど」
夫に相手にされない寂しい貴婦人。
心に隙間のある高貴な女性たちの話し相手をすることによって、価値の低い品物を高く、または多く売りさばいていた。
そんなある日、夫に囲われて好き放題に振舞っている愛人の事で悩む貴婦人の話し相手をしているうちに、彼女から手に入れて欲しい物があると持ち掛けられた。
シルギリアの根。
パルミラの花粉。
ソルフ茸。
あとはいくつかの平凡な料理用ハーブの粉末。
それと乳鉢にふるいなどの道具類。
何に使うのかとベンが尋ねると、貴婦人は昔読んだおとぎ話のおまじないをやってみようと思ってと寂しげに微笑んだ。
それは『妖精のいたずら』というらしい。
直感で金になるとベンは思い、『モノ』が完成した時に夫人に薬を盛り、こっそり一部を持ち帰る。
まずは違法薬物を作るのが趣味の薬師に預け、似た成分の粉を作らせることに成功した。
そして、幼馴染のアリスに渡した。
彼女は伯爵の愛人で、すでに娘ケイティを産んでいる。
本妻であり従姉であるティルダとその娘フィリスを、排除したいと常々思っていた。
品行方正なティルダを煙たく思っていた伯爵も同じに。
そうして伯爵は、貴族には珍しく母子同じベッドで眠る母子の寝具に『妖精のいたずら』を仕込ませた。
目論見は成功し、ティルダは侍女数人を巻き込んで『悪性の風邪』で死んだ。
不思議なことにフィリスと一人の若い侍女が生き残ったが、もうすでにアリスの腹の中には二人目の子──ジェイクがいる。
アリスは堂々と伯爵家へ凱旋した。
ティルダ・ウエストと侍女たちの死は一時期、悪性の感染症なのではと畏れられはしたが、あっという間に噂も下火になった。
ベンに『妖精のいたずら』を教えた貴婦人は、うじうじとした臆病者だった。
実際に使うことをずっと躊躇していたのだろう。
完遂に至っておらず、憎い女は少し風邪をひいた程度で終わった。
しかしティルダの死が己と無関係でないと気づいたのだろう。
彼女は、娘を連れて領地へ引き上げたきり戻らなかった。
一方で、愛人の病にやつれた姿を一目見るなり愛が覚めた男は逃げ出して、次の若い女へ乗り換えた。
ベンは、五年後に薬師ともども色街の裏の下水に落ちて死んでいるのを発見された。
外傷もなく金も所持しており着衣の乱れもないため、酒に酔って落ちたのだろうと記録された。
「ベンと薬師を殺したのは──。おそらくアリス夫人たちだね」
ウエスト伯は子どもたちの父親がベンだとは考えもしなかっただろう。
ただ、都合の悪い秘密を握っている男たちを始末した方がいいと誘導され実行したのではないかと推測するが、今となっては誰にもわからない。
「さあ──。それを俺に聞いても答えられるはずがないだろう」
「そうかな。ベンはウエスト家へ出入りしていたよね。小物を売りに」
「───」
ベンと言う商人は精悍な顔をした若い男だった。
元は女性の喜ぶ化粧品などを売っていたようだが、ケイティとジェイクに様々な玩具を仕入れて持って来てくれた。
それに、母が実家へ里帰りすると彼が必ず現れる。
実は幼馴染で近所に住んでいると言う。
ウエスト伯は貴族であること以外、美点のない男だった。
怠け者でだらしなく、昔はそれなりの容姿だったかもしれないが、見る影もない。
そもそも彼は母とケイティはお気に入りだったが、息子であるジェイクに対してはさほど興味を示さなかった。
とりあえず跡継ぎとして扱っていたとは思うが。
それに比べてベンは違った。
会うと必ずジェイクを撫でて笑う。
ジェイクはベンに懐き、ベンもそんなジェイクを可愛がってくれた。
ジェイクが五歳になるころベンがこっそり木組み細工箱を渡してきた。
振ると、中に何かが入っているのか少しカサリと音がする。
それは板を何か所もずらして開ける仕組みになっていた。
『これをおもちゃ箱にこっそり隠しておけ。そうだな……成人して、この箱を覚えていたら開けてみろ』
そのあと、ベンはふつりと消息を絶った。
母に聞いても『さあ……どこかの国へ行くと言っていたわ』と笑うだけ。
実家との関わりもなくなった。
母とベンの間に何があったかはわからない。
ジェイクは約束を破り、時間をかけて箱を開けた。
入っていたのは、白い粉を詰め込んだ袋。
そして小さな小さな文字が書き込まれた小さな紙。
びっしりと蟻の行列のようなそれに戸惑ったが、そもそもジェイクに文字は読めない。
確かに大人になるまでは無理だと読むことを諦めた。
しかし袋の表面に大きな文字が書いてあったのをなんとか画用紙に書き写し、あとで乳母に聞いた。
『なめるな きけん』
慌てて全てを元に戻し、誰も触らない場所に隠した。
今でも思う。
ベンは。
なぜ五歳の子どもにあんなものを託したのかと。
「君が茶色に髪を染めてくれたおかげで、ますます確信したよ。君の顔立ちはブラウン家の人々にそっくりだと。有り難い事に年の近い青年たちがいて、耳、鼻、目、顎、指、爪……色々記録を取らせてもらった。君は知らなかったかもしれないが、声まで似ている人がいてね」
ベンの親族も始末すべきだったか──。
「今更か」
ジェイクは天を仰いで嗤った。




