117:鉄の味3
*物語の進行上、一部暴力的な表現が含まれます。ご注意下さい*
前回のざっくりあらすじ:レベリオの町から脱出した。
レベリオの町を脱出し、夜の砂漠を駆け抜けた二台の馬車を、朝日が照らす。いつの間にか眠っていたニースは、目を開けるとジーナの膝枕で横になっていた。
「……あれ?」
「ニースくん、おはよー」
ジーナがにっこり微笑んだので、ニースは変な夢でも見ていたのかと思いながら、上体を起こした。
グスタフの馬車はゆっくり走っており、うたた寝をするメグの膝の上でセラが寝ていたが、ラチェットの姿はなく、カサンドラが扉の近くで目を閉じていた。
「ジーナさん、おはようございます。……ラチェットさんは?」
「ラチェットなら、オルガン馬車にいるわよー」
ジーナは、ニースに水筒を渡す。ニースは礼を言って水を飲むと、ジーナに尋ねた。
「あの、ジーナさん。昨日のことって……」
ジーナは、ニースの言葉に困ったように顔を歪めた。
「参っちゃったわね……。ニースくんも、驚いたでしょう?」
ジーナの真面目な声音に、ニースは昨夜の出来事が夢ではなかったのだと悟った。
「何があったんですか?」
ニースの言葉に、ジーナは、はぁとため息を吐いた。
「もうね、大変だったのよ。あの領主様、かなりお金持ちな感じしてたでしょ?」
「はい。町の人たちはボロボロの服だったのに、領主様はすごく立派でした」
「だからたぶん、不満が大きかったのね」
新しくやってきた領主は、戦争に敗れたというのに、昔からの中央貴族の感覚で暮らしていた。しかし、前線で戦い敗れた住民たちの生活は貧しく、細々としたものだ。
日頃から鬱憤が溜まっていた所に、聖皇国から派手な旅芸人の馬車がやってきて、館から楽しげな音楽が響いた。住民たちの怒りが爆発しても、仕方なかった。
ジーナは、苦笑いを浮かべた。
「まさかこんなに反感を買ってる領主だとは、私たちは思いもよらなかったんだけど……。エドガーたちは、こうなるって予想してたみたいね」
カサンドラが言った気になることというのが、この事だった。町の人々の不穏な空気を感じ取ったエドガーたちは、万が一に備えて脱出計画を立て、グスタフたちに話を伝えていた。
領主への怒りに満ち溢れた住民たちは、館の周りを包囲した。門では護衛兵たちとの戦闘が行われ、塀越しに小石が次々と投げ込まれた。
異変に気付いたエドガーたちは、事前の打ち合わせの通り、すぐに動き出した。
ラチェットに異変を知らせるために、ガラナが投石をかいくぐって馬車の扉を叩いた。ジェラルドは門の防衛の援護に向かい、エドガーとカサンドラがグスタフたちを起こし、窓から逃がした。
幸い、館の中へ持ち込んだ荷物の量は少なかった。ジーナとマルコムが荷物を全て抱え、鳥籠を持つメグがセラを連れ、エドガーとカサンドラは、投石から一行を守った。
グスタフは、ダナと共に真っ直ぐ厩へ向かい、ラチェットと合流して、馬と駱駝を連れてきたのだ。
「ちょうど、駱駝を馬車に繋ぎ終えた時に、門が破られたみたいね。たくさんの住民たちが一気になだれ込んで来たから、そのまま門から馬車を強行突破させたのよ」
ニースは、ジーナの言葉に顔を青ざめた。
「ええと……たくさんの人がいた門から、馬車で強行突破したんですか?」
ジーナは、気まずそうに苦笑いを浮かべた。
「そうよ。エドガーたちが、出来る限り道を作ってくれたけれど……あまり深くは考えない方がいいわね」
ジーナの言葉にニースは、ぎゅっと目を瞑り、どうしても思い出してしまう、昨夜の揺れの感触を必死に振り払った。
ジーナは、ニースの頭をくしゃりと撫でた。
「悲しいことだけど、他に方法がなかったのよ」
ニースは、目に涙を滲ませた。
「でもそれって、ぼくたちが演奏しなかったら、起こらなかったんですよね……?」
ニースの言葉に、カサンドラが目を開けた。
「それは違うよ、坊や」
「カサンドラさん……」
ジーナが、申し訳なさそうに眉をひそめた。
「ごめんなさいね。起こしちゃったわね」
カサンドラは、メグたちを起こさないように小さく笑いながら、ジーナの隣へ座った。
「あたいらは傭兵だから、元々深くは眠らないんだ。ダナはガラナがいるから眠るけどね。だから気にしないで、女将さん」
「そうなのねー。ありがとう」
カサンドラはジーナに笑みを返すと、ニースに目を向けた。
「坊や。さっきの話だけど、坊やたちが演奏しなくとも、いずれあの町は、ああなっていたよ。それに、門が破られた原因は、あの町の領主が逃げたからだ」
「逃げた……?」
「そう。抜け道が地下にあったみたいでね。それで護衛兵の動きが鈍ったのさ。演奏自体、旦那が断ったのに、無理に領主が頼んできたんだ。坊やが責任を感じる必要はないんだよ」
ジーナが、悲しい目をニースに向けた。
「本当はね、グスタフは町の人たちのために演奏をするつもりだったのよ。みんな疲れきっていたから、少しでも心に潤いを与えたいってね。
もし町の人たちのために演奏をしていたら、どうなってたのかしらね……」
カサンドラが肩をすくめた。
「それはわからないよ、女将さん。喜んでもらえた可能性もあるが、かえって怒ったかもしれない。たらればの話をしても仕方ない」
ニースは目に滲んだ涙を袖で拭い、呟いた。
「どうしようもなかった……ってことなんですね」
「ああ。そういうことだ。だから坊や、気に病むな。女将さんもね」
カサンドラの言葉に、ジーナは切なげな笑みを浮かべ、気持ちを切り替えるように、ふぅと息を吐いた。
「そうねー。いつまでも気にしてても仕方ないものー。カサンドラ、ありがとうねー。少し疲れたから、私は休むわー」
ジーナは大きな欠伸をすると、ニースに焼菓子が入った缶を渡した。
「これ、朝ご飯代わりに食べてねー。カサンドラもー」
ニースが缶を受け取ると、ジーナはごろりと横になり、大きないびきをかきはじめた。
程なくしてメグとセラが、いびきの音に目を覚ましたので、ニースは皆と一緒に菓子を食べた。昨夜の衝撃でほんの少しだけ切れた口内から血が滲み、甘いはずの菓子に錆びた鉄の味が混ざった。
やがて二台の馬車は小さな泉のようなオアシスに止まった。
ニースはセラと共に馬車から降りると、ぎょっとした。駱駝から降りたジェラルドの体が、乾いた血で赤く染まっていたのだ。
「ひっ……」
固まる二人に気がついたジェラルドが、妖艶な笑みを向けた。
「ごめんなさいね、二人とも。返り血を浴びちゃったものだから」
ジェラルドはそのまま泉へ向かうと、服を脱ぎ、水浴びを始めた。小さく震える二人の肩を、エドガーが優しく叩いた。
「すまないな、驚かせちまって。ジェラルドは血を見ると人が変わるんだ。今回はちょいとおかしな連中も混ざってて、面倒だったからな。あんなあいつを坊主たちが見ることは、滅多にないと思うよ」
メグとジーナが、ほっと安堵の息を吐いた。
「そうなのね。傭兵として戦ってたんだもの、そういう一面があってもおかしくないかも……。それにしても、今のジェラルドさんは、ちょっと怖いけど、なんかすごく艶っぽいわね」
「そうねー。ジェラルドには、女性の色気みたいな艶やかさがある気がするわー」
二人の声にカサンドラが、はははと笑った。
「そりゃそうだな。ジェラルドは、男が好きなんだ。女らしい一面もあるはずだよ」
「「え!?」」
メグとセラが驚きの声を上げ、ジーナは納得したように頷いた。
「そうだったのねー。だからあんなに色っぽいわけねー」
ニースは不思議そうに首を傾げた。
――男が好きで女性らしいって、どういう意味だろう?
ニースは詳しく聞こうとジーナに振り返り……顔を引きつらせた。ジーナの顔は、何かを思いついたように、不敵な笑みを浮かべていたからだ。
「ぼ、ぼく……ラチェットさんのところに行ってきます!」
言いようのない不安を感じたニースは、ラチェットと共に馬と駱駝の世話を始めた。小さなオアシスは、疲れきった一行を優しく包んでいた。
灼熱の太陽が小さなオアシスを照らす。町からの脱出で疲れた一行は、暑さも考えて日中の移動を諦め、夜に砂漠を移動することにした。
一晩中馬車を走らせたグスタフとマルコムは、エドガーと共にグスタフの馬車で眠り、カサンドラが見張りに立った。
馬と駱駝の世話を終えたニースは、危険な目をしたジーナから避難しておこうと、オルガン馬車にいた。
ラチェットが眠そうにしており、ニースも一緒に寝たかったが、オルガン馬車にはダナもおり、なかなか寝かせてはくれなかった。
「それでね、カサンドラの背後に迫った敵の足を、ガラナが引っ掛けて、そのまま締め付けてね……」
「へえ……」
ダナは昨夜のガラナの武勇伝を話していたのだが、いつの間にか話は終わりの見えない過去の武勇伝に変わっていた。
うつらうつらとしながらも、律儀に相槌を返すラチェットを気の毒に感じたニースは、伺うように声を挟んだ。
「あの……ダナさん。ラチェットさんは昨日色々あったから、そろそろ休んだ方がいいと思うんだけど……」
ダナは、はっとして苦笑いを浮かべた。
「ごめん。そうだったよね。ラチェットは昨日が誕生日だったのに、散々だったね。落ち込んでない?」
眠りに落ちかかっていたラチェットは、ダナの言葉にぴくりと眉を動かすと、目をはっきりと開いて、はぁとため息を吐いた。
「そうだね。散々だったよ。最初は悲しかったけど、なんだかそれどころじゃなくなっちゃったな」
ニースが思っていたのと違う話の展開に、どうしたものかと戸惑っていると、ダナはさらに言葉を続けた。
「そういえば、なんで二人は昨日、馬車で寝たの? お陰で脱出が楽に出来たんだけどさ」
ラチェットが酷く辛そうに顔を歪めたので、ニースは慌てて誤魔化すように声を上げた。
「そ、それは! 寝る所が足りなくて……女の子にベッドを譲ろうって話だったから……!」
「へえ。優しいんだね、二人とも」
ダナの言葉にラチェットが、はははと自嘲するように笑った。
「優しいわけじゃないよ。……ニース、いいんだよ、誤魔化さなくても」
ラチェットは、悲しい目をしながら言葉を継いだ。
「結局、僕の誕生日はやっぱり忘れられてたってだけなんだ。だから僕は昨日、いじけてただけさ。かっこ悪いだろう?」
「そ、そんなことないよ! 君たちにとって、大事なことなんだろう? それが忘れられてたら、悲しくなって当たり前だよ」
ラチェットを励ますように声を上げたダナは、急に視線を彷徨わせると、照れたように呟いた。
「あたしは、そういう飾らないラチェットも……か、かっこいいと、思うし……」
ダナの呟きを聞いたラチェットは、乾いた笑いを漏らした。
「はは……そんなことはないと思うけどね。……でも、ありがとう。ダナ」
「あ……うん」
ダナは頬を赤く染め、立ち上がった。
「あたし、ちょっとカサンドラの様子を見てくるよ。ゆっくり休んでね」
「ああ。ありがとう」
ダナがガラナを連れて馬車を降りると、ようやく静かな時間が訪れた。ニースは、ラチェットの安眠を守ろうと、ダナがカサンドラの元へ行くまで、じっと見つめていた。




