455:天の導きたち2
前回のざっくりあらすじ:ニースたちは王国の港から旅立った。
*物語の進行上、一部にセンシティブな表現が含まれます。ご注意下さい*
*次話の投稿は、1月10日(金)となります。
北へ向かえば向かうほど、季節は冬へと逆戻りしていくが、航海は順調そのものだった。
帝国海軍はラソプノ大陸近辺まで後退しており、アマービレ王国とスピリトーゾ皇国を繋ぐ海域は同盟軍の手の内だ。つい先日まで砲弾が飛び交い、いくつもの船が沈んだ海だとは思えないほどだった。
穏やかな船旅が続く中。ニースは自分の指揮下に入った歌い手たちに、歌の指導をする日々を過ごした。
そうして、王国の港から十日ほどかけて、ニースたちを乗せた軍艦は、北海との境に浮かぶ皇国海軍の第三母艦ヒエロナと合流した。
各国から派遣された天の導きの顔合わせと、帝国への上陸作戦を詰めるためだった。
霧の漂う薄暗い海に、船明かりがいくつも揺れる。ほぼ一年ぶりに見るヒエロナの姿は、以前と変わりなく巨大なものだ。ヒエロナも激しい戦いで何度となく攻撃を受けただろうが、全ての修理は完璧に終わっているようだった。
まだ軍艦内での仕事が残っているアンヘルを残し、ニースはセラやユリウスたちと、小型艇を使って母艦へ乗り移る。格納庫へ降り立った一行を、艦長のカラボスが、にこやかに出迎えた。
「お久しぶりです、ニース様」
「カラボスさん、またお世話になります」
「ずいぶん逞しくなられた。軍服も似合っておりますね。王国解放おめでとうございます」
「ありがとうございます」
ニースはカラボスと固い握手を交わした。カラボスはセラやベン、エルネストとも挨拶を終えると、ユリウスに語りかけた。
「貴殿がユリウス殿かな」
「そうです。閣下には、父がお世話になっております」
「商会の御曹司も戦場に立つか。ヘンリーはともかく、夫人がよく許したな」
「ベンジャミン少尉からお話を頂きましたので」
「侯爵家には逆えないか」
カラボスは、パトリック商会と長年の付き合いがあるようだった。ユリウスと和やかに話を終えたカラボスだったが、ルポルたちに目を向けると、雰囲気を一変させた。
「そちらは王国の護衛の方々ですな。本艦が、よほど珍しいと見える」
初めて見る巨大な船に圧倒されていたルポルたちは、低いカラボスの声に、はっとして姿勢を正した。ニースは頷き、微笑んだ。
「はい。王国にはこんな船はないので。前より人数が多くなっちゃいますけど、すみません」
「構いませんよ。部屋は用意してありますから。王国兵の方々と会う機会は滅多にありませんので、ぜひ交流させて頂きたいですな」
カラボスは力量を測るように、ルポルたちを見ながら言った。最前線で戦ってきた海の男の目は、圧が強い。ニースが心配に感じて見守る中、ルポルたちは冷や汗を滲ませた。
そんな引き締まった空気を緩ませたのは、セラだった。
「カラボスさん。ケイトさんは元気ですか?」
キョロキョロと辺りを見回したセラに、カラボスは苦笑した。
「元気にしていますよ。ケイトも迎えに出るはずだったのですが……何をしているのやら」
「あ、お仕事中ならいいんです」
「いえ。仕事というほどのことは今はないのですよ。何せ……」
言いかけたカラボスの声は、不意に響いた怒声にかき消された。
「いい加減にしろ。これは俺と彼女の問題だ」
「見過ごすわけにはいきませんよ。彼女は嫌がっているでしょう」
艦内通路の方から響く二人の男の声を聞いて、ニースは眉根を寄せた。
「この声……もしかして、天の導きがもう来てるんですか?」
姿の見えない男たちを、壁越しに睨むようにして言ったニースに、カラボスは驚いた。
「さすがはニース様です。よくお分かりになりましたね」
「音風がいくつもあるので。それに、これは……」
ニースは言いながら、早足で格納庫の出入口へ向かう。突然歩き出したニースを、カラボスやセラ、ユリウスたちが、慌てた様子で追った。
ニースが通路へ出ると、口論する天の導きの男二人の姿が見えた。
――あれは、カルデナ教の……。
一人はカランド聖皇国の天の導きのようで、金糸で花と鳥が刺繍された、漆黒のローブを身に纏った壮年の男だ。
後ろには四聖のグノムとウンダがおり、拳で口論に割って入りそうなグノムを、ウンダが必死に宥めていた。
――ウンダさんも来てたんだ。グノムさんが、あんなに怒るなんて。
ニースは何があったのかと、聖皇国の天の導きと睨み合う男に目を向けた。もう一人の天の導きは、洒落たスーツを纏った壮年男性だった。
――確か兄様は、聖皇国とカルマートの天の導きが来てるって言ってたから……。
カルマート国の天の導きなのだろう。スーツ姿の男は、一人の女性を壁際に追い込んでいる。男に手を握られ、困惑した様子の女性は、皇国軍の歌い手ケイトだった。
――やっぱり。ケイトさんの音風が混ざってたんだ。グノムさんたちは、ケイトさんを助けようとしてるんだ。
言い争う二人を横目に、ニースは、おろおろとしているケイトに近付き、男からケイトの手を奪った。
「ケイトさん」
「ニース様⁉︎」
横から突然現れたニースに、ケイトだけでなく、グノムとウンダも驚き、声を上げる。カルマート国の天の導きが、はっとして振り向いた。
「何だ、君は」
ニースはケイトを背後に隠し、スーツ姿の男と向き合った。
「初めまして。僕は王国の天の導き、ニースです」
真面目に答えたニースを、聖皇国の天の導きは黙って見守る。対照的にカルマート国の天の導きは、ニースの返事を聞くと、嘲るように鼻で笑った。
「そんなことは聞かなくても分かる。それより、彼女に手を出さないでもらおうか」
「僕は名乗りました。あなたは挨拶も出来ない方なんですか」
「何?」
スーツ姿の男の雰囲気が、重く冷たいものに変わる。ピリピリとした空気が漂う中、追い付いたカラボスが声を挟んだ。
「これはこれは。イサク様にミラン様。いかがなさいましたか」
「……カラボスか」
ニースを睨んでいたスーツ姿の男は、ニヤリと笑みを浮かべた。何かを言おうと口を開きかけたスーツ姿の男だったが、カラボスの後ろから走って来たセラを見て、口を噤んだ。
「ケイトさん!」
「セラちゃん!」
セラは真っ直ぐにケイトへ駆け寄り、ケイトと抱き合った。ニースは、セラを見つめるスーツ姿の男の視線を切るように、体をずらす。
すると男は、意地の悪い笑みを浮かべた。
「なんだ、お前。女を二人も囲う気か? ああ、そういや王国は、一夫多妻が認められた国だったか」
馬鹿にするような口調で言った男に、ニースは、ムッとして答えた。
「王国だって、貴族じゃなければそんなことはありませんよ」
「だが、お前は天の導きだ。貴族なんだろ?」
「そうですけど、僕はケイトさんとは友達なだけです」
「なら、俺が彼女と仲良くやろうが、関係ないだろう」
「ありますよ。ケイトさんは困ってましたから」
ニースの後ろからエルネストやルポルたちも、剣呑な目付きで見つめる。カルマートの天の導きは、エルネストたちを挑発する様に言葉を継いだ。
「ずいぶん仰々しい護衛を連れてるな。王国は装備が貧弱だから、数でどうにかしようってか? 数だけあっても、意味がないのにな」
「数だけじゃありませんよ。みんな強いんです」
「あの腰の剣しかないのにか」
鼻で笑う男に、ルポルが口を開きかける。しかしそこへ、諫めるような声が響いた。
「ミラン、何やってる!」
大股でやって来たのは、アルモニア音楽院の歌実習の講師、ハロルドだった。ミランと呼ばれたスーツ姿の天の導きは舌打ちしたものの、すぐに爽やかな笑みを浮かべた。
「やあ、ハロルド先生。何って俺は、皇国の歌姫にご挨拶をしようと来てただけですよ。まあ、会えたのは王国の天の導きでしたが」
「また女性に言い寄ってたんじゃないのか?」
「それは勘違いですよ。女の方から寄ってくるんです」
「それはカルマートでの話だろう」
親しい者に注意するような語り口で、話しながら近付いてきたハロルドは、ミランの後ろにいるニースに気が付くと、ふっと表情を緩めた。
「ニース君。セラ君にユリウス君も。みんな着いたんだね」
「ハロルド先生、お久しぶりです」
ニースたちは安堵の息を吐き、口々にハロルドと挨拶を交わした。その様子を見て、ミランは、へぇと声を漏らした。
「こいつらが後輩ってわけですか」
「ああ、そうだ」
「後輩?」
首を傾げたニースに、ハロルドは柔らかな笑みで頷いた。
「ニース君。ミランは音楽院の卒業生なんだよ。だから君たちの先輩だ」
話を聞いて、ニースたちは表情を引き締める。ミランは意味ありげな笑みを、ケイトに向けた。
「可愛い後輩の友達なら、また後で会えるか。今は引くよ。ケイトちゃん、またね」
ひらひらと手を振り、ミランは去っていく。息を詰めていたケイトが、セラにもたれかかるように膝から崩れた。
「ケイトさん、大丈夫ですか⁉︎」
「あ、ありがとぉ。すごく怖かったのぉ」
涙目で何度も頷くケイトを、セラと共にニースも支える。すると、成り行きを見守っていた聖皇国の天の導きが、穏やかに声を挟んだ。
「休ませてあげた方がいい。念のため、グノムに救護室まで運ばせよう」
「ケイト殿! よく頑張ったな!」
ケイトの返事を聞く前に、グノムはケイトを抱え上げた。心配そうにケイトを見つめるセラに、ウンダが、ぱちりと片目を瞑った。
「セラ様、大丈夫ですよ。またあの人が何かしにきたら、グノムがやっつけますから」
「ええと……はい」
セラは苦笑しながら頷く。ケイトを抱えて歩き出したグノムとウンダを見送ると、聖皇国の天の導きはニースに手を差し出した。
「直接話すのは初めてだね。カランド聖皇国の天の導きで、枢機卿のイサクだ」
「ニースです。イサク様、初めまして」
「君は侯爵になったと聞いているよ。国内の立場的には、枢機卿もそう変わりはない。それにお互い、天の導き同士だ。敬称はいらないよ」
「分かりました、イサクさん。よろしくお願いします」
「ああ。よろしく、ニース」
柔和な笑みを浮かべ、ニースと握手を交わすと、イサクはカラボスに目を向けた。
「艦長。公主殿下はこれからか?」
「ええ。間もなくお着きになるかと」
「それなら、私も共に出迎えさせてもらおう」
「分かりました」
「ニース、また後でゆっくり話そう」
イサクはカラボスと共に去って行く。静かになった通路で、ハロルドが、はぁとため息を吐いた。
「ニース君とレイチェル君が並ぶだけでも圧巻だったが。天の導きが三人もいると強烈なものがあるね」
「ハロルド先生……」
「ミランがすまなかった。あいつは昔から、ああなんだ」
案内役の兵士に連れられ、ニースたちは船室へ向かいながらハロルドの話を聞いた。
「ミランは、私が講師になって初めて教えた学生たちの一人でね。ニース君とユリウス君は分かると思うが、女子学生の人気が凄くて……。言い寄られるのが当たり前になって、女性にだらしなくなってしまった」
悲しげに言うハロルドの話に、ニースは気の毒に感じて顔を歪めた。
「変わっちゃったんですね、ミランさんは」
「変な方向にね。卒業してからも女性には事欠かなかったみたいだが、軍に女性はいないだろう?」
「そうですね。数はすごく少ないです」
「あいつはもういい年だが、国を出たのはこれが初めてだ。その上、周りは男だらけで、かなりストレスが溜まってたみたいでね。ケイト君は気さくな人柄だから、癒してもらえると思ったんだろう」
困ったものだと頭を振るハロルドに、ニースは小さく唸った。
「癒し……。確かにケイトさんは優しいですけど。無理強いは良くないと思います」
「それはその通りだよ。もしケイト君に何かするようだったら、教えてほしい」
「分かりました」
「セラ君も、気をつけるんだよ」
「はい!」
ニースとセラが神妙な面持ちで頷くと、ハロルドは安心したように微笑んで、仕事があるからと去って行った。
ニースたちに用意された部屋は、一年前と同じだった。セラはケイトとの二人部屋で、ニースは上級将校用の個室だ。
セラの部屋へ向かいながら、ニースは眉根を寄せた。
「もしミランさんが、セラたちの部屋に行ったら……」
不安を感じるニースに、セラは微笑んだ。
「大丈夫だよ。前みたいに誰かが迎えに来てくれるまで、お部屋から出ないから」
「でも、もし押し入られたら? 相手は大人の男なんだよ?」
「扉に鍵をかけておくから、大丈夫だよ」
セラが安心させようとしても、ニースの表情は曇ったままだ。すると案内役の兵士が、トンと胸を叩いた。
「ニース様、ご安心ください。カラボス艦長は、ちゃんと考えておられます」
「どういうことですか?」
「護衛兵の皆様は大部屋になりますが、ユリウス様や護衛隊長殿のお部屋は、セラ様のお部屋の近くにご用意させて頂きましたから」
艦内の船室は階級別に分けられており、ベンの部下や、マルコ、エリックたち王国兵は、所属国別に十人単位の大部屋となる。
ベンは下級将校用の小さめの個室だが、ユリウスはジミーと二人部屋。護衛隊の隊長と副隊長であるエルネストとルポルは同室に。レミスも、他部隊の副隊長との二人部屋に回されていた。
ニースは、ムッとして顔を歪めた。
「ユリウスもルポルもずるい。セラの部屋の近くなんて」
「オレにそう言われても」
肩をすくめたユリウスと対照的に、ルポルはニッと笑った。
「安心しなよ。セラちゃんのことは、義兄として俺がちゃんと守るから」
「ルポルはセラのこと、変な目で見てたでしょ」
「何言ってるんだよ。俺は最初から、可愛い義妹だとしか思ってないって」
「本当に?」
「本当、本当」
どうにも怪しいと見つめるニースに、ジミーが宥めるように声を挟んだ。
「ニース様。私がセラ様を見ておきますよ」
「ジミーさんなら安心です。よろしくお願いします」
「ニース! それ酷くない⁉︎」
わいわいと言い合うニースとルポルを眺め、セラたちはくすくすと笑う。たった二週間しか生まれに差のない兄弟の喧嘩は、重苦しかった空気を吹き飛ばしていった。




