454:天の導きたち1
前回のざっくりあらすじ:ニースはキールに認められ、侯爵となった。
*物語の進行上、一部にセンシティブ、及び、過激な表現や描写が含まれます。ご注意下さい*
*次話の投稿は、1月8日(水)となります。
冬の終わりを迎えても、海風は未だ冷たいままだ。荒波に揺れる同盟軍の軍艦で、ニースは遠くなっていくアートル大陸を見つめ、外套の襟を合わせた。
「王国の冬はもう終わるのに。海はまだ、春って感じじゃないな……」
軍艦は、王国北西部の港を出港したばかりだ。自分の船室へ荷物を運んだニースは、バードを部屋に残して一人甲板へ赴き、見えなくなってしまった港の方角を、じっと見つめていた。そこへ、セラの声が響いた。
「ニース、ここにいたんだね」
「セラ……」
「ココちゃんのこと、待ってるの?」
「それもあるよ。王国にいるうちに、戻ってきてくれたら良かったんだけどね。バードも寂しがってるし」
「そうだね」
赤い髪をなびかせてやって来たセラを、ニースは抱き寄せた。
「寒くない?」
「大丈夫だよ。ありがとう」
ニースはセラを抱きしめたまま、視線を遥かな岸辺に戻した。セラはニースの胸に頬を寄せ、そっと語りかけた。
「お義父さんのこと、心配?」
「ううん。そういうわけじゃないんだ」
二人の乗る軍艦は、同盟軍の一員であるアパシオナート合衆国のものだが、乗員のほとんどは新米の王国兵だ。
帝国への出兵に際し、義勇兵の中で四十歳以下の希望者は王国軍への正式入隊を許された。マルコとエリックは正規兵となり乗艦したが、四十五歳のダミアンは王国に残った。
アマービレ王国は、これから復興する必要がある。そこには多くの人手が必要であり、出兵などしている余裕はない。
しかし同盟軍への借りを、そのままにしておくわけにもいかない。協力姿勢を見せるべく、王国も軍の形を整えて出兵する必要があったが、そもそも王国兵の数は激減している。そのためキールは、年齢制限を設けて入隊希望者を募ったのだ。
だが年齢制限などなくとも、王国奪還を果たしたダミアンは、リンドの待つクフロトラブラへ帰ると決めていた。そんな養父ダミアンから、ニースは先ほど見送りを受けたのだった。
ニースは、セラの問いに頭を振ると、赤い髪を撫で、言葉を継いだ。
「アントニーさんとグレゴリーさんも一緒だから。それに、危ないのは僕たちの方だしね」
狩人のアントニーは、ダミアンと同じく年齢制限で入隊は許可されない。アントニーの息子グレゴリーは、年齢的には王国軍に入れたが、入隊を希望しなかった。
ダミアンはアントニー親子と共に、クフロトラブラへ帰るのだ。
ニースは、冷たくなったセラの頬を両手で包んだ。
「僕はただ、ちゃんと帰ってこなきゃって思ってたんだ」
「ニース……」
「絶対に、レイチェルを助けて帰らないとね」
「うん。そうだね」
ニースは決意を込めて、セラの黒い瞳を見つめた。こくりと頷いたセラの唇に、ニースは誓いを立てるように口付ける。
すると不意に、言い争うような声が辺りに響いた。
「俺が行きますから、少尉殿はお戻りを」
「そういうわけにはいかない。大体、君は親衛隊だったんじゃないのか?」
「そうですよ。だからこそ、ニースを任されたんです」
言い合いをしながら甲板へやって来たのは、ルポルとベンだった。何らかの用があって来たはずの二人は、出入り口付近で睨み合っていた。
ニースたちの見ている前で、ベンが呆れたようにルポルに語りかけた。
「任されたって……隊長はエルネストだろう?」
キールの親衛隊員だったルポルは、エルネストと共に、ニースの護衛として同行していた。忠誠心を買われたのが一番の理由だが、エルネストのそばで隊員の扱い方を学ぶよう、キールに命じられたのだ。
帝国戦から無事に戻った暁には、ルポルを親衛隊長とすると、キールは約束していた。
苦笑したベンに、ルポルは声を荒げた。
「俺は副隊長として、隊長からニースを頼まれてるんです。隊長は、新人教育でお忙しいですから」
ニースの護衛隊には、マルコとエリックを含めた新兵が数名いる。エルネストは乗艦してすぐ、新しく編成された護衛隊員を集めて、基本的な動き方を教えていた。
「ニースには俺たちが付いてるんです。少尉殿こそ、皇国軍にお戻りになられてはいかがですか」
ムッとした様子で言い返すルポルに、ベンは余裕の笑みを浮かべた。
「エルネストの腕は信用してるし、君だってなかなか良い動きをしてると思うよ。でも、王国が用意した護衛隊は所詮、新兵の集まりだ。天の導きの護衛に相応しいとは、俺も同盟軍も思っていない」
ニースは王国の侯爵となっており、ベンたち皇国軍小隊の護衛はもはや必要ない。しかしベンは様々な理由を付け、ニースのそばを離れようとしなかった。
「君が納得しないのは自由だけど。俺たちを不用だと言うなら、それなりの力を見せてからにしてほしいな」
「何だと……!」
二人の間に流れる一触即発の空気に、セラが心配そうに肩を震わせる。ニースが割って入ろうかと考えていると、睨み合う二人の横からユリウスが姿を見せた。
「ちょっとごめんね」
「え?」
ユリウスも、ジミーと共に乗艦している。唖然とする二人を押し退け、ユリウスはニースの前へやって来た。
「ユリウス、どうしたの?」
「ニース、アンヘル様が呼んでるよ。セラのことも」
「兄様が?」
アンヘルはキールの名代として、同盟各国軍との調整を担うため、王国軍の参謀長に任じられていた。
ユリウスの言葉を聞いて、ベンとルポルが、あっと声を上げた。
「うわ。それ、ユリウスが言うのか」
「俺が言おうとしてたのに!」
「変に張り合ってるからだよ。二人ともニースの護衛なんだから、仲良くやればいいのに」
肩をすくめたユリウスに、ベンとルポルは気まずそうに視線を逸らした。ニースとセラは苦笑すると、艦内へ足を向けた。
沖へ進むにつれて、海は少しずつ荒れ始め、ゆらゆらと艦内通路も揺れる。ニースはセラを支えながら、将校用の区画へ向かった。
アンヘルの部屋はニースの部屋の近くにあり、作りもよく似ている。寝室と続き部屋になっている居室で、アンヘルは書類に目を通していた。
「参謀長。ニースです」
「入ってくれ」
アンヘルは、にこやかにニースたちを迎える。部屋にいるのはアンヘルだけと分かると、ニースは肩の力を抜いた。
「兄様、ご用でしょうか」
「ああ、座ってくれ。セラさんとユリウス君も」
小さいながらも柔らかなソファへ、ニースたちは並んで腰を下ろす。ベンとルポルが壁際に立ち見守る中、アンヘルは黒っぽい服をニースとセラの前に差し出した。
「これを渡そうと思ってね」
「何ですか、これ?」
「軍服だよ」
アンヘルがニースたちを呼んだのは、王国軍の軍服を渡すためだった。
北国への出兵を見越して作られた軍服は、分厚めの生地で出来ており、裏地には羊毛が使われている。金色のボタンや帽子には王国の紋章が刻まれており、赤いマントやブーツ、手袋も付いていた。
「いつの間にこんな……」
「王国を取り戻したら、帝国に向かうことは分かっていたからね。王都を解放した頃に、準備を始めたんだよ。出航に間に合って良かった」
一つ一つ手に取り驚くニースの隣で、セラも軍服を広げて目を瞬かせた。
「これ、キュロットスカートですね。それに、ニースのと色が少し違います」
ニースの軍服には青い線が。セラの軍服には赤い線が入っていた。アンヘルはユリウスをちらりと見て、微笑んだ。
「それはユリウス君が考えてくれたんだ。男女で分けたらどうかと、提案してくれてね」
ユリウスはニースたちと王都で合流した後、キールから軍服の依頼を受けていた。
保管されていた王国軍の装備品の多くは、帝国軍の手で廃棄されており、様々な品が足りなかった。王国内で手配しようにも、疲弊しているため手が足りなかったからだ。
アンヘルに話を向けられ、ユリウスは、にっこり笑った。
「最初に頼まれたのは、男性用だけだったんだけどね。歌い手には女の子もいるから、提案してみたんだよ」
「セラさん。奥の部屋で着てみてくれないかな? ニースは浴室で着替えるといい」
「分かりました」
アンヘルに促され、二人は席を立つ。ニースは軍服に袖を通すと、想像以上の暖かさに頬を緩めた。
「ユリウス、これすごいね。部屋の中だと暑いぐらいだよ」
居室へ戻ったニースを見て、アンヘルは瞳を輝かせた。
「すごく似合ってるな」
「ありがとうございます、兄様」
照れくさそうなニースに、ユリウスは微笑んだ。
「帝国の寒さは相当だって、お爺様から聞いてたから。念のため、重ね着出来る肌着も用意してあるよ」
「ラース山脈より北なんだもんね」
「何でも、昼が来ない日もあるらしいよ」
「昼が来ない?」
「一日中、夜の日があるんだって。極夜って言うらしくて、その時が一番寒いそうだよ」
「それはすごいね……」
「逆に、夜になっても暗くならない白夜っていうのもあるらしいけどね」
初めて知る話に、ニースは感心しきりだった。すると、セラが着替えを終えたのだろう。寝室へ繋がる扉がガチャリと開いた。
「これでいいのかな? 間違ってない?」
戸惑いながら出てきたセラに、ニースは見惚れ、固まった。ユリウスが頷き、笑みを浮かべた。
「うん。合ってるよ」
「それなら良かった。軍服なんて、初めて着たから」
ほっとして微笑んだセラに、アンヘルが、ふっと笑った。
「セラさんも似合ってるね」
「ありがとうございます、お義兄様」
「ニースもそう思うだろう?」
アンヘルに話を振られても、ニースは動かない。セラは不安げに視線を彷徨わせた。
「もしかして、ニースは変だと思う?」
「……え?」
ニースは、はっとして頭を振った。
「そんなことないよ! 僕と同じようなデザインなのに、すごく可愛い。セラって、黒い服も似合うんだね」
「そ、そう? ありがとう」
ふわりと笑みを浮かべたニースに、セラは照れくさそうに、はにかんだ。壁際で見守っていたルポルが、呆れたように呟いた。
「軍服姿に見惚れるとか……」
ため息混じりに言ったルポルに、ベンが首を傾げた。
「俺は可愛いと思うけどな。君は好みじゃない?」
「いや、確かに可愛いとは思いますけど。軍服って、戦うための服ですよ?」
「セラさんは歌い手だから。君も歌い手の戦い方は見ただろう? 俺たち兵士とはまた違うんだよ」
ベンの話を聞いても、ルポルは釈然としない様子で顔を歪めたままだ。二人の話を耳にして、アンヘルが声を挟んだ。
「少尉殿の言う通りだよ。これは歌い手用のものだから、デザインは似ていても、ポケットの数なんかが一般兵用とは変わっている。実戦向きとは言えないかもしれないね」
「そうでしたか」
「後でルポルも、ニースと色違いの軍服をエルから渡されるはずだ。そっちは布地自体も伸縮性があって動きやすい作りになっている。まさに戦うための服だね」
「伸び縮み出来る布ですか。すごいものがあるんですね」
ルポルは、なるほどと頷く。セラを褒め続けていたニースは、ふと気が付き問いかけた。
「そういえば、兄様の軍服はないんですか?」
「ああ。私のもあるよ。今はまだ、他の仕事をしていたから着ていなかったんだ」
「そうでしたか」
アンヘルは肩をすくめ、言葉を継いだ。
「先ほど届いた情報だが。やはり他国も、天の導きを出してくるつもりらしい。母艦に着き次第、顔合わせがあるだろう。ニースは、面識あるかな」
真剣な面持ちで話すアンヘルに、ニースは頭を振った。
「いえ。僕が知ってる天の導きは、レイチェルとルイサ様しかいません」
「そうか」
ニースはかつて聖皇国の大聖堂で、教会に属する天の導きを見た事がある。しかし名乗ったわけではないため、知人の数に加えようとしなかった。
アンヘルは少し考え、立ったままのニースとセラを再び椅子へ呼んだ。
「知人が二人しかいないなら、話しておいた方が良さそうだね」
アンヘルは先ほどまで読んでいた書類を、再び手にした。
「世界に八つの国があるのは知ってるね?」
「はい。分かります」
「どの国も、天の導きが生まれ次第、確保するけれど。その全てに天の導きがいるわけではないし、中には高齢で戦に出せない国もある」
アンヘルは書類に書かれた文字を、ニースたちに見せながら話した。
「今言った高齢の天の導きがいるのは、アパシオナート合衆国だ。モレンド公国には天の導きがいない。だから母艦で会うのは、聖皇国とカルマート国の天の導きだ」
「僕とルイサ様を合わせて、同盟軍には四人、天の導きがいるんですね」
「ああ。そして帝国には、天の導きが一人いる。レイチェルさんがもし動かざるを得ないようなら、二人になるけれどね」
アンヘルの話に、ユリウスが拳を握りしめる。ニースは真顔で頷いた。
「それでも四対二です。帝国の兵器の数はすごいって聞きましたけど。レイチェルは必ず助けます」
「そうだね。それに、こちらは七ヶ国で組んでるんだ。勝てない戦じゃないよ」
「ユリウス、頑張ろうね。レイチェルのために」
ニースに目を向けられ、ユリウスは苦しげな表情を緩めた。
「ニースに言われなくてもそのつもり。オレはレイのためだけに歌うから」
「そうだね。レイチェルもユリウスの歌を待ってるよ、きっと。必ず僕が、ユリウスを届ける」
決意を込めたニースの話に、セラも声を挟んだ。
「私も! 私もレイチェルのために歌うよ!」
「二人とも、ありがとう。よろしくね」
熱を込めて言った二人に、ユリウスは微笑んだ。痛みを振り払うかのようなユリウスの笑みに、ニースとセラだけでなく、アンヘルやベンたちも闘志を漲らせた。
ニースたちを乗せた軍艦は、遠洋を目指して突き進む。隊列を組んだ何艦もの軍艦は、どれだけ荒波に揉まれても針路を変えずに乗り越えていった。




