70話 念願の温泉に入っ……えっ? まだなの?
カリムの湯と名を変えた元遺跡は、閑古鳥が鳴いていた以前と打って変わって人の渦! どっから湧いて出たのか、まだこの街にこんな活気があったのかと驚かされるレベルの人、人、人!
幸いな事に、3人分の靴を預けられる余裕はまだあったので、それぞれ素早く空いている下駄箱に靴を入れ、鍵を握りしめて受付へ。
こういう所、ホント日本のスーパー銭湯っぽいよなあ。もしかして大昔にこれを広めたのって、前の管理神に召喚された日本人なのかもしれねえな。
「はい、こちらが館内で使用する専用キーとなります。お帰りの際に下駄箱の鍵と交換する事になりますので、どうか無くさないようにお気をつけ下さい。
それで料金ですが、一人大銅貨1枚で3名様ですので――」
「っと、このチケットを頂いているんですが、今ここで出して大丈夫ですか?」
先程ニーファさんから頂いたチケットを受付のお姉さんに手渡すと、ハっと表情を変え、非常に恐縮した様子で説明を始めた。
「こちらは前払いのチケットとなっていますので、今回の施設ご利用に別途料金がかかることはございません」
「あ、そうなんだ。それは嬉しいな」
「また、今回に限ってですが、館内の飲食費に関しましてもお支払いする必要はございませんので、会計を求められた際にはこちらのゴールドキーを提示して下さい。
これを見れば係の者もその様に取り計らいますので」
「凄いねナツくん、全部無料だって!」
「ああ、凄いな。誰がくれたのか結局言わないままニーファさん帰っちゃったけど、後で聞いてお礼を言わないとな」
受付のお姉さんから『ごゆっくりお楽しみ下さい』と見送られた我々は折角無料なのだからと、庶民感MAXの判断でさっそく貴族区画へ向かうことにした。
そちらにはそちら用の豪勢な食事を出す食堂があるらしいからな。どうせタダなら良い物を食べたいじゃないか。
案内板に向かって移動すると、どうやら貴族様用の通路は別途あるようで、入り口を執事の様な格好をしたナイスミドルがにこやかな表情を浮かべ、だがしっかりと護るように立ちはだかっていた。
アレだな? ゴールドカードを見せて通してもらうやつだな? ようし、ここはかっこよく決めてやろうじゃないか。
懐からカードを取り出し、人差し指と中指で挟んでちらりと提示すると、カードに気づいたのか、ペコリと頭を下げ『ナツ様御一行ですね。どうぞお入り下さい』と来たもんだ。
「ありがとう」
かっこよくお礼を言い、通路に進む。
「ねね、ナツくんさ、今の動き高貴な人みたいだったよ」
「だろ? なかなかいけてただろ」
「くくく……ナツ殿、御貴族様は自分で身分証を提示したりはせぬぞ」
「くっ……そこは知ってても黙っててくれよな……」
しょうもない話に花を咲かせながら通路を歩くと間もなく専用ロビーに到着した。
なにやらやたらと豪華な内装で、ここで貴族様がゆったりと寛ぎながら腹の探り合いをするのだろうなと言うような雰囲気を醸し出している。
ロビーから正面に進むと浴場で、右に向かえば食堂、そして左にはなんと専用の売店まで用意してあるようだった。
「一部の貴族様は特別を好むからな。例え庶民向けの売店と物は同じで容器だけ豪奢にしたものであっても、喜んで倍額以上払って買っていくであろうよ」
桐の箱に入った温泉まんじゅうとか売ってるのかな……要らないけど面白そうだから後で見てみよう。
「なつくんなつくん! 腹減ったぞ! 早くごはんの所に行こう!」
「モモはあんだけ食ってもう腹減ったのかよ……」
「モモはあればあるだけ食べるんだぞー!」
「燃費が悪い妖精め!」
しかし、今日はまだ我々しか来ないらしいのに、貴族区画もスタッフがしっかりと居るのは感心するな。
食堂にしろ土産物屋にしろ俺たちが寄らなかったらただただ無駄になるだろうに、ご苦労なこって。
食堂……いや、食堂って言ったら怒られそうだな。なんだか適当な格好で来たのが恥ずかしくなる勢いの、ドレスコードバリバリありそうな店に入ってみれば……席につくなり『お飲み物はいかが致しましょう』と来たもんだ。
風呂に入る前に酒を飲まない様にしているので、俺は水を頼み、ミー君とエミルはワインを、モモはレモンジュースをオーダーしていた。
そしてメニューなのだが、どうやらこのお店は肉、魚、野菜の3種から選び、後はそれぞれの食材をメインに使ったコース料理が出るようになっているとのことで、中身は毎日シェフの気まぐれで変わるのだということであった。
出たよシェフの気まぐれ料理。食べてみたいけれど『シェフの気まぐれシュリンプコース下さい!』ってオーダーするの恥ずかしいやつね。
このお店の場合は、ウェイターさんから「肉と魚と野菜からお選び下さい」と言われて選ぶ感じになるので、恥ずかしいオーダーをする必要はないので安心なのだが、これ自分のお財布で食べようとしたらいくら掛かるのかしらね?
俺とエミルは魚を、ミー君とモモは肉をそれぞれオーダーした。
ミー君かモモのどちらかは野菜をオーダーするかも知れないなと思っていたが……こいつらはとことん肉食でした。
つうか胃袋が宇宙すぎるぜ……。
さて……それはそれとしてどんな料理が出てくるのか楽しみですな。
……
…
ふう……よくわからんが、美味いメシだった……と思う。
食事シーン? そんなの語れるわけがないだろう? だってあまりにも普段の食事とかけ離れた綺麗なご飯すぎて食レポする気が失せてしまったんだもの。
いや、味は悪くなかったよ? なんかこう、魚だったものをムース状にしたものとかさ、口に入れるとふわっと溶けて、その後にじゅんわりと魚の旨味が染み出てくるような感じでさ……ああ、金持ちのメシだなあって感じは確かにしたよ。
ただまあ……俺は屋台で川魚の塩焼きを買ってかじる方が美味いかなって思っちゃった……ああ、こういう所が庶民だわ。
そんなわけで、皆で仲良く食後のデザート、何か爽やかな酸味の柑橘系シャーベットを堪能しているわけなのですが、こういうのは湯上がりに食いたかったよな。
つうか、風呂の前に食う食事じゃねえわ。むしろ俺としては湯上がりに冷えたビールをきゅっとやって、そのままスパ銭飲みに突入するのが至高だと思うのだけれども、貴族区画じゃそれは叶わないよなあ……。
なんて庶民感MAXな事を考えていると、来る時に貴族区画入り口で見かけた執事感溢れるナイスミドルが我々の所にやってきた。
はて、何かやっちゃいましたかな? なんて思っていると……。
「歓談中、申し訳ありません。当主よりナツ様達をご案内するよう承って参りました。よろしければ、同行していただきたく思いますが、お食事はもうお済みでしょうか?」
お済みかそうでないかで言えばもうお済みですよと言う感じなのだけれども、今なんて言った? 当主って言わなかった?
ああ、エミルが苦い顔をしているぞ。あれか? これがエミルが言っていた『嫌な予感』ってやつか?
これからお風呂に入ろうっていう時に、よりによって当主……いや、ご領主様からの呼び出しってか……。
このナイスミドルも施設の中に居たってことは、ご領主様はここの何処かで待っているんだろう?
流石に『いやでーす!』なんて言えないよな。
「ええ、もう既に終えていますので、いつでも結構ですよ」
「そうですか。では、申し訳ありませんが……どうぞ、こちらへ」
ナイスミドルに先導されながら店を出る。つうか、この人ここの係員じゃなくてご領主様んちの執事さんか何かだったんじゃんか……くっ、エミルがうつむいて震えている……!
知ってるぞ、これはこれから起こる厄介事を考えて頭を抱えてるんじゃなくて、さっきの俺を思い出して笑ってるんだ。
「エミル」
「~~! な、なんだナツどっプフっ」
ほら!
「後で覚えてろよ……」
「すまぬ、すまぬよナツ殿……しかし、これは仕方がないのだ……ククク……」
「ねえ、ナツくん。どうしてエミルちゃんは笑ってるのかな?」
「なんでだろうな! なあ、エミル!」
「くふっ……ご、後生だから……勘弁してくれ……クク」
ツカツカと歩くナイスミドル。ヒソヒソとしょうもない事を言い合いながら後を追う我々。きっとこれは非常に失礼な行為なのだろうと思うが……許して下さい、我々は躾がなっていない庶民なんです。
「ナツ殿はこちらから、ミューラ様方はこちらから中に入ってください。後は中に係の者がいますので、そちらから支持指示を仰いでいただければ」
「ありがとうございます」
「いえ、ごゆっくりお寛ぎください」
ナイスミドルはペコリと頭を下げると、また来た道を戻っていった。
つか、お寛ぎくださいと言ったか? ご領主様と会うんじゃないの? 何だか妙だな……。
「なあ、エミル……って居ねえ! そうか、入る部屋が別れたんだった」
エミル先生の知恵をお借りしようと思ったのだが……まあいいか。
今どこに案内されたかってのは流石の俺でも分かる。ああ、これはどう考えても風呂だ。
てこたあ、あのチケットの出所はご領主様か? チケットやるから風呂で身奇麗身綺麗にしてから会いなされって事なんだろうな。
なんだ、良くあることじゃないか。
うん、良くある事、良くある事だよ……うん!




