道
「母上──っ!」
アーロンの絶叫が遺体を安置している部屋に響く。
グィネス急死の知らせが届くやいなや、アーロンはレイチェルの夫と馬を昼夜走らせて帰郷した。
「なぜ。待っているって、言ったじゃないですか……」
閉じられた棺に縋って嗚咽するアーロンを、フィリスたちは黙って見守る以外何もできなかった。
あまりにも突然の死に、誰も心の整理がつかない。
グィネスは独りで静かに去ってしまった。
「申し訳ありませんでした、母上。ごめんなさい、ごめんなさい……」
長い時間、詫びながら泣くアーロンはやがてその場に崩れ落ちた。
「──ここで。お義母様が亡くなったの」
グィネスの私室の隣にあるサンルームは第二の温室のようなものだった。
様々な鉢植えを据えて、緑と季節の花とブルーノ家代々伝わる家具が調和して、時には小規模なお茶会も開かれ客人たちはその見事さに喜んだものだ。
その一番窓際の空間に座り心地の良いソファを置かせ、彼女が外を眺めるようになったのはいったいいつからなのだろう。
「家具の配置はそのままよ」
「どうして。母上の異変に誰も気づかなかったんだ」
「お義母様が人払いをしたからでもあるけれど、うたた寝のまま息を引き取らて……。私の話が信じられないなら医師に聞いて」
「どうして! なんで!」
ミニテーブルに拳を打ち付けるアーロンに、フィリスはゆっくりと口を開く。
「──そのソファに座ってくださる? 説明するために必要なの」
「え?」
「お義母様の事は、お義母様自身にしかわからない。もう、尋ねようがないの。でも推し量ることはできると思う」
フィリスは夫の腕を引いて、椅子に座らせた。
「しっかりと背中も頭も椅子の背に預けてゆったりと座って。そう。それでいいわ」
戸惑う様子のアーロンの背後からフィリスは問いかける。
「今、そこから何が見える?」
「庭……だろう?」
「そうね。お義母様が丹精込めて作った庭と……。その先には何があるかしら」
「森?」
「そうね。では、それをつなぐのは?」
「──道」
わずかにアーロンの身体が揺れた。
「──お義母様は、ずっと。待っていらしたの。アーロン、貴方を」
「そんな──」
「亡くなる三日前の事だったわ。お義母様が私とお義姉様たちを呼んでお茶会を開いたの。その時に私たちに仰ったの『少しだけ待ってあげて欲しい』と。そして『甘い親でごめんなさい』と詫びられた」
「ごめんなさいって……。どうして母上が」
「微笑んでいらしたの。お義母様」
「え?」
「どこか嬉しそうな、楽しそうな。とても美しい……最期のお顔、だった」
ぽたりと、フィリスの目から涙が落ちる。
「楽しい夢を見ておられるのだと、思ってしまったの。誰も……誰も、息を引き取ってるなんてわからなかった」
あの日、庭の花を花瓶に生けてグィネスに見せようとフィリスはサンルームへ向かった。
程よい日差しの中グィネスはまどろんでいるようで、窓辺のミニテーブルに花を置いてからソファに近づいた。
ひざ掛けの外に出ている手を温めようと肩掛けをかけた時に初めて、フィリスは違和感を覚えた。
まるで人形のように命を感じない。
いや、息をしていないのだと気づく。
フィリスの悲鳴に侍女たちが駆け付けて、執事や医師や侍従……多くの人が駆け付けて、この静かな場所が騒然となった。
花など摘んでいないで、もっと早くにグィネスを見舞っていたら。
もっと近くで様子を見るよう頼んでいたら。
後悔ばかり押し寄せて、夜も眠れない。
胸が、張り裂けそうだ。
「フィリス」
「お義母様を……独りで逝かせてしまってごめんなさい」
「フィリス、すまなかった。私がもっと早くに帰っていれば……母上は」
「いいえ。ずっと近くにいて、身体が弱っておられることは私が一番わかっていたのに」
「いいや、私が悪かった。私は……すべてを終わらせてからここへ帰るつもりで、その準備に駆けずり回っているうちに時間が経ってしまった」
「旦那様……」
「よくやったと。頑張ったと。見直したと、子どもみたいに褒めてもらいたくて……。母上は、結論が決まれば報告に来るようにと、待っているからと言ってくれていたのに、私は……」
アーロンはソファに身体を預けたまま、動けない。
フィリスも立ち尽くしたまま、涙をこぼし続ける。
「母は……。ここで私を待ってくれていたのか。ずっと」
フィリスとアーロンは、ガラスの向こうを見つめた。
花が咲き誇り、草木の緑に夏の光が反射して。
生き生きとした光景のその先に一本の道がまっすぐに伸びていた。
ずっとずっと辿って行けば、都へつながる。
『アーロン』
愛しい子の帰りを待ちわびて。
グィネスは長い眠りにつく。




