母と息子
「──母上。一体どういうことですか。なぜ私に何も教えてくれなかったのですか」
ジェイクとケイティはそれぞれ連行され、立ち会った人々も去り、誰もいなくなった広い部屋に母と息子だけが残った。
「教えて、どうなるのかしらね。全て彼らに筒抜けになるだけでしょう」
「だからと言って、私を利用したのですか」
「まず最初に言う事がそれなのね。貴方って人はつくづく……。本当にどこまでも自分本位なのね」
「母上。貴方がそれを言うのですか。私のことなど何も知らないではありませんか」
「そうね。貴方の父親のしりぬぐいと監視、そしてブルーノの立て直し。全部背負わされている私には貴方と過ごす時間が限られていた。でもそれを今、大人になって当主の座についたはずの貴方が言うなんて、どれほど甘やかしてしまったのかと後悔しているわ」
「なっ……!」
「それを言うならアーロン。貴方はハロルドに何をしてあげたのかしら? 間違いなく貴方の血を引いている子をフィリスが産んでくれたのに、なかったことにしようとしたのは誰? ハロルドは順調に育ったわけではない。身体は強い方ではなくて時々寝込んでいたわ。それをフィリスが事細かに手紙に書いたし、執事を通して報告していたけれど。貴方は全く意に介さなかったわね」
「そんなことは。現に私たちはハロルドへ贈物を送り続けたではありませんか」
「まるで遠縁か知り合いかのように気が向いた時に送り付けただけでしょう? 店で品物を選ぶことを楽しんだだけで、ハロルドは、貴方にとってケイティたちとの家族ごっこの道具でしかなかった」
「母上。言って良いことと悪いことがあります」
「貴方にとって、ハロルドは最後まで我が子ではなかったのよ。領地に置いてきたペット以下。だから、川で溺れた時に体調を気遣うことなく、責任逃れのために逃げ出したし、重病の知らせも聞き流した。貴族の家族関係なんてそんなものかもしれない。だけどね。私はそんな貴方が許せない」
広い、広い広間の中でグィネスの声が響く。
「逃げるなと。私も、レイチェルたちも貴方に忠告したはずよ。何度も何度も。繰り返し言った。それなのにフィリスを婚約者として迎えてから今まで、十年以上、貴方の無様な姿ばかり見せられ続けたの。家臣たちも領民たちも使用人たちも、どれだけ失望したかわかるかしら。誰も、貴方の人となりを信用できなくなってしまった。生まれてきた時の貴方は輝いていて、希望の星を授かったと、皆喜んだわ。だけど、今の貴方はどう? 母親として、伯爵家を預かるものとして、どれだけ情けなくて苦しかったかわからないでしょう」
「母上がどう思おうと関係ない。私がブルーノ伯爵なのです。ここまで言われる筋合いはない」
「『私が、ブルーノ伯爵』? アーロン。貴方はずいぶんおめでたいのね」
「え……?」
「貴方が別邸で暮らすようになってから、伯爵としていったい何をしていたかしら?」
「私は……っ。ちゃんと伯爵としての執務を」
「させていないことに、未だに気が付いていなかったのね。貴方の仕事は子どものおつかいみたいなものよ」
いきなり平手で殴られたような衝撃を、アーロンは受けた。
「……どういう、ことですか」
「フィリスに暴力をふるったことを周囲に知られて、少しは真面目になったけれど、重要な決定をゆだねるなんてとても無理だった。貴方の手に渡っていた仕事は全て若い行政官が最初に任される程度の内容だったというのに、いつまでも貴方の能力は上がることはなかったわね」
「そんな……。私は学院で学んでおりましたし、あの事件の前はきちんと──」
「やっていたと思う? あれを責任ある仕事と思い込んでいるなら、本当に甘やかしすぎたのね、私たちは」
額に手を当てて、グィネスは深くため息をついた。
「アーロン。貴方は確かに伯爵として王宮に顔を出し、社交界にも出席している。だけど貴方の父親同様名義上のみで、一切の権限はないわ」
「……そんな……っ。では、誰にあると言うのですか!」
「後見人として大公閣下。当主代理として私とフィリス、そして次期当主はアルフレッドと届け出を出したのは、貴方がケイティと関係を持った時からよ」
「何故、何故そんな残酷な仕打ちが出来るのですか!」
「貴方が後先考えずに、あの寄生虫たちを家に引き入れたからでしょう!」
ばん、とグィネスがテーブルを叩いた。
「ウエスト伯爵家の四人の素行の悪さは昔から有名だったのよ。それなのに平民同然に降格されるほどの事をした人達と親しくなるなんて正気の沙汰じゃないわ。彼らを身内として扱うことで周囲にどれだけ迷惑をこうむるか、考えたことなどなかったでしょう。ハロルドは貴方が彼らと別邸で暮らし始めた日から、ブルーノの跡継ぎでなくなり、相続権も破棄させたの。他ならぬ父親のせいでね!」
アーロン同様、ハロルドが名ばかりの嫡男にされていて、知らずにいたのはアーロンだけだったのだ。
この数年の様々なことがアーロンの頭の中を駆け巡る。
「────っ」
「そもそも異母姉妹を正妻と愛人にして、それぞれに子どもを産ませて更にそれが異母兄弟になった場合、何が起きるか考えなかったの? もし、ケイティの子が生まれたなら、フィリスがされたようにハロルドは冷遇と虐待を受けるでしょう。更に子どもが産まれなかった場合は、叔父叔母であることを盾に寄生することは容易に想像できるわ。実際、この十か月のタウンハウスでの彼らの振る舞いはそうだったのでしょう? 貴方はまたマーク・ハリントン侯爵令息の元へ逃げ込んだから、詳細は解っていないでしょうけれど、それはそれは悲惨な状況だったわ」
アーロンはうなだれるしかない。
違う、そうじゃないと反論したかった。
馬鹿にするなと怒鳴りたかった。
しかし、母の言う事は、すべて正しい。
「別邸は、アーロン。貴方の名義だから、これからもそこで好きにすると良いわ。ただし、今回の事を鑑みて貴方にかける予算は大幅に削減されるでしょうね」
「母上」
「因果なものね。あの男を閉じ込めていた館に貴方自ら入り浸るなんて」
「───え」
「気が付かなかったの? 貴方が領地から逃げ帰った後に身を隠していたマーク殿所有のあの建物。キャメロン・ブルーノを幽閉していた高級娼館だったところよ」
「ちょっと……待ってください。そんなことって」
「あの男が死んで、高級娼館を売却して、アーロンの療養のために別邸を購入した。それなのにまさかその本人がが彼の部屋だった所で酒におぼれて朦朧としていたなんてと、エイダの夫が呆れかえっていたわ。さすがにそこにはいないだろうと思い、探索から除外していたらしいから」
アーロンは驚きのあまり、呼吸の仕方を忘れそうになる。
「そんな……そんなことが……」
「まあ、今思えばジェイクの入れ知恵だったのではないかと思うわ。マーク殿自身は悪気は一切ないようだから。いつの時もね」
「ジェイクが? なぜ?」
「わからない。ただ、そうなれば面白いと思ったのではないの? そもそも彼はまじめに働いていたわけではなく、男たちを手玉に取っていたようだから」
ジェイクは姉同様ピンクブロンドの髪と細身の身体で、やや中性的な顔立ちが時に庇護欲をそそるらしく、マークを始め上司や客に『可愛がられて』いたと、グィネスの元へ情報が上がっている。
「どうしてそんな事を……。義弟だと、思っていたのに……!」
次々と露わになる残酷な真実に、アーロンは頭を両手で掻きむしる。
慟哭するアーロンを、グィネスはただ黙って見つめ、静まるのを待った。
「……それで。窃盗と秩序を乱した罪でウエスト準男爵家は取り潰しになって、二人は平民となるでしょう。彼らとこれからどうするかは貴方が決めるのよ」
「これから、どうするか……」
グィネスはぼんやりと虚空を見つめるばかりの息子の正面に立ち、彼の頬をしっかり両手で包んで目を覗き込む。
「貴方は今、生きているの。死にそうな目に遭ったけれど死ななかった。身体の傷は治って、お金もそれなりにある。どこにでも行けるし、何にでもなれるわ」
「ははうえ」
幼い頃のアーロンの声が聞こえた気がして、グィネスは目の奥が熱くなった。
「今度こそ、きちんと考えなさい。自分が一番したいことは何なのか。自分はこれから、どうありたいのかを」
「自分が、どうありたいか、ですか。こんな私が……今更……」
「何を言っているの、アーロン。貴方はまだまだ若いの。何も始まっていないわ」
「私に……機会をくれると言うのですか、母上」
「全てうまくいくとは限らないけれど、一つずつ積み重ねていけば今とは違った景色が見えるかもしれない。私はそうやって生きて来たわ」
失った信用は簡単に取り戻せないだろう。
しかし。
「考え……ます。今度こそ」
「そう。答えが決まったら私に教えて。……私は、領地で待っているから」
「──はい。ありがとうございます。母上」
甘い親だと誹りを受けても。
グィネスは瞼を閉じ、息子を抱きしめる日を夢見た。




