新当主の初仕事
「く……っ」
いきなり冷水を浴びせられ、ゆるゆると目を開く。
身体が動かない。
どうやら自分は、後ろ手に縛られて椅子の背に固定され、両足も椅子の足にそれぞれ縛られているようだ。
「……ちっ」
運のなさに舌打ちをした。
「やっとお目覚めか、ジェイク・ウエスト」
低い男の声に視線を上げる。
髪を伝って水が目に入って痛い。
「あんた……。アーロンの姉の婿か」
「さすがに覚えていたんだな」
周囲を見ると、幾人もの男たちと、見かけたことのある少年がいた。
「──これはこれは。新しく伯爵になられた坊ちゃんまでお越しとは……ずいぶんとお暇な事で。学業をほっぼりだしていいのですか?」
「成績と素行の悪さがわざわざ記録に残されている貴方と一緒にされても困りますね。当主の初仕事がこれなのは少し不満がありますが、まあこれで災いの種を摘めるのなら良いかと思う事にします」
あの日、美術館でフィリスにべったりくっ付いていた少年は、別人と疑いたくなるほど冷酷な顔でジェイクを見下ろしている。
「姉弟ともに救いようのない馬鹿ですね。一方は真昼間に伯爵を刺し殺し、もう一方は伯爵夫人の誘拐未遂で捕まるなんて」
「ふん。……あんたら、フィリスを囮にして俺をつかまえたくせに──」
今のジェイク・ウエストは姉のケイティ同様、以前と見た目ががらりと変わっていた。
どこへ逃げても、二人に対して恨みを持つ人々の一部が執拗に追跡し、それぞれ鬱憤を晴らしていく。
最初は護衛を雇ったものの裏切られ、持ち金はどんどん減った。
途中で見た目を変えることを思いつき、以来、髪や瞳の色を変えると目立たなくなったのか追手が洗われることはなくなったが、それでも気の休まることはない。
追い詰められたケイティは、アーロンとフィリスに仕返しをすることを思いついた。
当初の予定では、公共の場でアーロンを『少し』怪我をさせて命乞いをする情けない姿を晒させる予定だった。
二人の評判を落とすこと。
それだけの筈だったのだが───。
「え? 君自ら、血のつながった姉にアーロン叔父上を刺すようにさんざん唆したくせに、置き去りにして逃走するからでしょう? まあおかげで、捕まった女は君の裏切りを知って洗いざらい白状してくれたおかげで、こちらも動きやすくなったのだけど」
「……は?」
「君が意外と薬剤に詳しい──いや、違法薬物に関する知識ばかり好むんだってね。例えば、『悪性の風邪に罹ったように見せかけて殺す薬』とか、強力な睡眠薬に催淫薬、あと何も考えられなくなるようになる薬とか。まあ最後の三つはもちろんもう押収したよ」
「───!」
この少年は確か十五歳にも満たないはずだった。
長姉の三男……たしかアルフレッドとか言ったか。
ハロルドが死んだおかげで後継者に指名され、更にケイティがアーロンを刺し殺してくれたおかげで伯爵の座につけたと聞いている。
フィリスや親族たちにちやほやされている、ただ運のよい子どもだと思っていたのに──。
「ロープに凶器に拘束具に……いやもう、どんな妄想していたんだか、僕はまだ成人前なのに、とんだものを見せてくれたね君」
ジェイクが持ち歩いていた荷物を、騎士たちが少年の近くに置いた。
「『愛しのフィリス』を手に入れるために。ずいぶんと時間と手間をかけたもんだ。ジェイク・ウエスト」
「…………はっ。何のことやら」
ジェイクは鼻で笑う。
「あと一歩だったのに……。ついてねえな」
「いや、何夢見てるのかな? 僕たちは指一本触らせるつもりはなかったよ?」
そんなことはない。
あと一歩だった。
都のど真ん中で夫を血のつながった妹に刺殺されて。
しかもその妹が長年夫の愛人だったのは、周知の事実で。
そんな女が伯爵夫人のままでいられるはずがない。
先代に汚され、産んだ子供も死んだ。
これを機に離縁しろと家門の者たちから突き上げを喰らい、居場所を失い、身一つで野に放たれるはずだった。
都では追い出されなかったようなのでジェイクは馬を買い、ブルーノへ先回りして時を待った。
しかし、フィリスは喪主として夫の棺と共に戻り葬儀を行い、未亡人として伯爵家を差配していた。
なぜだ。
フィリスの日常は変わったように見えない。
仕方ないので、ジェイクはフィリスが独りになるのを待った。
そして。
「君、僕の叔母を舐めていたよね。まあ、だからこんな簡単に捕まえられたのだけど」
「あ……」
ジェイクはようやく捕まった時を思い出した。
ひとけのない丘で野の花を摘みながら歩いているフィリスの背後には二人の侍女しかおらず、近くにいるのは幼い見習い侍女で、フィリスと同年代と思われる侍女が一礼してその場を離れた。
広い空間に、フィリスと見習いの二人きり。
好機だと思い、ジェイクは身隠していた木から出て、フィリスめがけて走り出す。
すると、何かが飛んできて、首に巻き付いた。
「叔母のメリッサはブルーノでも腕利きの騎士でね。野戦を得意としているんだ。君のように学校の基礎鍛錬もまともに出来なかった者などが太刀打ちできるはずがないだろう。もちろん『フィリス様』は君の存在に全く気付いていない。これ以上、彼女を傷つかせるだけは我々が許さない」
少年と、彼の父親及びほかの男たちの圧が一段と強くなる。
「くっ…………」
あっという間に捕縛されたのだろう。
地面に倒れ込んだ以外、その時の事は全く記憶にない。
自分は、フィリスの視界にすら入れなかったことにジェイクは歯噛みした。
「まあ、僕の妹も叔母に仕込まれているから、多分何とかなったかな? と思うけど」
「あの見習い……」
「バーンズ子爵令嬢。つまり平民が一筋でも怪我を負わせたら……わかるよね?」
少年独特の透明な声で、アルフレッドはジェイクを逆なでし続ける。
あの、ふてぶてしいレイチェル・バーンズそっくりではないかと、今更ジェイクは気づいた。




